あいまいなニホンの肖像
しかし暑い。天気はほんとうに夏らしい夏だけど!
ただ景気はどこか怪しいように見える。でも大元の真意はあいかわらず世界的に余りすぎているお金が行き場をなくして依然としてジャンク債や国債やどこかの通貨に群がっているということじゃないか。実体がそんなに極端に悪化しているわけではないのに、行き場をなくしたお金が株式から逃げ出して悲観的なムードが漂いだしていて、それに引きずられているのだろう。実体経済からするとたまったものじゃないが、問題は実体(必要)以上に出回っているお金がいつも世界的に多すぎることじゃないか。みんな引き伸ばしをするだけで誰もこの精算をちゃんとやっていないわけだ。この報いはやっぱり国債の暴落とインフレという結末に向かわざるを得ないのだろうか? ぼくにはよく分からないが。
それはさておき、ニホンがどうありたいのか、ふたたび思考停止に陥っているのがいまの状況なのかもしれないネ。政治的にも経済的にもメリハリをなくしているようだ。一時のニホンの無駄や停滞に対する問いかけもすっかり勢いをなくしているみたいだ。けっきょく多くのひとは転換することが嫌いなのだろう。誰だって自分の生活が根本から変わることを望まないということか。
民主党も菅総理になってからもう何をしたいのかさっぱり分からない感じだ。友愛を掲げて、沖縄から基地を外に出すことに拘りつづけた鳩山由紀夫のほうが遥かによかったと思う。管直人はけっきょくただの日和見の権力志向者に過ぎないとしか思えない。政策も寄木細工的、場当たり的で、ふたたび官僚主導に戻りつつあるように思える。けっきょく既得権益者(当然アメリカの意向も入る)たちによる一斉報道のマスコミを使った鳩山、小沢叩き(金銭問題をからめて)がうまく行ったということだろう。振り子がもとに戻りつつあるようにみえる。
総じて、いまのニホンは結局堕ちきることもできず、かといって自力回復はできず、やっぱり外需頼みという構図。その頼みの綱がアメリカから中国に変わりつつあるというだけか。ニホンはつくづく外需頼みの国になってしまったということなのだろう。自力ではなく、他力本願。どこか遠くにある日本という幻、主は今も海のむこうからやって来る(主は来ませり)と言うことか。
アクティブに外に対して働きかけるでもなく、かといってみずからの中で弱さを受けとめる力があるわけでもなく、なにか移ろいながらただただ落日の木漏れ日のように薄れてゆくイメージ。戦後65年。ニホンはそろそろ経済の浮き沈みから本気で自立したほうがいいのでは。まさむねさんが言っているようにいっそ鎖国のほうがいいかもしれないネ。
最近GDPの規模で、日本がついに中国に抜かれて世界二位の座を降りることが取り上げられている。でも一個人あたりのGDPでは日本はとっくに10何位だったかに落ちていて、もう効率的な経済大国ではなくなっているのだ。だから今更二位から落ちることがそれほどショッキングなことだとは思えない。
それよりもすべてがあまりにも経済的な経済的なことばかりに左右されすぎているように思える。新聞の論調もそれ一辺倒だし。やれ世界経済だ、成長のドライバーだ、金融危機だ、景気の波だ、云々。
ぼくが高校生のころは、まだ反戦ムードやロックの影響もあり、みんなの関心はもっと多岐にわたっていて、こんな風に経済一辺倒ではなかったように思う。いつからこんな経済(金儲け)ばかりを気にする集団になってしまったのだろう。それにもともと日本人は経済という名の世界で戦うことがそんなに得意じゃなかったのでは。たぶん世界のどこへ行ってもニホン企業としてオレ流にやってきただけじゃないだろうか。少なくともグローバル戦略なんてものがあったタメシがあったのだろうか。ぼくにはよく分からないが。
徒然なるままの世迷言は尽きないが、とにかく暑さだけが肌実感だね。あいまいなニホンの、暑い夏が終わろうとしている。
よしむね
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