民主党代表選挙。それでも僕は小沢一郎を応援したい
民主党の代表選挙が興味深い。
菅直人首相と小沢一郎前幹事長の一騎撃ちである。世論を味方につけた菅氏が、民主党という組織内での大勢を固めつつある小沢氏をどこまで追い上げることが出来るかというところが焦点になりそうだ。
僕は、小沢氏の「政治のカネ」の問題というのは政党政治が持つ裏の部分として、誰もが実は分っている事実を、"特定の勢力"が問題化した事案にすぎないと思っている。
おさらい的に振り返ってみれば、小沢氏の収支報告書には虚偽記載があったのは事実だ。小沢氏個人から政治団体の陸山会への金の移動の記載が事実より数ヶ月ずれていたのである。また、小沢氏個人が4億円もの現金を自宅に持っていたというのは不自然といえば不自然だ。しかし、不実記載は犯罪だが、形式犯であり、現金を持っていたということは「怪しい」のは確かだが、犯罪ではない。
今までは記載の間違いは修正で済んでいたのが、この小沢氏の件だけ大事になっているのは僕はちょっと納得がいかないのである。例えば、微罪でも罪は罪という人もいるが、そうであれば、自民党総裁の谷垣氏も、自身の資金管理団体の2003年分の光熱水費をゼロから2万円に訂正しているのである。それも形式的には犯罪ではないだろうか。
それゆえに、検察は何度も、小沢氏を起訴しようとしたが出来なかった。ようするに証拠がないのである。
そして、マスコミや野党は小沢氏に説明しろと迫るが、「何も法に触れたことはしていない」と言うしかないだろう。問題があるというのであれば、逆に問題があるという側が証拠をあげて説明するというのが筋ではないのか。
僕は小沢氏に対する検察(あるいはマスコミ)による攻撃は、ただ、小沢氏=悪というイメージを作り出すことが目的だったと理解している。そして、それにはある程度成功した。
現に小沢氏は選挙に勝つという目的のために、(悪くもないのに、)党代表や幹事長という職を辞さなくてはならなかったのだから。
さて、僕が今回の民主党代表選挙で注目したいのは、上記のような話ではなく、やはり、二人の政策のどこに違いがあり、その政策のための根本思想が、それぞれ何なのかという点である。
民主党が政権を奪取したとき、鳩山氏は、「自立と共生」という理念を掲げた。今でも忘れないが僕はその時、結構感動したのだ。(鳩山首相の施政方針演説に久しぶりに感動してしまった)。もしも、その理念を、現在でも小沢氏が共有しているのであれば(あくまでそうであればの話だが)、僕は小沢氏を支持したいと、今でも思っているのである。
日本はおそらく黒船来航以来、150年の間に、それまでの共同体社会を徐々に失っていった。家や親族、地域社会は現在ではほぼズタズタとなってしまった。それはある意味しかたのないことであるが、その民族的喪失に替わる新しいシステムが僕らには創れていない、それどころかまだイメージすら見えてすらいない、それが問題なのだ。
大雑把に言ってしまえば、従来の自民党は、どの共同体にも存在する顔役(親分)に金をばら撒くことによって、なんとか社会を維持しようとしてきた。それが土建屋の親父だったり、農協だったり、独法理事長だったり、郵便局長であったわけであるが、それが上手く行かなくなった。バラ撒く原資がなくなってきたのだ。それに対して、小泉改革というのは、新自由主義という思想に基づいて、そういった既得権益を保持した共同体(古い親分=子分)の関係を壊し、個々人で競争するようなシステムを作ろうというものであった。しかし、多くの日本人はそういった競争社会を忌避した。日本人は、まだまだそれほど強くはなかったのだ。
そこで、民主党の登場だ。民主党は、税金を中間組織をすっ飛ばして、個々人に金をバラ撒くという方向を打ち出した。子供手当てや農家補償などだ。個々人に直接バラ撒くことによって、生活が出来るような基礎を作らせ、そういった個々人が自分の責任で、(多分ボランティアのような)新しい共同体を作っていくような社会を創造しようとしたのである。
その過程で、かつての親分=子分システム(既得権益集団)からはずされた人々、つまり弱者=マイノリティに対して篤くするのが第一弾だと考えているのだ。外国人参政権というのは一面、そういった文脈の政策なのである。
しかし、まだまだほとんどの人にとって、「自立と共生」という理念は十分に浸透しているとはいえない。マスコミがそういった理念を伝えることをしないというのも一因だが、民主党も、説明の努力をしたとは思えない。
先ほども述べたが、僕は小沢氏がもしも、再び「自立と共生」という彼の持論に基づく政策を体系だてて説明してくれれば、まだ、彼を支持したいと考えているのである。
ここからはおまけ...
ベイシックインカムなどによって最低限の弱者を救済し、国民総背番号制によって平等に税の負担を行わせ、天下り廃止や行政改革によって官僚支配を弱め、長い眼で見れば日米安保を見直して日本を自主独立国にし、中国や朝鮮半島と新しい関係を築き、地方分権によって中央に依存しない自主的(ボランティア)な起業家や地域を育て、経済一辺倒の価値観を徐々に排して、日本の技術力、伝統文化やオリジナルなオタク文化も育て、海外の人々も含めて日本をいい国、行って暮らしたくなるようなブランド力のある国にして...
これらを実行するには相当の抵抗があるに違いない。でも、このような可能性を考えていくと日本の将来はまだまだ捨てたものではないと僕は思う。
まさむね
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