ワールドコスプレサミット成功の影で考えた
先週末、名古屋の栄、オアシス21で開かれたワールドコスプレサミットに行ってきた。
僕のオタクサマー、第2弾イベントである。
この栄という街は、名古屋の中心街、だからコスプレイヤーに混じって普通の人々もこのイベントに足を運んでいる。
しかも、テレビ愛知の主催だから、おそらくテレビでも相当、パブっていたのであろう。街全体が自然にコスプレをイベントとして楽しんでいる様子がうかがわれた。
例えば、地下鉄に乗ると、普通にコスプレイヤーがいたりするのである。これは楽しい。
先日行ったワンダーフェスティバルが幕張という地ということもあって、集まった人々が真性オタク、一方コスプレイヤーはベテランが多かったのに比べると、このワールドコスプレサミットは、いい意味で庶民的で、若々しい、しかも、国際的。このあたりのゴッタ似感が名古屋っぽくて素晴らしい。
イベントは、昼間の普通のダラダラとした撮影会と夜のグランプリとあったが、僕は昼間はちょっとだけ見て、100歳双子のカタワレ=ぎんさんの墓参りに行ってしまった(結局、墓は見つからなかったけど)が、夜のグランプリはばっちり楽しんだ。
予選を勝ち抜いた各国のコスプレイヤーが、寸劇をするのだが、お国柄が垣間見れて楽しかった。
芸術的なフランスチーム、まるで京劇な中国チーム、アクロバチックでしかも、LEDを駆使した韓国チーム、ワイヤー的なもので空中浮遊したブラジルチーム、造詣の凝り方では一番だったタイチーム、分りやすさと日本語の上手い(当たり前か)日本チーム、どれも素晴らしかったが、結局は、リモコンで人形を動かしたイタリアチームがそのアイディアで頭一つ抜けて優勝。
審査員長の古谷徹氏が、「コスプレは世界を一つにする」と言われていたが、それもまんざら絵空事でもないように感じたのはその場の雰囲気があまりによかったからだろうか。
★
しかし、ワールドコスプレサミットが盛り上がる一方で、昨今の日本のオタク文化の足元の衰退はいかんともしがたい。最近、よく、そんな話を聞く。
本大会の審査員の一人である高橋信之氏もオフレコだが、「あと10年もすれば、アニメ産業における日本の地位は、中国や韓国に抜かれるだろう。」と話されていた。
日本におけるアニメーターの待遇があまりにも劣悪だからだ。彼らはその才能を生かす以前に、社会人として生きていく環境にない。ぶっちゃけた話、仕事のハードさの割には給料が安すぎるのである。
同様の話は、ちょっと前に竹熊健太郎氏が漫画について語っていた言葉にも通じている。漫画界でも、優れた才能がある若者がデビューする場所がないのだ。それどころか、大手の漫画雑誌すら青息吐息の状態なのである。
また、先々週に行ったワンダーフェスティバルでも会場のブースでは中年のフィギュア造型師の姿が目立っていた。若い人々がどんどん、オタク的クリエイティブの場からいなくなっているのである。フィギュアどころか、そもそも、プラモデルの市場自体が縮小しているのだ。
さらに言えば、ゲームだって同じようなものだ。90年代の(PSやサターンなど)ハードの進歩に追いつくためにソフトウェアに多額の費用をかけざるを得なくなってしまったゲーム業界では、リスクを回避するため、シリーズ物オンパレードになってしまい、新しい試みが生まれにくくなった。その結果として、中小のゲームメーカーが軒並みギブアップしてしまった。そして、その隙にとでも言おうか、日本はオンラインゲームでは韓国(例えば、リネージュ)に、ソーシャルゲームでは中国(例えば、サンシャイン牧場)の後塵を拝するようになってしまったのである。なんということだ。
そんな足元の現状をヨソに、経済産業省では、今年の6月にクールジャパン室なるものを立ち上げてみたようだが、何もできていないのが現状だ。いや、そもそも、役所が何か出来るはずなどないのだ、この分野では。
ワールドコスプレサミットが盛り上がる中、僕はそんなことを一人で考えていた。
竹熊氏や高橋氏のように後進の育成に力を注ぐというのもありだろう、あるいは、日本のそういった文化を新しい市場に出すような輸出活動というのも一つだろう。
しかし、それらの道はまだまだ険しい、多分。
まさむね
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