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2010年11月 7日 (日)

「Q10」が投げかける様々なメッセージに翻弄される僕

毎回、それぞれのメッセージを伝えてくる学園ドラマ「Q10」にハマっている。

ちなみに前回のメッセージは、「同じ風は二度と吹かない、その中で俺達は生きている...」であり、その前は、「人間、何を好きになってもいいんだ」というのが僕の一応の回答である。

勿論、それらの受け止め方は観る人それぞれであり、一義的ではない。僕だってもう一度みたら、それは変わっている可能性は高い。それがこのドラマのさらにユニークなところでもある。



さて、それでは今週のテーマは何だったのか。

人はなれるものになるのではなく、なりたいものになるんだ


これは、担任の小川先生(田中裕ニ)が、自分の進路をロッカーと告げた生徒・山本に対して言う「決め」の文句である。

物語の文法から言えば、今回のテーマとなるべきような場所に配置されたセリフだ。



しかし、実はこのセリフは、今回のドラマ全体の流れとは逆なメッセージであった。そこが面白くも変なところである。



では、ドラマ全体からのメッセージとは何か。それは、「他の人のために生きることが最も充実した生き方である」というものであった、と僕は思う。



そのロッカーの少女も病院の医者や看護婦達が献身的に働く姿に心を動かされたし、別の挿話では、主人公の平太(佐藤健)の父親が家計を助けためにダブルワークをしていたり、前回からぎこちなくも付き合いはじめた秀才・河合とお調子者・影山のカップルがそれぞれの進路に対して自分のためではなく、相手のためを慮ったりと、流れ全体はそちらの方向に進んでいたのだ。



しかし、脚本は、あえて逆のメッセージを小川先生に言わせた。



実は、その「人はなれるものになるのではなく、なりたいものになるのだ」というセリフは、直前に小川先生自身がオタクの生徒・中尾に言われたことである。ということは、このシーンは、実は、その言葉自体の底の浅さをメタ・メッセージとして伝えているのだ。



さらに、小川先生自身、柳先生(薬師丸ひろ子)のPCが上手く稼動する場所にただ座ることによって、なりたくはない自分ではあるが、他者の役に立つことによって充実感を味わう。

生徒に言っていることと自分の経験があきらかに矛盾しているのである。

このあたりのヒネリが、このドラマの面白いところなのだ。



おそらく、「人はなれるものになるのではなく、なりたいものになるんだ」というメッセージは、現代におけるメジャーな物言いである。個性化教育という言葉を持ち出すまでもなく、人は誰しもがユニークな存在であり、無限の可能性を持っている。そして自分の人生は自分の意志や欲望によって作っていくべきものだ、そういうテーゼはおおっぴらには誰も否定できない。

もちろん、テレビドラマの中でもそういった価値観は真っ向からは否定しがたい。そうった個々人の野心自体が自由な資本主義社会を、そしてテレビという産業を支えている根本的な思想だからである。

しかし、一方で、現代は、そういった「前向き」な価値観は少しづつ揺らいでいる時代でもあるのだ。

誰しもが、自分のなりたいものなどになれるわけがない、それどころかなりたいものがない、あるいは、もっと言えばなれるものにすらなれない現実がある。それが現代なのである。



実際、ドラマの中でもそういった観念が主人公の平太を襲う。彼は「どうせ俺なんか...」と自暴自棄になり自分の進路を決められない。するとロボットのQ10が涙を流す。

平太は謎の引きこもり少女・月子の「世界消滅論」に感化され、Q10のために生きていこう、つまり他者を守るために生きるのが大事なのだ=(「他の人のために生きることが最も充実した生き方である」)と悟る...



しかし、おそらく、その悟りは、小川先生が「人はなれるものになるのではなく、なりたいものになるのだ」というセリフを言ってしまったのと同じように、底の浅い一瞬の観念の気づきに過ぎないのかもしれない。次の日から、そういった観念とは別の大きな惰性的な日常が始まり、それぞれの人が、いろんなことを気づきながら、しかし忘れながら、生きていく、どうしようもない人間のあり方が、今回の本当のテーマだったのか...



といいながらも、実はまだ、よく咀嚼できていない。結局、何が言いたかったのか、今回は。それともそういった問い自体が不毛ということなのか。



まさむね

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