「抱き菊の葉に菊」紋は、元々西郷家の紋だったのかも
歴史読本9月号、高澤等先生の「家紋拾遺譚」を読ませていただいた。
この論文で高澤先生は次のように書かれている。
本来、西郷氏は菊池氏の一族として「違い鷹の羽」を用いることが多い。一方、西郷隆盛の家紋は「抱き菊の葉に菊」を用いており、隆盛が用いたことから別名を「南州菊」とも呼ばれている。家伝ではこの家紋は明治天皇より下賜されたもので、本来は菊花紋のない「菊の葉」を用いてきたと云われるが、実際に隆盛が「抱き菊の葉に菊」を用いていたことを示す資料を筆者は見たことがない。
僕はハッとした。確かに西郷隆盛が「抱き菊の葉に菊」をつけていたという資料は僕もみたことがない。ただ、現在、目に出来る家紋関係の書籍の多くには、天皇から西郷に菊花紋が下賜されたという伝については、記されているのだ。
手元にある本をいくつかめくってみると、例えば、丹羽基ニ先生の「家紋逸話事典」ではこのように書かれている。
明治のはじめ、天皇は西郷隆盛に菊紋を下賜したとの伝がある。私は鹿児島まで行き、さらに関係の方々にお伺いして真相を調べたが、記録としてはない。ただ、伝としてはある。
西郷家は、肥後の菊池氏流を称し、三つ葉菊を使用している。陛下は、とくに西郷を召され、
「汝によい紋を与えよう」
と申されて、新しい紋を考案され贈られたという。
(中略)
隆盛は恐懼(きょうく)して退下というが、家人を集め、そのいわくを話し、「この紋は、おいが戴いたのだからおい一代のものでごわす。汝らは使用してはならぬぞ」と、よくよくいましめた、という。
隆盛の言い回しまでもが、記述されているのは丹羽先生独特の愛嬌だろう。ある意味、微笑ましい。
また、楠戸義昭氏の「日本人の心がみえる家紋」にも同様にこうある。
しかし、この明治維新、十六カ弁の菊紋を臣下でもらった男がいた。西郷隆盛である。西南戦争で逆賊とされても、明治天皇の隆盛への信頼の情はあつく、その遺児にも心を痛めている。ところで隆盛はあまりに恐れ多いとしてこの下賜紋を終生使わなかった。
さらに、「家紋散策」の一文も引用しておこう。これはおそらく、先に引用した丹羽基ニ先生の書物を参照したものと思われる。
ところで、明治維新の功臣である西郷隆盛も菊花紋を賜った。それは明治天皇自らが考案されたもので、「抱き菊の葉に菊」紋であり、天皇を左右から補佐せよというものであった。隆盛は恐懼して退下し、家人を集め、そのいわくを話し「この紋は一代のもの」と戒めたという。だから子孫の家には伝わっていない。
先月、「篤姫」から「龍馬伝」に繋がる家紋ミスを深読みするというエントリーで、「龍馬伝」において、禁門の変の時点で西郷隆盛が家紋が「抱き菊の葉に菊」を使用していたことが間違っているのではないかということを書いたが、これらの箇所を総合すると、使用時期どころか、この「抱き菊の葉に菊」を西郷が使用したことがあったかどうか自体も、実は、未確認なのであった。
★

実は、僕はかねてから、西郷家の家伝の「強さ」に関して疑問を持っていたのである。それは青山霊園の西郷家の墓所にある西郷家の奥津城に「抱き菊の葉に菊」が彫られている(左図)からだ。西郷隆盛一代にのみ許された(はずの)家紋が西郷家の墓に彫られている。
これはどういうことであろうか。
もしかしたら、この「抱き菊の葉に菊」は、もともと西郷家の家紋だったのではないだろうか。
そして、さらに想像を重ねるのならば、西南戦争で賊軍の汚名を着せられてしまった西郷家が、敢えて「抱き菊の葉に菊」紋は、天皇から下賜されたという伝説を残したのかもしれない...
★
冒頭に引用した高澤先生の文章は次のように続く。
(前略)西郷一族では隆盛以前にも菊花紋を用いていた様子がうかがわれ、また「抱き菊の葉に菊」は西郷家だけに見られる家紋というわけではない。
この一行は、僕の想像力をさらに喚起させてくれるがここでは内緒。
いずれにしても、家紋をネタに歴史を想像するというのは本当に楽しい。
まさむね
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