「日本家紋普及協会」への祝辞~片喰紋が持つ諧謔性と僕の精神~
家紋中学生ことしんゆうさんが、「日本家紋普及協会」を立ち上げた。中学生として、この思いっきりは快挙である。
リアルな世界であったら、50才の僕が、まだお会いしたこともない15才の彼の作った会に参じるということはありえないであろうが、あり得ないことが起きるのがネットのいいところだ。
僕は躊躇無く、彼の意思に賛同して、会員にさせていただいた。身分は旗本だ。
今後、彼の活動を見守りながら、出来ることがある限り、支援していくつもりである。
まずは、「日本家紋普及協会」への祝辞を書かせていただいた。
この一本気新聞上でも披露させていただきたく思い、ここに転載いたします。
★
先日、祖母の33回忌があり、親戚一同が会しました。
その時、先祖の話になりました。実は、私の家は、山形の村山市楯岡というところに代々住んでいました。
この楯岡は、あの蝦夷地探検で名を馳せた最上徳内の故郷でもあります。実は、うちの先祖はこの徳内と寺子屋で席を同じくしたという家伝が残っているのです。
そして徳内は農家でしたが、私の先祖は商家だったようです。これは先日の法要で初めて叔父から聞いた話です。
さらにいえば、先祖は、近江から楯岡に流れてきたらしいです。ということは、僕の先祖は、丸紅 、西武、伊藤忠、高島屋などと同じ近江商人の端くれだったのです。
そして、何を商っていたのかとうと「塩」。実は、うちの先祖は代々塩屋佐平(しおやさへい)という屋号を名乗っていたということです。
僕もいつか、この屋号を名乗ってみたいというのがささやかな夢の一つになりました。
さて、そんな塩屋ですが、時代が下り、明治時代なると、塩は政府の専売となり、塩屋たちは職を新しく求めるざるを得なくなっていきます。これも時代の流れでしかたのない話です。
僕の祖父は農林省の技官という職を得て、その後、長野県の松本、山梨県の小淵沢と転々とします。いずれの地も蚕産が盛んだった土地です。戦前、日本の主な輸出品であった蚕産振興のため、祖父は少しでも日本のためにと働いていたのです。
さて、話はかわりますが、我家の墓は小平霊園にあります。僕はその近くということもあって現在は西東京市に住んでいます。墓には丸に片喰紋が刻まれています。
先日の法要ではこの家紋の話にもなりました。残念ながら、そこには深い云われはありませんでした。物知りの叔父さんの話でも、ただ、祖母の紋付にその紋がついていたからというのが、現在、墓の家紋の由来だというのです。
でも、自分にとっても大好きだった祖母の背中にずっとついていたこの丸に片喰紋は、それだけでも、僕にとって大好きな紋です。
平和を愛すること、子孫繁栄を祈願すること、雑草のように強く生きること...片喰紋にはいろんな意味が込められていると聞きます。
でも、そんな中でも、僕はこの紋に感じる諧謔性が好きなのです。
題名は忘れてしまったのですが、僕が学生時代に聞いた落語でこの片喰紋が出てきました。「あのおケツを三つつけたような紋」というような滑稽な形容をされていたのを覚えています。でも、その形をよく見ると徳川家の葵の御紋にも似ているのです。
おそらく、江戸の庶民達は片喰をおケツと笑いながら、同時に徳川の御紋をも笑っていたことでしょう。これはあくまでも僕の想像です。
でも、この普通の庶民のちょっとした洒落心、片喰紋に僕が惹かれるのはそんな庶民の「柔らかな反骨精神」なのです。
自分も「一本気新聞」というつたないブログをやっていおりますが、そこではこの諧謔性を忘れないということを一つのポリシーにしております。それはこれが片喰紋をつけている僕の精神だと思っているからです。
ちなみに、僕が調べた限りですが、僕と同じ、丸に片喰紋をつけている有名人にはこんな人がいます。
江戸の侠客・幡随院長兵衛
天才左官職人・入江長八
街道一の親分・清水次郎長
司馬遼太郎の『峠』で有名な河井継之助
庶民の味方、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造
日本で最初に「万歳」を発明(?)した外山正一
大日本帝国憲法起草した伊東巳代治
夏目漱石も『三四郎』の中にも出てくる三代目の柳家小さん
第30代内閣総理大臣・斎藤実
『武蔵野』の作者、自然主義文学の国木田独歩
落語家として始めて渡米して興行を行った五代目・三遊亭圓生
浅草生まれの粋な作家・久保田万太郎
映画界の「第4の巨匠」成瀬巳喜男
戦後の日本人に希望を与え続けた『青い山脈』の作曲者・服部良一
山野美容専門学校開校者・山野愛子
橋幸夫の『霧氷』を作曲した利根一郎
『にんげんだもの』で有名な詩人・相田みつを
『どらえもん』の生みの親、漫画家の藤子・F・不二雄
当代一の色男、歌舞伎役者の坂東三津五郎
そしてジャイアント馬場の物真似でもお馴染みコメディアンの関根勤...
こんな素敵な人たちと同じ紋を持つ僕はやっぱり、この紋を持っていてよかったと思っています。
今回は、「日本家紋普及協会」発足に寄せてということなので、ちょっと力を入れて書かせていただきました。
これからも、一会員として「日本家紋普及協会」の発展のため、出来る限り頑張っていきますので皆様よろしくお願いいたします。
まさむね
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