ビートルズとボブ・ディランの間には何があったのか
中山康樹氏の本は本当に面白い。
先日、「ビートルズとボブ・ディラン」を手にとった。
この本には、新しい事実が書かれているわけではないし、新説が展開されているわけではない。しかし、ビートルズとディランの動きを対比しながら意味ありげに書いていくだけで、そこに深みが出てくるから不思議である。
例えば、ビートルズがコンサーツツアーをやめ、ディランが交通事故に遭った時期の状況について中山氏は次のようにまとめる。
ボブ・ディランは、その事故の実態がどのようなものであれ、公衆の面前から姿を消した。ビートルズもまたコンサート活動を打ち切るというかたちで、スタジオの奥深い森の住人となる。12月には、ビートルズにとって現役時代の最初で最後となるベスト盤『オールディーズ』が発売される。翌67年3月には、ディランも初のベスト盤『グレーテスト・ヒッツ』を発売する。
何かが終わり、そして何かが始まる。
また、次の年についてこう書く。
ビートルズがペパー軍曹率いるロンリー・ハーツ・クラブ・バンドに扮し、幻想の世界を夢見心地で浮遊しているとき、ディランはウッドストックの小さな村に住み、子供達と大地に寝そべり、隣人と町の雑貨店に食糧の買出しに行っていた。
あとは、中山氏が作った「空白の箱」に何を入れるのかは、僕ら読者にまかされる。この放り出し方こそ、中山流文体の個性である。結論を書いてしまうのではなく、結論を想像させる、その技術はユニークだ。
僕は以前、「中山康樹はターザン山本だ ~『ビートルズの謎』書評~」というエントリーを書いたことがあったが、その考えは今も変わらない。二人の煽り方は、熱烈なファンを生む一方で、他方、嫌悪の対象ともなってしまう点が似ているのである。
勿論、僕は、二人の意味深な煽りの大ファンである。
まさむね
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