日本の伝統を信じるからこそ外国人地方参政権に賛成
僕は外国人地方参政権に関しては、基本的な流れとしては賛成である。
と同時に、僕らは移民に関しても、より、寛容になるべきだと思っている。
正直なところ、僕の中には、一方で、鎖国に対して心情的に惹かれる部分もあるのだが、他方、日本にとって、移民を入れるというのももう一つの伝統であるということも指摘しておきたいとも思っている。
それは、日本という国は、長い歴史の中で、多くの移民を受け入れ、彼らの新しい技術や思想を吸収し、自分達独自のものとして発展させてきたという歴史を持っているからである。
古くは、神話時代の話であるが、僕はアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトが日本という国をオオクニヌシノミコトから譲られてから、神武天皇が誕生するまで、ホオリノミコト(山幸彦)、ウガヤフキアエズノミコトと間に二代はさまっていることが不思議でならなかった。何故、アマテラスの孫がすぐに神武天皇ではないのだろうか。
おそらく、彼らの妻にその鍵がある。ニニギも含めると、上記の三代にわたって、山の神と海の神達の血を入れなければ天皇家が初代を迎えることが出来なかったのではないかというのが僕の想像である。
つまり、山の神(国内の土豪)と海の神(海外の勢力)からの力なくしては、日本の国は出来なかったということを物語っているということなのである。
もう一つ例を挙げよう。平安時代の初期に書かれた「新撰姓氏録」という戸籍のような記録には、日本人の三十パーセントが渡来系の氏族だと記されているのである。その意味で、平城や平安の都は、現代以上に国際的な雰囲気があったに違いない。
しかし、その後、日本に渡ってきた帰化人(渡来人といってもいいけど)は、土着し、日本はいつの間にか「鎖国状態」となり、平安時代の末期には、ほとんどの氏族は源平藤橘の姓を名乗るようになった。僕には、それが日本という国の懐の深さではないかと思うのである。
しかし、いわゆる保守的な人々はこの外国人地方参政権に対して、かなりのアレルギーを持っているようだ。僕は(鎖国をしたいというようなことをたまに思ったりするもんだから)彼らの心情はわからないでもない。しかし、こんな時代だからこそ、逆に日本の風土、日本の国柄、そして日本の懐の深さ、そして日本人自身を信じることこそ、保守の名前に値するのではないかとも、一方で思うのであるがいかがであろうか。
まさむね
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