千年の時を超えて坂東の民は将門の子孫を救えるか
今回の東日本大震災で被災した福島第一原発ののっぴきならない状態がいまだに続いているようだ。
僕は勿論、原子物理学の素人なので詳細なことはわからない。様々なニュースを見ながら、より被害が少なくて済むように祈るのみである。
それにしても、今回の事件があって、僕らが改めて気づかされたのが東京電力の原発がその管区ではなく、東北電力の管区にあったという冷たい現実である。つまり、僕ら(関東の人々)は原発による恩恵は頂きながら、そのリスクを東北に押し付け続けてきたのだ。
しかも、そしてその東北が本当に困っている時に、一方でなんとかしなければならないと思いながらも、もう一方で「みんながしているから」という空気によっていつもよりも沢山の食品を買ってしまう、さらに彼らを置いて逃げようという人も沢山いる、これも僕ら、庶民の姿なのである。
さて、話は変るが、全く個人的に気になっているのがこの福島第一原発のある双葉郡が、かつて相馬中村藩の領内だったこと、そして、この藩の藩主の相馬氏が平将門の子孫であったということである。その名残として、例えば、この地は、現在でも相馬野馬追いという祭りで、将門伝来の勇猛さを現在に伝えている。
そして、この相馬という土地はそんな勇猛さとは別の一面として、民謡の宝庫とも言われている。「相馬流れ山」と並んで著名は「相馬二遍返し」という唄には、こんな一節がある。
相馬、相馬と木萱(きかや)もなびく なびく木萱に花が咲く
伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に
相馬、相馬と木萱の枝に 義理と人情の花が咲く

日本人の中に流れてる相互扶助の精神には長い歴史がある。そしてその相互扶助というものは「かわいそうだ」という人情と同時に、「こちらもつらいけど、何とかしなければならない」という義理の上に成り立っている。そんなことを感じさせるエピソードである。
そして、おそらくその時の忍苦が、このような土地誉めの唄を生み出したのではないだろうか。
話は変るが、今回の地震以降、検索エンジンから、「平将門」というキーワードによって本ブログに立ち寄ってくれる人が増えている。意識的にか無意識的にか、大災害と将門の怨念というものを、どこかで結び付けている人が多いということだろうか。
石原都知事は、この災害に対して「天罰だと思う」という発言をして顰蹙を買った。勿論、知事という立場、そして現在も多くの人が苦しんでいるという現状を考え合わせれば最悪の類の発言であることは確かではあるが、災害に対して人知を超えた「何か」を感じる感性というレベルでいえば、僕らには共有するものが無いとは言えないと思っている。
さて、さらにまた話が変るが、井沢元彦氏はその数々の著作で日本史における怨霊について語っている。聖徳太子、早良親王、菅原道真、崇徳上皇など、後に怨霊となった人々の多くはライバル達の姦計によって陥れられた人々であるという。しかし、将門という日本史最大級の怨霊は「誰に」陥れられたのかという話は出てこない。さらに言えば、何故、将門が後に神として崇拝されたのかという点に関しての考察もどこか甘いような気がするのだ。
例えば、井沢氏の主著である「逆説の日本史−4(第四章『反逆者』平将門編)」のなかにはこんな記述がある。
将門の時代は、摂関政治の矛盾が頂点に達し民衆を苦しめていた。だからこそ、将門は支持され、滅び去った後も「明神」として崇め奉られたのだ。
ようするに、将門は民衆の味方だったから神になったということである。
しかし、本当にそれだけなのであろうか。
これに関して、「平将門−その史実と伝説(伊藤晃著)」では、井沢氏の怨霊史とは全く別の文脈ではあるが、その末尾に大変、面白い指摘があったので記しておきたいと思う。
思えば、腐敗した貴族政治の最大の被害者は、「国の人」とさげすまれた地方人、民衆にほかならず、おごれる人々と対決するための、坂東の人びとの「親皇」欲求は、多分嘘ではなかったろう。だが、その民衆は、なお権威や眼前の利益に弱い、一人ひとりでしかなかった。「新皇」宣言に歓喜した民衆は、将門が最後の決戦の際に、いくら招いても呼んでも来ない民衆でもあった。人のいい将門は、目のくらむような高所に上らされ、挙句の果てにはしごをはずされたしまったのである。
民衆は、将門を裏切ったといえる。本書は、むかしから坂東一帯にあった将門の人気、将門への同情などから述べはじめた。将門を神と祀り、あるいは尊崇する習俗。結びとしてのその秘密を、まずは最も人間的な人間、人のいい将門なればこそと断じ、さらには、それを裏切った民衆の懺悔の思いがあってのことと、著者は見たい。
つまり、民衆は、将門を慕っていたが、最終的には、裏切った。そしてその裏切りから来る懺悔が将門信仰の核にあるということだ。
先ほどの怨霊達と並べてみると、聖徳太子は蘇我氏の、早良親王は桓武天皇の、菅原道真は藤原氏の、崇徳上皇は天皇家(後白河天皇系)の、そして平将門は坂東の民衆の、それぞれ「後ろめたさ」の裏返しとして怨霊→御霊として神化されてったのではないだろうか。
僕は、最後の決戦の時に平将門を見捨てた民衆(権威や眼前の利益に弱い民衆)と、今回の震災で、ある種の「空気」の中で物資の買占めに走ってしまった現代日本人とは確実につながっているような気がしてならない。
しかし、野球で言えば、まだ一回の表が終わったばかりだ。
僕ら、関東の民衆は、千年の時を超えて、最終的に原発の被害にあってしまった相馬の人びと(将門の子孫)を、人情のレベルだけではなく義理のレベルにおいても、助けられるかどうかはまだこれからにかかっている。
まさむね
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