手袋をしたままで慰霊をする菅さんは現代日本人の姿そのものだ
菅首相は一体、何をしたくて総理大臣になったのだろうか。
就任の「最小不幸社会」というコンセプトは決して悪くは無いが、それは国のかたちを示すものとはいえない。
現代日本の最大の問題点の一つである国民が国家に依存しつづける体質を逆に補強するコンセプトのようにも感じられる。
それでいいのか。
自分は民主党政権が出来たときに、明治維新以来、ずっと解体され続けてきた地域社会の絆に変わる新しい日本人の絆を作る方向性が出来ることを期待したが、それは今となってはむなしい。勿論、150年かけて崩れたものが1年や2年で再生できるものではないことは確かだろうが、それにしても、理想像を示すことくらいはできるだろうと考えていたのだ。
鳩山首相、そして菅首相、どちらにしても、目の前の人の耳あたりのいい言葉を吐き、さまざまなところで矛盾を露呈しつづける。にっちもさっちもいかなくなる、そういったことの繰り返しだ。一体彼らは、何がしたくて総理大臣になったのであろうか。特に菅首相は、硫黄島に遺骨収集に行ったり、沖縄を空中から眺めたり、このところパフォーマンスが目立つ。特に硫黄島における跪いての慰霊姿は、手袋をしたままという、その場しのぎのボロが透けて見えて、情けないを通り越して、みっともない。
いまのままだと、「選挙の時にムードだけで投票するととんでもないことになる」ということを教えるために総理大臣になったと揶揄されるのがオチだろう。
しかし、僕はどうしても、民主党政権が自分自身の鏡のように見えて仕方がない。それは決して他人事ではない。
僕らにしても、何をしたくて生きているのか、何のために生きているのか、自分に何が出来るのかなどということに関して、考えてもいない。だから、勿論、明確ではない。
例えば、尖閣事件の対応に対して、政府を批判することは出来るが、一方では実生活上での中国に対して具体的なビジネスの場では、波風が立って欲しくないと思ったりする。
結局、腰が据わっていない政府の対応は、僕らの姿そのものなのだ。
何かをしたいと思っていても、何をしたらいいのかわからない。そうこうしているうちに、やらなければならないことに振り回される。
そして、根付いた知識もなく、あわててやるもんだから、すぐにボロがでてしまう。
僕にとっては、現政権に対する嫌悪感は自己嫌悪に近い。手袋姿で慰霊をする菅首相こそ、底の浅い僕ら現代人そのものの姿である。
まさむね
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