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2011年1月30日 (日)

僕を童心に帰してくれた「苗字から引く家紋の事典」

子供の頃に、親に買ってもらった玩具で遊びたくて、遊びたくて、学校が終わると走って家に帰って、夢中でそれで遊んだというような記憶は誰にでもあると思う。

実は僕はそんな子供と同じような気分を毎日味わっている。

今年で52歳になる僕のそんな「玩具」こそ「苗字から引く家紋の事典」(高澤等著)である。

この本は今月の24日に発売されるという情報があった。しかし、前々日、前日、そして当日になってもなかなかAmazonでの予約が出来ない。いつ入荷するのかわからないというのである。僕は、思わず出版社の東京堂出版のHPから、いつからAmazonで発売されるのかというお問い合わせをしてしまった。

それが夕方だったこともあり、24日には返事はいただけず、いてもたってもいられなくなってしまった僕は思わず、会社帰りに新宿の紀伊国屋に立ち寄り、この本を"本屋買い"してしまったのであった。帰りの西武新宿線は、勿論、空いている各駅停車に乗り、僕はこの本を1ページ1ページ眺めて至福の時間を過ごしたのであった。

おそらく、その車両に座っていた何人かの人は、その日、ニヤニヤして本に夢中になっている中年のオヤジを目撃したに違いない。



家に帰ると、目ざとく妻に見つかったこの本、次の朝、出勤時に持って出ようとしたのだが、さすがに止められた。

実はこの本には唯一の欠点があった。それは重いということである。腕の筋力に自信の無い僕は断念し、その本を家に置いて、家を出たのであった。



それ以来の数日間、僕は冒頭で書いたように小学生のような毎日を過ごしているのである。



さて、この本のが面白いのは、家紋というものを、時に家系図や家伝以上に、自分のルーツを暗黙のうちに語っているのではないかというその視点にある。

本の序文にはこう書かれてある。

しかし、家紋は系図上では失ってしまった真実を含んでいることもあり、時に本当の先祖を探るためのミッシングリンクの役目を果たすこともあるのだ。


これは僕が拙著『家紋主義宣言』でも言いたかったことよも通じる、それを僕の言葉で言えば、家紋こそ、「帰り道」の道標なのである。



例えば、僕の家の家紋は丸に片喰紋である。昨年、伯父さんに聞いたところ、祖母の紋付にその紋が着いていた、実はそれを唯一の手がかりにして、現在の西村家の墓石にその紋が彫られていたというのだ。

しかし、片喰紋は全国的にメジャーな紋である。その紋をして、先祖へのミッシングリンクを解き明かす強力ヒントになるとはとても思えない。

ところが、それが、苗字、そして家伝と組み合わせてみるとどうだろうか。

苗字から引く家紋の事典」の西村姓のページを見てみる。

すると、丸に片喰紋は、滋賀県甲賀市/宇多源氏佐々木氏族とあるではないか。それは近江源氏の流れという家伝とも一致している。

そして、西村家は代々、塩を商い、屋号として塩屋を称していたというもう一つの伝承を手がかりを持って、その塩屋(塩谷、塩治)のページを見てみるとそこにも、丸に片喰紋があり、宇多源氏佐々木氏流とあるではないか。

お~、僕の頭の中で、西村、塩屋宇多源氏、丸に片喰紋という四つがリンクされた瞬間があった。

勿論、僕も以前、先祖探しの仕事に関わっていたこともあるので、「失われた知恵の輪」はそんなに単純ではないということは百も承知であるが、この著書が一つの道筋を太くしてくれたというのは確かであると思うのであった。それだけでも僕は大満足である。



さて、この著書は、僕が個人的に調査している「有名人の家紋」と見比べることによって、さらに想像の世界を広げてくれる、これは楽しい。

しばらく、僕の小学生生活は続きそうである。



まさむね

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