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2010年10月17日 (日)

「ビートルズ都市論」(3) 彼らには冷たかったロンドン

ビートルズが世界的な成功を収めるために、彼らはその本拠地をリバプールからロンドンに移した。しかし、そこは彼らにとってどうしても馴染めない街であった。「ビートルズ都市論」(福屋利信著)で、ハンブルグの次に取り上げるのがロンドンである。



僕は以前、ロンドンから汽車で1時間半位のケンブリッジという街に1ヶ月位寝泊りしたことがあった。ゲームの製作進行状況のチェックのために、現地に滞在したのだ。

その時、ある日本人女性に通訳についてもらった。彼女は時々、自分のことを語ってくれた。

彼女は日本にいた頃、美智子妃殿下と同級生であったいう。

そして美智子さまから結婚について相談され、「止めちゃいなさいよ」と助言したというが、結局、美智子さまは皇室に入られたというのだ。

この話がウソか本当かなどということは、今となっては確かめようもないが、そんな彼女は、ゲーム製作会社のスタッフ達が、どの階級出身者なのかを思いの他、気にしていて、僕にいちいち教えてくれたのを覚えている。

彼女いわく、言葉遣い、吸っているタバコ、読んでいる新聞、そしてなんと、身体の姿勢で、大体、その人の出身階級がわかるというのだ。

ゲーム製作会社というのは、出身階級というよりは好きで社員になっている人が比較的多い。逆に、だからこそ、裏では彼らはお互いの出身階級を確認しあい、無用なトラブルを避けるというのが暗黙のルールなのだ。だから、そういった階級詮索はむしろお互いのためなのだというのが彼女の話だった。

日本ではありえない話だが、それが階級社会のイギリスの現実なのであろう。その時僕は、そう思った。



僕が「ビートルズ都市論」の中で最も興味深く読んだのが実はこのロンドンの章である。

ビートルズの4人の中で、ロンドン子を恋人にしたのがポールとジョージである。ポールの相手は絵に描いたような上流階級の娘、ジェーン・アッシャー、ジョージの相手はトップモデルのパティ・ボイドである。二人は当時のロンドンの新しい価値観(この本の中ではスィンギングロンドンと表現している)を体現した娘であったのだ。

確かに、ジェーンもパティも、男性を陰で支え、従順に生きるような古い価値観の女性ではなかったようだ。二人とも当時としては、自立して生きることを当然と考えるような革新的な女性だったのである。

勿論、ビートルズ達はそういった革新性に対して、表面的には同調していたに違いない。しかし、彼女達、そしてビートルズ達の中には、そういった意識改革ではどうしても消すことの出来ない保守的な部分が残っていた。それがイギリスの階級制度なのである。

この本の中の下記の部分は僕にとっていささかショッキングだった。

パティはジョージの実家を初めて訪れたとき、「ジョージと私はお互いにかなり違った環境で育ったことに気づいた」と告白している。イギリス人には、常に他者の社会階層を何よりも優先的に意識する習慣が染み付いている。夫婦間であってもその習慣は働いてしまうのであろう。・・・そのことに罪悪感はないし、相手の階層が自分の階層と異なるとわかれば、相手の生活習慣を侵害しないように心がける。日本人にとってネガティブに捉えられがちなパティの告白は、イギリス社会においては日常の一部なのである。ビートルズは個人生活においては、結局のところ階級の壁を越えられなかった。


実のところ、僕は、彼らの作った歌の歌詞の中に、時々、どうしようもない保守性を感じることがある。

例えば、ジョンが作った「Run For Your Life」、ポールの「Another Girl」などが典型である。女性に対してジョンは時として暴力的だし、ポールは同様にあまりにも自分勝手な面があるのである。



それにしても、それはビートルズだけではない。僕らも、時として因習を引きずって生きていかざるを得ない。それは自分が意識をしようとしまいとそうしてしまうのである。

ビートルズの歌はそのメッセージとして「自分らしく生きる」ことを僕らに伝えてくれた。

しかし、それは簡単なことではない。「自分らしさ」というのは何なのか、本当に何の制約もない「自分らしい」ことなどあるのだろうか、そういった苦悩をもメッセージの裏側に貼り付けて僕らに投げつけたのがビートルズなのだ。

あまりにも有名な話であるが、1963年、「ロイヤルバラエティパフォーマンス」でジョンが「一般席の人々は拍手を、残りの人々は宝石をじゃらじゃらならしてください」と言った。そして、彼はそれを言った後に、微妙な笑顔をしながら、おそらく無意識だろう、首をすくめて、一瞬、低い姿勢になる。

僕は、その映像を見るたびに、ケンブリッジで会った通訳の女性が言った「姿勢を見れば階級がわかるのよ。」という言葉を思い出す。ジョンは「レボリューション」のメッセージとして、Change your head(君の頭を変えろ)と歌ったが、実は頭を変える以上に、咄嗟の身体の所作を変えることのほうがよほど難しいのかもしれないと思うのであった。



まさむね

「ビートルズ都市論」(1) 労働者の町・リバプール

「ビートルズ都市論」(2) 野生と知性の街ハンブルグ

「ビートルズ都市論」(3) 彼らには冷たかったロンドン

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