「江〜姫たちの戦国〜」は痛快ではあるが、受験生にはオススメできない
NHKの今年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の視聴率がいいようだ。
僕も毎回、それなりに楽しく拝見しているのだが...
それにしも大河ドラマを見ているといつも考えさせられるのが、このシリーズにおいては、どの程度まで史実ではありえないようなことが許されるのかというその一線である。
「龍馬伝」も第二次長州征伐の戦場で、高杉晋作が三味線を弾きながら歩くなど、「面白い」シーンがあったが、今回の「江」は序盤から飛ばしてくれる。
言うまでも無く、江は、1573年の生まれ、本能寺の変の時点では9歳に過ぎない。
それにしては、信長に意見し、死ぬ間際に生き霊として現れたり、家康と一緒に苦難の伊賀越えをしたり、挙句の果てには、わざわざ野武士につかまり、安土城にいる明智光秀と会見するなど八面六臂の活躍である。
皮肉を込めて言えば、誠に痛快、しかし、受験生にはオススメできないドラマであるということか。
さて、微妙に興味深かったのが斎藤利三とのやりとりである。というのも、この利三の娘が後のお福(春日局)となり、ゆくゆくは、いわゆるお江のライバルとなるからである。
こうした未来の運命から逆算すると、初対面はなにかと伏線があるにちがいないという視線で見てしまうのだ。
この場面、利三は、お江から明らかに格下扱いを受けていた(相手にされていない)、一方、利三もお江を子供扱いしていた、ようするに、見事にすれ違っていたのだ。そして、僕の見る限り、伏線的な演出はなかった、そのように思えたのだがいかがであろうか。
まぁ、前記のような「大技」は、四捨五入すれば、ドラマとしては許せるとしても、僕の興味の中心である家紋に関しては、指摘しておきたい点がいくつかある。
というか、これは僕の以前から抱いている疑問が、秀吉が自家の家紋に桐を用いるようになったのはいつの時期なのであろうかというものである。
手元にある家紋関連の書物におけるそのあたりの箇所をいくつか引用してみよう。
織田信長の死後、天下を制した羽柴秀吉は、誇れるほどの氏を持たなかったことから、皇室に奏上して「豊臣」の姓を賜った。このとき、桐紋の使用も許された。(141P)「家紋散策」(家紋を楽しむ会)
豊臣氏が織田氏に替わって天下の政権を握ったとき、朝廷からは豊臣朝臣の姓とともに、菊桐の紋章を下賜された。(217P)
「日本家紋大鑑」能坂利雄著
〜その後、豊臣氏も朝廷から菊桐紋を賜り、〜(上巻の966P)
「姓氏家紋大辞典」千鹿野茂著
皇室や足利氏からは織田信長、羽柴秀吉にも下賜されたようで、特に秀吉は豊臣朝臣の姓とともに菊桐紋を賜ったと思われ〜(132P)
豊臣秀吉が天皇家より桐紋を下賜される以前に沢瀉紋を使用していた。(88P)
「家紋の事典」高澤等著
織田の跡を継いだ豊臣秀吉は、豊臣の姓を賜るとき一緒に桐紋も下賜されたと思われる。むろん彼の場合は朝廷からである。(146P)
「家紋事典」大隈三好著
多くの書物には、秀吉は朝廷から桐紋を下賜されたということが書かれている。だとするならば、現時点(羽柴の時代)の陣幕に桐紋が描かれているのは時代が早すぎるのではないだろうか。
昨年、僕は「龍馬伝」における西郷隆盛の抱き菊の葉に菊紋の使用時期に関して、NHKに質問したのだが、「調べます」との回答はいただいたが結局は、うやむやにされてしまったという経験がある。それゆえ、今年は質問しようかどうか少し迷っている。
また、微妙に嬉しく、しかし惜しいなぁと思った場面があった。それは明智光秀が謀反をすべきかどうか悩んでいる屋敷でのシーンで、その庭には紫色の桔梗が咲いていたのである。こういう細かい演出はいい感じだ。しかし、惜しむらくは、桔梗は秋の七草、花が咲くのは六月ではなく、もう少し後ではないのだろうか。
そういえば、昨年、7月中旬に、鎌倉瑞泉寺の大宅壮一の墓所に咲いていた桔梗の花は綺麗だったなぁ。
まさむね
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