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2010年8月 6日 (金)

幼児死体遺棄事件と柳田國男と「下校拒否」

人生にはいくつもの「落とし穴」が開いている。

一人一人の人間は弱い。だからいつ、その「落とし穴」に落ちるのかは誰もわからない。

大阪の幼児死体遺棄事件はそんなことを僕に考えさせた。

彼女が悪いのは当たり前の話だ。ただ、僕にはそれだけで済ますことが出来ない。



柳田國男は『妹の力』の中でこう記したのは昭和15年だ。

(最近は)人が全体的にやさしくなったような感じがする。ことに目につくのは子供を大切にする風習である。以前は野放図にしておいて、自然に育つものだけが育つというありさまであったのが、もうそんな気楽な親は少なくなった。


これはあくまでも柳田國男の感想にすぎないが、昭和15年といえば、日独伊三国同盟が出来た年、この前年にはすでに第二次世界大戦は始まっており、翌年には太平洋戦争が勃発している。平成からの視点で言えば、この時代は子供に対するしつけも厳しかったような印象もあるが、実際にはどうだったのであろうか。

僕が気になったのは、さらにそれ以前は、子供は野放図にしていても育ったという何気ないところだ。おそらく、この時代、多くの家庭は大家族だ。三世代は当たり前で、しかも親戚なんかも一緒に住んでいたのだろう。だから、その中には暇な人もいて、子供達に対して何かと面倒を見ていたのかもしれない。あるいは、隣近所にもそんな人がいて、そういう人たちが子供達に目を配っていたのか。

いずれにしても、家族、地域社会が生きていた時代、子供はある意味、「自然」に育ったのである。しかし、戦後、こういった共同体がどんどんと解体されていった。

大雑把に言えば、日本人は「絆」よりも「自由」を選んだのである。それが時代の必然というものだったのだ。

そして、「自由」の思想は、「ここにいる私とは別の私」がどこかにいるに違いないという幻想を必然的に呼び寄せる。

さらに言えば、その幻想は同時に、「別の自分」を妨害しているのは「外部にいる何者か」であるという無責任につながっているようにも思える。

おそらく、そんな「自由の囚人」こそ最も「落し穴」に落ちやすいのではないだろうか。自由とリスクはいつだって隣り合わせだ。これは確かだと思う。

一方で、柳田国男が回想したような、野放図にしていても子供が育つような環境は、遥か昔にもう存在しない。

これは僕らにとってはノスタルジーだ。そしてこの状況は政治でなんとかなるような問題なのだろうか。



「下校拒否」が魅力的なのは、このノスタルジーと「自由」とが若干のペーソスを挟みながら強引につなぎあわせるようなパワーがあるからかもしれない。結局、今、僕らに必要なのはパワーなのか。



まさむね

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