原口大臣のA級戦犯の合祀手続き検証指示に失望
先日、少しショックなニュースがあった。あの原口一博総務大臣が、靖国神社におけるA級戦犯の合祀手続き検証を指示したというのである。以下、毎日新聞を引用する。
原口一博総務相は7日、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)される過程で国がかかわった行政手続きに問題がなかったかを、国として初めて検証する考えを明らかにした。有識者や政務三役などによる検討会を近く総務省に設置する方針。靖国神社は合祀について「国の事務手続きに従った」と主張しており、過去の行政手続きが不適切だとされた場合、合祀の有効性が問われる可能性もある。
過去の行政手続きを年表としてまとめてみると以下の流れである。
66年2月 東条英機元首相らA級戦犯の祭神名票が神社に送られる。
その後、神社と厚生省の打ち合わせ会で一時は「合祀可」となる。
71年2月 厚生省が「56〜70年の間の靖国神社合祀事務協力に関する通知を廃止する」との通知を出す。
78年10月 松平永芳宮司(当時)の下で14人が合祀される。
つまり、いわゆるA級戦犯の合祀自体が無効だった可能性があるということを、手続きの不備を盾に、今更言い出しているということなのである。
もしも、この無効がオーソライズされて、日本人の大勢が納得すれば、「もともと合祀されていなかった、だから、中国や韓国に文句も言われず、閣僚も参拝が出来るようになる。めでたし、めでたし」ということになるのであろうか。
それだったら、78年から今まで、「A級戦犯」が合祀されているという理解で参拝していた人々の心はどうなるのであろうか。
無効、つまり勘違いしたまま、御霊に頭を下げ続けていたということになるのであろうか。
靖国神社は参拝者にとっては、あくまで信仰対象だ。そこに祀られている神々が祀られた手続き云々という問題はあまり関係がない。祀られていると思えば、祀られているものなのだ。こういうことを理屈に従って見なおしていたら、今後、つまらない問題がたくさん出てきそうな気もする。
もともと、日本の神道は、独特の曖昧さによって成り立っている。例えば、菅原道真を祀ってある全国の天神様は、現代こそ、学問の神様として信仰を集めているが、以前は商売繁盛、五穀豊穣の神だったのだ。それがいつの間にか、学問の神様となった。それに対して、誰が文句を言うわけではない。「まぁいいか」というおおらかな精神こそが日本の神道を支えているのである。
靖国神社の祭神にしても、実はその基準はあいまいだったりするのだ。一応、御国のために命を落とした人がその対象になるのだが。ここでちょっとしたクイズ。
「龍馬伝」で活躍する以下の幕末の志士で靖国神社に祀られているのが一人います。誰でしょうか。
1.岡田以蔵
2.桂小五郎
3.高杉晋作
4.西郷隆盛
5.近藤勇
答えは3番の高杉晋作だ。西郷も近藤も戦死だが、賊軍だから祀られていない。以蔵は、犯罪者扱いの刑死だから祀られておらず(一方、武市さんは志士扱いの刑死だから祀られている)、桂さんは病死だから祀られていない。
しかし、高杉は、病死なのに、なぜか祀られているのだ。一度祀られた人が「条件が満たされていない」ということで議論を始めたら、高杉が祀られているからおかしいということになってしまいかねないではないか。

僕は菅内閣が韓国に謝罪をしたタイミングで日本の神道のオリジナルな「いい加減さ」や、怨霊の思想も一緒に伝え、靖国神社参拝を主張すべきだと考えていた。これでまた、先の戦争で亡くなった方々の怨霊が御霊になるチャンスを失ったと思ったものである。
日本は別に精神的に「普通の国」にはなる必要がないというのが僕の考えである。
まさむね
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