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2010年7月19日 (月)

円覚寺墓所には松竹系大物の人間模様が溢れている

昨日は、TBC(東京墓石倶楽部)にて、鎌倉の寺々を回り、家紋採取を行った。

暑い中、本当によく歩いた。

北鎌倉駅→円覚寺→浄智寺→東慶寺→建長寺→鶴岡八幡宮→覚園寺→瑞泉寺→寿福寺→成福寺→大船駅という経路だ。途中、瑞泉寺から寿福寺だけはタクシーを利用したが、他は全て徒歩、いやはや。



さて、まずは、このエントリーでは円覚寺について語ってみたいと思う。

円覚寺には、田中絹代、小林正樹、佐田啓二、木下恵介、小津安二郎といった松竹系の大物の墓が多い。

境内に入ってすぐに左手に松嶺院という塔所があり、その裏山に墓所があり、田中絹代、小林正樹、佐田啓二等が眠っている。

佐田啓二はご存知の方も多いかと思うが、中井貴一の父、37歳の若さで交通事故で亡くなった往年の男前俳優である。

デビュー作は木下恵介監督の『不死鳥』、そこでいきなり当時の大女優・田中絹代の相手役として抜擢されたのだ。

その役柄は、結婚一週間後に出征して帰らない悲しい兵隊の役だ。しかし、その映画では二人の接吻シーンが一世を風靡し、後の佐田のスターへの道筋をつけたという。

僕が驚いた(感心した)のは、そんな佐田啓二の墓と田中絹代の墓が、まさしく背中合わせに建っていたということ。

つまり、佐田啓二と田中絹代は『不死鳥』と同様に、永遠に抱き合うことが出来ない悲しい運命を墓の位置が表現しているのである。亡くなった後も、二人は役柄の中では生きていて、僕らの想像を掻き立てる。根っからの俳優だということである。

これはちょうど、雑司が谷霊園で、15代目市村羽左衛門(斬られ与三郎役が役)と6代目尾上梅幸(お富さん役)の墓が並んでいるのと同じセンスである。(「切られ与三郎の三つ盛り揚羽蝶に江戸のイキを感じる」参照)



しかも、田中絹代の墓所は、監督・小林正樹の墓所でもある。ご存知の方も多いと思うが、この小林正樹は田中絹代の又従姉(はとこ)にあたり、田中の死の間際、身寄りのいない彼女の借金の返済などに奔走し、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」を創設させた人物としても知られている。

おそらく、小林は大女優・田中絹代に対して、生涯、特別な愛情を抱いていたのであろう。佐田啓二の墓と背中合わせに彼女の墓を建て、後には田中の墓に、自分も入ったのである。

ちなみに、そんな佐田啓二、田中絹代、小林正樹の三人の墓を見護る位置に好奇心旺盛だった開高健の墓があるというのもちょっと笑わせる。



さて、そんな小林正樹が師匠として仰いだのが木下恵介だが、彼の墓は、同じ円覚寺の境内だが、山門から見て右手の奥の方にある。小林達の墓とは距離を置いているのだ。そこの墓は左図(墓所にあった地図を撮影)のような配置になっているが、これはこれで僕の想像(邪推)を掻き立てるものがある。

実は、その木下はホモセクシュアルだったという。一度、結婚をしているが、新婚旅行で見切りをつけ、性的関係のないまま離別したというのだ。彼の墓は、彼が長らく助監督を務めた小津安二郎(生涯独身)の墓の一列離れたそばにあり、小津の「無」と書いてある墓石を永遠に眺める位置にあるのである。

しかし、小津の墓にはおそらくファンが置いたのであろう酒瓶や花で埋まりにぎやかであったが、木下恵介の墓はどこかさびしそうに苔むしていたであった。



まさむね

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