学園ドラマ「Q10」は今の高校生にも受けるのだろうか
僕は昔から、何故か学園ドラマが好きだ。特に学園祭を舞台にしたドラマが好きだ。
富田靖子主演の「BU・SU」、大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」、みんな学園祭を舞台に挫折し、そして成長していく。
土曜ドラマの「Q10」、今回はその学園祭の話である。
そして、テーマは「同じ風は二度と吹かない、その中で俺達は生きている...」
クライマックスは、自分に自信の無い女の子がミスコンのクラス代表に選ばれて、ステージの上で歌う「風」をBGMに、登場人物達が内面に抱えている問題を乗り越えようと、それぞれが葛藤するシーンである。
家が貧しくて授業料が払えず、先生から名前を呼んでもらえなかった少年。
その少年を「ヤバイ仕事」に引きもうとしたが、学生時代に活躍した陸上部での思い出に葛藤する先輩。
学生時代に自分のミスで甲子園にいけなかった過去を乗り越えようとする先生。
その他、ルービックキューブをしつづける引きこもりの女の子、ミスコンに出た女の子を好きな男の子、入院している男の子、先生の母親、そしてロボットのQ10に、佐藤健扮する平太...
このドラマが面白いのは、それぞれの人がそれぞれの内面を持って、それぞれに生きているという当たり前のことを描いているからだ。おそらく、観る人によっては、散漫とか詰め込みすぎなどというだろうが、僕はそうは思わない。
よく考えたら、この世界には主人公などいない。それぞれがそれぞれに生きているだけだ。
主人公という発想自体を相対化するテレビドラマ...これはあまりにも個性的だ。
しかし一方で、例えば、さきほど先輩が持ちかけた「ヤバイ仕事」とは何だったのか、とか、結局、ミスコンの結果はどうなったのか、あるいは先生が甲子園に行けなかったミスのシーンなど、ドラマの「正しい」作法に従うのであれば描かれていたであろう場面が小気味よく省略されている。
この詰め込みと省略の作法においても、この「Q10」は決定的に個性的なのである。
個性的なモノには、好き嫌いがつきものだ。
ミスコンに出た自信の無い女の子が兄に、「お前はブスだ」と言われるのを聞いていた同級生の赤い髪のロック少女は言う。
「お兄さんの言うことを信じるの?それとも自分を信じるの?」
そうだ。まさに、これはテレビ業界そのものが抱えるテーマなのかもしれない。つまりこんな風に置き換えることもできるのだ。
「視聴率を信じるの?それとも自分が面白いと思うことを信じるの?」
しかし、テレビ業界だけではない。これは、結局は現代日本という資本主義社会に生きる僕らの問題でもあるのだ。
このドラマの脚本を担当している木皿泉(二人組み)は、50歳代だという。
だからかもしれないが、「Q10」の視線はどこかノスタルジックである。初回には「戦争を知らない子供達」が流れ、今回ははしだのりひことシューベルトの「風」が流された。
おそらく青春という時間は、個々人が、子供から大人になるための時間として、近代以降の世界に生まれたものである。近代以前、子供は共同体における儀式を通して大人になった。しかし、共同体が崩壊した現代、成長の苦悩は、個々人が引き受けなくてはならないものになった。
それこそが青春というものである。
「風」は、その青春というものがいかに、寂しく、しかしかけがいのないものであることを歌った今から40年前の名曲だ。
「同じ風は二度と吹かない、その中で俺達は生きている...」
その曲とドラマの今回のテーマは見事にシンクロする。
それゆえに、僕らの年代には、心に訴えかけてくるドラマである「Q10」だが、現役の高校生にはどのように伝わっているのだろうか。
ちょっと、そんなことを知りたくなるようなドラマである。
まさむね
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