黒沢清の話からいつの間にか家紋の話
黒沢清が「日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)」の第三章「日本映画と未成熟」の中で、未成熟こそが日本的表現ではないかというような事を言っている。
つまり、映画をはじめとする日本的表現の多くは、自分勝手な子供が親に接する時のように未成熟だと思われてもしかたないのかもしれないというのだ。
何かを表現する上で、もしはっきりした「狙い」があるんだったら、それは徹底してあからさまに狙って、その目的を果たすのが成熟した大人の態度であり、またもし自分は何一つ狙っていないと言うなら、徹底して自分ひとりの価値観を貫けばいいのであって、相手に何かを期待するのは筋違い。
この欧米における子供&大人観が正しいとするならば、「成熟」の中身が日本と欧米とは全く逆ということになる。
これはある意味で面白い見方だと思った。
例えば、俳句の世界などでは、対象をいかにぼかして表現するか、つまり「ボケ」こそが達人の極意とされている。しかもそれは、ちょっとやそっとで達成できるような生半可なものではない。修行に修行を重ねて、ようやく、「ボケ」のリアリティを獲得できるのである。
逆に子供はいつもわかりやすい事を言う。ぼかして言わない。でも、それは子供の作法だから許される。
もしかしたら、大人になるというのは、こうやって自然に「ボケ」ることを身に着けることなのか。小林秀雄は、年をとれば、常識というのは自然に身につくと言ったが、それは曖昧な存在になっていくということに違いないのである。
家紋に話を移す。家紋というのは徹底的に具象的な世界だ。片喰、桐、藤、牡丹、茗荷、桜、梅、桔梗...みんな分りやすい植物である。
勿論、木瓜や巴のような謎の紋もあるが、ほとんどは、現実世界に存在するものを形象化したものである。
しかし、それぞれの紋にはそれぞれの物語がある。僕は拙著『家紋主義宣言』の中でそういった物語について語った。
片喰はソフトな反骨心であり、桐は大陸との齟齬、そして藤は地方の中央への依存と反発、茗荷は抑圧された願望、桜は死と国家主義、梅は怨念、そして桔梗は日本史を貫く天皇VSアンチ天皇の戦い、そういった様々な物語を内包しているのが家紋ではないのかという、この本は、ちょっとパラノイアチックな本なのだ。
しかし、そういった物語の一つ一つに日本人の特性が現れているところが面白いのである。
何故、西洋のエンブレムに描かれた鷲が、日本では鷹の羽として描かれてしまうのだろうか。これこそ、日本民族の個性ではないのか。
などと考えていたのだが、先日、とある方よりメールを頂き、古代朝鮮にも家紋のようなものがあったらしいという話をうかがった。
これは衝撃的な話だ。そして同時になんと興味深い話か。
可能であれば、古代朝鮮の家紋集を見てみたい。それは僕ら家紋主義者の想像心を楽しませてくれるに違いない。
家紋のルーツが古代朝鮮にあったとしたら、それはそれで僕は逆に朝鮮に対して親近感を覚える。
日本と大陸の全くちがった関係性を模索し、大陸と日本列島の地図を上下逆にしてみせたのは網野義彦氏であるが、僕はその話を聞いたとき、地図を見た時以来のワクワク感を覚えた。
まさむね
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