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2010年12月21日 (火)

まずは「いただきます」ということからはじめようと思った

最近、仕事の関係上、何人かの若い農業者と話をする機会があった。

彼らは、みな、先祖伝来の土地や環境の土台の上に、それぞれが創意工夫をこらし、努力をして、新しい日本の農業を作ろうと頑張っている。

自分が何をすべきなのかを分っている人の姿は凛々しい。そして、頼もしい。



ある米作農家の方は言っていた。(若干の創作あり)

米は手をかければかけるほど、美味しく成長する。今年の夏は暑かったでしょ。だから、二日に一度、田んぼに出ました。秋になって収穫の時、残念ながら米の発育はあまりよくなかった。でも食べてみたら思ったよりも美味しいんですよ、いつもの年よりも。僕は稲に感謝しました


もしかしたら彼が言わんとしていたこととは違うかもしれないが、「人間は稲を育てるだけで、最終的には稲がどう育つのかは稲が決める」というようなことではないかと僕は解釈した。

そして、その時に、僕の中にもある日本人としての長年の遺伝子と彼の言葉とが共鳴したような気がした。

これは大げさな話ではない。

そうだ、僕らの先祖も何千年にもわたって、こうやって、農業をやりつづけてきたのだ。

人事を尽くして天命を待つ、それは農耕民族であった僕らのあるべき生き方なのである。



今、日本の農業が危機だと言われている。しかし、僕が何人かの若い農業従事者に会って感じたのは、そんなこととは全く無縁なたくましさであった。

おそらく、大多数の兼業農家、そして農業者であるという「特権」にしがみつく人、さらに言えば、農業の周りに巣くう利権を持つ人々や団体、彼らにとってみれば、例えば、貿易の自由化は死活問題なのであろうが、本当に農業を発展させようと日々努力している農家にとっては逆に大きなチャンスにもなる話なのである。外国産の農産物が入ってくれば逆に彼らが作っているブランド品の価値があがるのは確かだ。しかも、彼らの農産物は海外へとも展開できるに違いない。

彼らの農産物は決して価格で勝負するようなレベルのものではないからだ。

そこから必然的にいえるのは、日本の農業政策は、彼らやる気のある若者がより、やる気が出るような方向に進めていくべきだということである。それは、決して、金をばら撒くことではないはずだ。



民主党の農家への個別補償政策が、単なる集票政策であることが明らかになった。一部では食えたものではないような小麦(のようなもの)の生産が、書類上の農業として補助金目当てで大量に作られているという。また、以前からの自民党による減反政策により、米を作らないと補助金が出るというシステムに安住してしまっている農家も多いという。

一体、いつからこんなふうになってしまったのだろうか。



勿論、そういった日本の農業に関してろくに考えもせず、生ごみを出し続けている僕ら都会の消費者もおおいに問題である。我ながら、何様のつもりだろうか。

おそらく、大事なのは、それぞれが、先祖伝来の日本文化を意識すること、そして、その基本に農業というものがあったということ、それを基点にして、日本全体のことを考えるような習慣を持つこと、さらに自分にとってというよりも日本にとってなにをすべきかを考える視点を持つことである。



そして、とりあえず明日から、食べる前にちゃんと「いただきます」ということ。まずはそこからはじめるべきなのかもしれないと思った。



まさむね

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