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2010年9月22日 (水)

管総理再選に思う、「何もしないことの歓び」について



先週、管総理が再選された。たぶん大方の予想通りというところだろう。でも民主党議員の投票では管、小沢の票がかなり僅差で、今更ながら小沢支持の根強さも知らされた形だった。


 菅総理については以前書いたとおりで、特に期待することはない。おそらく官僚主導(協調しつつ)が残る、旧来型の自民政治に近いような政治になるのだろうと勝手に予測している。「元気な日本を回復する」というキャッチコピーもあるようだけど、けっきょく成長も狙い、国民のセーフティーネット(最小不幸)にも配慮しつつという、それこそいいとこ取り、なんでもありの政策パレードで、本当は何をしたいのか明確さにかける。それよりも今必要なのは衰退日本の道筋をいっそキチンと示すことで、それを示す勇気のあり様と言う点ではやはり小沢一郎のほうが何枚も上手だったと思う。小沢一郎の論点は一貫して国民の生活が第一、だった。良い悪いは別にして、だ。


経済成長しようが成長しまいが、国のかたちは依然残ってゆくとしたら、成長の次元と異なる形でどうやって国として存続させてゆくかを真剣に考えたほうがよい。今後ますます人口が減ってゆくかもしれないことを考えれば、普通に考えれば一人当たりの生産性を向上させるか、人口を増やす(移民を増やす)しか長い意味での成長を実現できる手立てはないだろう。数値目標にこだわる限りは。


生産性の向上がそんなに期待できないことを考えれば(これが進めば自動化等で国内の雇用がますます減ることになる)、まっとうな手立てはやはり移民を受け入れて成長を作ってゆく選択肢になるだろう。でも移民は嫌・困る、だけど成長は作りたいというのがいまの日本の大方の意見なのかもしれない。


最近見たジュリア・ロバーツ主演の映画で「食べて、祈って、恋をして」というのがあった。主人公の女性が最初イタリアに旅するのだが、そこでイタリア人たちがいう「何もしないことの歓び」という言葉に感動するシーンがある。これはイタリア人たちがアメリカ人の生き方と自分たちの生き方を比較して語る言葉で「アメリカ人たちは働くことばかりに夢中で何もしないことの歓びを知らない」、と。でもこの言葉はそのまま日本人にも当てはまると思う。


戦後の旬の日本人は誰でもが多かれ少なかれ復興とか再生とか発展とかをめざして何かをやらなければやらなければという想いで進んできたのかもしれない。その心情はいまも底のほうで連綿と続いているようにも思う。古くはオー、モーレツというコマーシャルもあったし、24時間戦えますか、というコマーシャルもあったっけ。


でも何かに急きたてられてばかりいるというのは一見大人の時間のように見えて、実は子供の時間であり、未成熟のなさる技なのではないか。「早く寝なさい、もっと勉強しなさい!」と子供時代によく言われたことを記憶している方も多いだろう。大人になればほんとうはもうそんなことを言うひとはいなくなるのだ。だから日本人こそもっと大人になり、「何もしないことの歓び」に悠々と感じ入り、急かされない生き方を考えるべき時が来ているのかもしれない。どうせなら悠々と没落してゆくこと。


だってイタリア人はローマ帝国の全盛時代をすぎてからもうかれこれ2000年近くも衰退の道にはいって何もしないことに歓びを見出して生きているんだから。それこそ、食べて、祈って、恋して、だ。でももしイタリア人がこの世にいなかったら、世界の中のどれだけがつまらない、味気ないものになっていたことか。素敵なファッションや車のデザインもなく、パスタもオペラもない社会。何もしないイタリア人はたいしたものだね。



よしむね





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