無期限活動休止の宇多田ヒカル~天才は人々を裏切り続ける~
ちょっと前の話になるが、あの宇多田ヒカルが無期限活動休止宣言があった。
彼女はいわゆる98年デビュー組の大物の一人だ。
この98年デビュー組というのは、この宇多田ヒカルをはじめ、aiko、椎名林檎、浜崎あゆみ、kiroroなど、その後の00年代の音楽シーンをリードしたアーティスト達を僕が命名(他には全く普及せず)した名前である。
思い返せば、あの頃、山一證券破綻や和歌山の毒入りカレー事件なんかもあり、社会不安が一気に広った。社会学者・山田昌弘氏が言うところの「98年問題」であるが、自殺者数もこの年に一気に3万人の大台に乗り、それ以降全く下がっていない。
そして、それまでは小室哲哉に代表される大物プロデューサがストリート系の若い娘(例えば、安室奈美恵や華原朋美)に自身の楽曲を提供して、それと同世代の子が消費者となりメガヒットを記録するという業界にとって幸福な時代が終わり、いわゆるリアルな自分の言葉で歌詞を作るアーティストが一斉に世に出たのが、この98年だったのである。
で、その98年デビュー組の中で突出した音楽的才能を持っていたのが宇多田ヒカルだったのだと僕は思う。おそらく、一方で浜崎あゆみがどちらかと言えば、アダルトチルドレン系の女の子の代弁をし、aikoが普通の女の子の恋の一瞬を歌い、椎名林檎が過剰な演出の中にキャラを確立していくなかで、おそらく、宇多田ヒカルだけは、そういった「演出」とは無縁に、素の自分であろうとした天才歌手だったというのが僕の見立てである。
彼女の全盛時、確か、FNS歌謡祭の受賞インタビューだったかと思うが、ステージで「今後、どういった歌を作っていきたいですか」というアナウンサーの質問に対して、
「みんなが感動するような小ズルイ歌を作りたい」
と言ってのける、本当の事を言ってしまうような生意気な女の子だったのである。
だから、逆に彼女が作り出したメロディは天才的であったとしても、彼女が作る歌詞はキャラとしての彼女を表現するようなものではなかった。そこに感じたのは個の叫びというよりも、上手さであった。だから、彼女は、例えば、平家物語の「ただ春の夢のごとし」(『traveling』)みたいなことが歌えたである。
思えば、彼女の母親の藤圭子は、宇多田ヒカルは真逆に普通の女の子でありながら、「不幸」と言う名の過剰な演出を背負わされた演歌歌手であった。例えば藤圭子の母親(宇多田ヒカルの祖母)は、ファンが見ている前でだけ、盲目だったという。
そしてそんな母親の「過剰演出」とは対極に、無演出=天才・宇多田ヒカルがあったのである。
しかし、マーケッティング=すなわちキャラクタ第一優先の現代、何者かをも代弁しないシンガーなど存在できようもない。しかし、何かを代弁するというウソもいまさらつけない、さらに言えば、本当の姿を発露しようとしたら、多分、男にも女にも、つまり大衆的な支持は得られそうも無い「大金持ちの生意気なバツイチ」でしかありえない宇多田ヒカル。
無期限活動停止という姿は、彼女らしい決断だと僕は思う。天才というものは、良くも悪くも、常に、人々の期待を裏切り続けるものである。
まさむね
« 夏コミは、みんなで向うの世界と触れる時空間という意味でもう一つの靖国かも | トップページ | 偽装生存老人事件、つまり動物化する日本人の事件 »
「J-POP」カテゴリの記事
- Piecesの真意(ラルク論)(2000.10.31)
- オタクとエイベックスと携帯と。(2000.11.01)
- 「ゆず」について(2000.11.02)
- ここにいるよ 待ちに待った下流ソング登場(2008.03.02)
- 「二人」aiko、その視線のリアリティ(2008.03.15)
この記事へのコメントは終了しました。
« 夏コミは、みんなで向うの世界と触れる時空間という意味でもう一つの靖国かも | トップページ | 偽装生存老人事件、つまり動物化する日本人の事件 »
コメント