秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
今日は久しぶりに涼しかった。
もう、秋かと思わせるような天気だった。
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
「古今和歌集」の藤原敏行朝臣の歌である。訳すまでもないだろう。今日のような日は、1000年以上も前に創られたこんな歌が口をついて出てくる。おそらく日本人ならば誰でも理解できる感覚だと思う。
ちなみに、この藤原敏行(朝臣)は、藤原(朝臣)敏行ではないということで、比較的位の低い公家だったことがわかる。井沢元彦的に言えば、この藤原敏行朝臣のように「三十六歌仙」というようなところに選ばれるような人は、どこか不遇だったのかもしれない。彼の不遇な人生がそこはかとなく、この歌から感じとれないだろうか。
さて、話を戻す。こんな日だから敢えて言っておきたい。
日本の伝統というのはこういった歌に対する感性の連続性にあるのであって、明治維新以降ににわかに出来上がった偏狭なナショナリズムイデオロギーとは一線を画するものであると僕は思う。
さらにいえば、小学生に英語やコンピュータ、それに金融の初歩を学ばせようなどという目先のソロバン勘定よりも、こういった歌を一つでも多く、覚えさせたほうがよっぽど深い人生を生きられるのではないだろうか。
ただし、そのことを理解するのには、このような歌を30年間位、体の中で眠らせて醸造させなければならないのだ。
僕は個人的には、中学、高校と古典というのが全く苦手だった。むしろ、苦痛だった。なんで、こんなものを学ばされるのかとすら思った。だからこそ、今、後悔して、こんなことを言っているのである。
まさむね
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