僕らは新しい時代に向けての「歌枕」や「家紋」を作れるのか
武隈の松のことを調べていたら、本気で歌枕に関して興味が出てきてしまった。
これだから「おたく」という性分はタチが悪い。
荒俣宏氏の『歌伝枕詞』(世界文化社)では、陸奥の歌枕を、大和朝廷によってほろぼされた蝦夷の魂を鎮魂すると同時に、無害な文学イメージとして昇華させたものという捉え方をしている。一昨日のエントリー「歌枕「武隈の松」と「竹ノ熊さん祭り」、蝦夷と熊襲。にも引用しさせてもらった箇所をさらに、続けて引用させていただく。だって面白いんだもの。
歌枕が消し去った陸奥の古い実像とは、当時、高度の発達していた蝦夷独自の文化と、戦闘の傷跡である。とくに後者の戦争の記憶は、巧妙に抹殺されたに相違いない。官軍側を破ったアテルイのような英雄は、”悪路王”あるいは”鬼”として悪役に回され、他方、勝利をもたらした田村麻呂が英雄にまつりあげられるのだ。
つまり、田村麻呂伝承は、歌枕とセットになって、陸奥にまつわる蝦夷の真相を消すための美しいフィクションとしてかんがえだされた。ぼくには、どうしてもそのように思えてならないのだ。
じつは、この箇所が何故、面白いのかというと、僕は、家紋というものにも、ここで荒俣さんが歌枕に感じたのと同じように、「抹殺されたいまわしい過去の記憶」を消し去り、美化しようとする日本人的なメンタリティが潜んでいるのではないかと考えているからである。
例えば、梅紋(左絵は双葉山の梅鉢紋)というのは、もともとは菅原道真の怨念(逆に言えば、道真を追い落としたことに対する藤原氏の慙愧)というおどろおどろしい想念を、このかわいい紋に閉じ込めたようにも思える。
同じく、車紋というのは、これは源氏物語というフィクションの中での話しであるが、六条御息所の怨念を優美な源氏車に昇華した紋ではないかと僕は思っている。(右絵は佐藤栄作首相の源氏車。車輪が「六条の星」のようになっているところが、どこか意味深である。)
梅紋も車紋も、いずれも、都の公家社会という狭く窮屈な社会における権力欲に敗れた人々の怨念というおどろおどろしい陰の力を御霊化(真相を消し去ること)した結果ではないのかと思うのである。
過去の忌まわしい歴史を美化すること、これは別の視点からすれば決してほめられたものではないのかもしれない。しかし、人間というものはそうやって、過去を消し去り、御霊化してしか、新しい時代を作れないような存在なのであろう。
比喩的に言うのであれば、中国や朝鮮半島にどう謝罪するのかという問題、靖国神社をどうするのかという問題、それらは現代日本人が、民族の総意として「歌枕」や「家紋」を、どう作っていけばいいのかという問題、あるいは作りきれるのかという問題なのかもしれないのであるが、おそらく、それには時間はかかると思わざるをえない。
まさむね
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