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2010年12月12日 (日)

「Q10」というドラマのルービックキューブ

「Q10」がいくつかの消化不良と、それなりの満足感を残して終わってしまった。

平太(佐藤健)が最終的には、世界平和(560万人の命)と引き換えにQ10のリセットボタンを押す。

今更言うまでも無いが、普通の人間とは違う"彼女"との関係性が世界の命運に直結している気弱な男子の学園ドラマといういわゆる「セカイ系ドラマ」の典型であった。



前回の放送で、目の前で、未来から来た少女・月子(福田麻由子)によって起こされた柳先生(薬師丸ひろ子)のタイムワープに恐れをなして、自分の意志とは無関係に、Q10のリセットボタンを押してしまった平太。

しかし、今回のボタン押下も、一見、自分の自由意志によってボタンを押下したようにも見えるが、実は、自分の目の前の幸せと、世界の幸せを天秤にかけさせられる、つまり脅迫されていたという点では、前回とは全く同じ構造なのである。しかも、今回の平太は、「誰かへの愛とは、結局世界への愛である」というかなり観念的な理念によってリセットボタンを押してしまうのだ。



はたして、前回と今回、平太は、一体、成長しているのだろうか...人間というものは、どこにあるかわからないような「民族」や「言語」や、誰だか分らないような560万人を救うために、自分の幸せを犠牲にすることなどできるのであろうか。



また、そういった理念的な脅迫によって、平太を追いつめる月子であるが、一方で、2010年に生きる人々が目に見えないものを信じているという未熟さに驚く。

しかし、彼女はまさに、平太が目覚める「世界への愛」という”2010年の未熟さ”を利用することによって任務を果たそうとするのだ。

これって、ちょっとおかしくね?



つまり僕が最終回のQ10に感じた消化不良はこんなところだ。



1)平太のリセットボタン押下は自由意志とはいえないのではないか

2)人は目の前の幸せを犠牲にして、目に見えない世界を救おうと思えるのか

3)目に見えないものを信じていない未来人が、自分が想像もしていなかった目に見えないものを信じているという現代人の性質を利用して任務を果たそうとする危うさ



ただ、そんな消化不良を差し引いても、僕は「Q10」というドラマに惹き付けられた。

それは、Q10の姿形を忘却した後もずって、自分がQ10というなんらかのものを好きだったという記憶によって支配され続けたという男という設定が面白かったのだ。



つまり、70年後に、自分(と妻)が、自分の青春時代に送り込んだロボットによって巻き起こされた青春の消された記憶によって、ずっと、その後の人生も不在の愛に支配され続けた男という設定。

もし、70年後に、自分達がロボットを送り込んでいなかったとしたら、自分の人生も変わっていたかもしれないという、どちらが原因でどちらが結果かわからないような人生の混沌。

そして、この構造を考えたときに宙吊りにされるような感覚。



それらこそ、Q10最終回の醍醐味だったと僕は思う。



ちょっと違うかもしれないが、おそらく、誰にだって、よく思い出せないが、過去のある時点で物凄く愛着があったもの、物凄く嫌悪していたものが、もしかしたら現在の自分を支配しているのではないかと思う瞬間に出会うことがあるだろう。

みんなも、このドラマで平太が味わった原因と結果の輪廻のほんの一部に触れたような感覚にたまに出会うことは無いだろうか。



それは、夢の中かもしれないし、仕事中の一瞬の出来事かもしれないし、通勤途中かもしれない。しかし、現実的にそんな瞬間がある。

僕はそれこそ、リアリティと呼びたいことがたびたびあるのである。



目に見えないものの中でリアリティのあるものとは、夢とか希望とか未来とかではなく、自分が忘れてしまった過去の夢や愛着や恐れなのではないだろうか。

だからこそ、僕にっとては、他の登場人物達、例えば、影山(賀来賢人)と河合(高畑充希)が自分を信じることをお互い確認したり、、藤丘(柄本時生)が来年のクリスマスでの父親に期待したり、久保(池松壮亮)と民子(蓮佛美沙子)が、いつか一緒に通学できることを夢みたりするという、いわゆる普通の「目に見えないものに対する信仰」よりも、平太の陥っているナイーブな袋小路の方が、心に残っているのだ。

このドラマを見ていてずっと気になっていた平太の暗さと、停滞感の正体はそういうことだったのかもしれない。



ただ僕はまだ、「Q10」というドラマのルービックキューブをまだ解けていないに違いない。

と一方では思っている。僕の心の中もまだ相当に、混沌としている。



まさむね

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