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2011年2月 6日 (日)

実はベーシックインカムというのは凄くいいかもしれない

新卒者の内定率が70%を切ったというようなニュースがあった。

菅直人首相は一に雇用、二に雇用、三に雇用というようなことを言っていたが、どのように責任をとるつもりだろうか...などといっても仕方がない。

これは政府が何とかできるような問題、あるいはすべき問題ではないからである。

よく考えてみれば、大企業が生涯数億円とも言われている新卒者を、顔や大学名だけで購入する時代は終わりかけているのだ。

一方で新卒者が、公務員になったり、大企業に就職したいと考えるのは当たり前で、それを「保守的」だなどと批判しても、おそらく無意味だ。社会に出てみればわかるが、誰でも知っているような会社に一度でも籍を置くというのはいかにその人の財産になるのかということは極めて常識的なことである、多分。それはその人のやる気とか実力とは別なレベルでの財産なのだ、多分。

新卒採用にリスクを感じはじめている大企業と、大企業にしか就職したくない新卒者がいれば就職率がさがるのは当たり前なのである。

しかし、さらに考えてみれば、新卒者が就職できないということは、日本社会にはすでに労働力があり余っているということとも言えるのではないだろうか。日本全体のGDPは既に、日本人全員を食べていかせるのに十分に達してしまい、労働力はもう必要とされていないのかもしれないのである。

そう考えると、世の中には無駄な仕事があまりにもおおい。

例えば、Eコマースの世界での話、インターネット中にはすでに数十万店もの出店がある。そんなにEコマースの店は必要なのだろうか。

勿論、適度は競争は必要だろうが、例えば、書店などを考えてみれば、AMAZONがあるのだから、その他、2〜3社、サービスのいいシステムがあればそれで十分ではないのか。

そう考えると、ネットに出店している数十万店のうち、どれだけの店が日本社会としての無駄なのか、少しは想像はつく。

一方で、さらに無駄なのは公共事業だろう。何年か前に「私の仕事館」という子供に仕事とは何かを教えるための施設の無駄が話題になったことがあったが、もしかしたら、あの館は、日本における仕事のほどんどは、無駄を無駄と思わせない所作であるというメタメッセージを送るための館だったのかもしれない、とすら思うのであった。



最近、ネットなどで話題になっているベーシックインカムというシステムに興味がある。これは政府が、最低限生きられるだけのお金(例えば、5万円とか7万円とか)を無条件に国民に与えるという極めて単純な制度である。まだ、この地球上には存在しない理念的な制度であるが、僕は、マジに、このベーシックインカムというのはいいシステムではないのかと思うようになっている。

だって、先ほども述べたように、日本に存在する多くの仕事は実は、既に不必要になっているからだ。だから、この際、世の中を、労働に生きがいを感じて、一生懸命働いて、しかも必要な仕事をして、相応に儲ける人と、そうでない、最低限の生存を保障され、家で自分の好きなことをする人に分けてしまうというのはいいのかもしれない。

おそらく、多くの人はやりたくもない仕事を生活のためにやっているに違いない。現代社会に生きるそんな人々は一体幸せなのだろうか。また、一方でそうすれば、仕事を生きがいにしている人々も、嫌々仕事をしている人の顔を見ることもなくなり、ストレスは軽減するのではないだろうか。



僕は大学時代にマルクスの「ドイツイデオロギー」という著書を勉強した。卒論も、その本がテーマであった。そこには、理想社会では労働=自己実現になるべき、というようなことが書かれていた。

生きるための労働(=苦役)を一旦、見直し、最低限、生きられる保障を与えた上で、それぞれがそれぞれの人生を考え直す、というマルクスが理想とした社会が実は近づいているのかもしれないとすら考えるのである。そのための科学技術はかなり進歩しているのではないだろうか、実は。



もし、最低限の生活が保障されると、多くの若者は社会のために尽くそうと考えるのはちょっとオプティミスティックだろうか?

しかし、「人間は働かなければならない」という呪縛から逃れた瞬間に、幸せを感じる人は多いというのは事実のようにも思える。再び、大学時代の話だが、僕はゼミの教授から、「本当の幸せとは、社会とのふれあい、そして労働をする中で、その成果によって得られる尊いものだ」というようなことを言われ、心の中では、「仕事をしないで好きなことが出来ることが幸せ」ではないかと思いながらも、そんなものかと思ったという記憶がある。

あれから、30年も経ったが、教授が言われたことに、今でもそれほど納得しているわけではない。

もしかしたら、自分の方が正しかったのではないかとすら考えている。少なくとも、政府が無理矢理に仕事を作って、環境破壊をし、国の借金を増やすよりも、同じく借金を増やすのなら、ただ、国民にカネを巻いたほうが、公務員の仕事(裁量)も減るだろうし、多くの国民は幸せになるのではないかと夢想する日々である。違うかなぁ?



まさむね

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