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2010年12月20日 (月)

海老蔵にとってはもう『助六』や『暫』を演じられなくなってしまったことが一番の問題だ

ちょっと古いが市川海老蔵の話をしてみたと思う。

あの日の真相はよくわからないが、結果として、六本木で男性グループとトラブルになり、殴られて左ほおを骨折する重傷を負ったのは事実である。



しかし、その際、暴力は振るっていないとか、土下座はしていないとか、そういうことはよく覚えているようだが、自宅へ帰ったのは無我夢中でよく覚えてないという。(ちなみに、帰りのタクシーでタクシー代を値切ったというのも覚えていないらしい)



この海老蔵という男、もともと酒癖が悪く、酔うと『俺は人間国宝だ』という自慢をしていたという話もある。もし、本当だとすれば世間的には最低な男である。

しかし、僕が一番気になったのは、今回の事件によって、彼が、ゆくゆくは市川団十郎の名跡を継ぎ、いわゆる歌舞伎十八番の『暫』や『助六』を演じる際に全く説得力がなくなってしまったということだ。

もともと、歌舞伎俳優というものはカブキ者、つまり不良なのだ。敢えて言えば河原乞食なのだ。通常の人ではない。逆に言えば、だからこそ、超人的な力(演技力)があり、さらにいえば、神に近い存在だと思われていたはずだ。

それが、今回の事件、そしてその後の記者会見で、海老蔵という男は喧嘩に弱い、そしてセコイ人間であることがバレしまった。

そんな人間がいくら舞台の上とはいえ、大勢の悪人の前へ一人で登場して「しばらく~」と言って、悪を蹴散らしたとして、一体、どんな説得力が出るというのだろうか。

逆に、特別演出として、舞台上でボコボコにやられた方がリアリティが出てしまうではないか。



結論を言ってしまえば、僕は今回の事件で、最も問題だったのは、海老蔵が喧嘩に負けたことだと思う。

それに比べれば、記者会見をキャンセルしたこと、そのくせ、一人で飲みにいったことなどは小さなことで、いうなればどうでもいいことだ。

だって、彼は、天に選ばれたカブキ者なのだから。



海老蔵が今すべきなのは、治療することでも、反省することではなくて、元暴走族に対して、堂々と果し状を出すことである。



まさむね

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