いろは丸事件と陸奥陽之助 〜「龍馬伝」を見て〜
「龍馬伝」に対して、様々な見方があると思うが、僕はどうしても陸奥宗光(陽之助)の立場から見てしまう。
「家紋主義宣言」にも書かせていただいたのだが、僕は以前、陸奥宗光のたった一人のお孫さんにあたる故・陸奥陽之助さん(宗光の通称と同じだから紛らわしいが)と親しくさせていただいたことがあったのだ。90年代の初めの頃だ。その陸奥さんは、当時でも90歳を超えていたが、威厳というか、雰囲気のある方で、どんな店に入っても店員がもみ手で入ってきて、「ご主人様いかがなさいましょう」というような態度をとる、さすが、元華族(侯爵)というのを感じずにおれないような方であった。
その陸奥さんのお爺様の若き頃の姿が、「龍馬伝」で描かれている。
僕が”陽之助”(平岡祐太)に思い入れしてしまうのはそのためなのである。
さて、今回の「龍馬伝」では、いわゆる「いろは丸事件」の回であった。この事件は、瀬戸内海を航行中の海援隊の船・いろは丸が、紀州藩の明光丸にぶつけられ沈没させられるという事件である。
当然、当時の常識では、御三家の舟と脱藩浪士の舟では格が違う。事件の顛末も”不公平”に行われるはずだった。ところが、龍馬が「万国公法」を持ち出したり、長崎の街で歌による世論誘導するなど、奇抜な作戦で結局は明光丸の非を認めさせ、8万両以上の賠償金をせしめるという話である。
身分が支配する封建社会から、法が支配する近代社会への大きな流れの中で、この事件の持つ意味は大きい。
いくら位が高くても悪いものは悪い。現代人からすれば当たり前の話であるが、法による秩序の時代へと向う日本を象徴する事件だったと言ってもいいのかもしれない。
それを考えるにつけ、先月起きた尖閣列島で起きた漁船衝突事件の「超法規的処置」がいかに理不尽なのかを、「龍馬伝」を見て、改めて思い至った視聴者も多かったかもしれない。もしかしたら、日本は、少なくとも国民の気概という点でかなり劣化しているのかもしれない...
さて、話を陸奥陽之助に戻す。以前、前述した陸奥さんからいただいた「陸奥宗光-没後百周年記念講演集-」には実は「いろは丸事件」についてはこう書かれている。
また慶応三年の海援隊発足直後の初仕事である、いろは丸の航海に陸奥は加わっていません。このいろは丸は陸奥の旧藩である紀州の藩船明光丸と衝突し、沈没するという悲運に遭い、この衝突事件の補償問題をめぐって、海援隊と紀州藩との間にひと騒動がおこり、相手が紀州であることから、陸奥は海援隊の同志の一部から、あらぬ疑いをかけられたりもしますが、ともかく陸奥は龍馬など、海援隊の同志が乗船していたいろは丸には乗っていなかったのです。
僕はこの文章が頭のどこかにあり、陸奥が海援隊の一部から疑いをかけられ苦悩するも、それを乗り越えて、交渉において活躍するという場面を勝手に想定していたのだが、いつも通り、ほとんどの美味しいところは龍馬に行ってしまい、僕のささやかな期待ははずれに終わってしまったのであった。
一応、陽之助の父親が元・紀州藩の勘定奉行だったのだが罷免されたなどの逸話は入ってはいたが、結局、通訳だけだからね、活躍の場面は...
まぁ、最近の「龍馬伝」は高杉晋作が戦場で三味線を弾いて歩くなど、史実云々すること自体が野暮な話になっているので、今回の件もまぁしかたがないと諦めるしかないのだろう。
ただ、ドラマとしては面白いから四捨五入して、今回の陽之助の扱いも許すとしようか。
まさむね
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