「みんなウソだった」というジョンレノンの遺伝子
斉藤和義がUstreamで流した「みんなウソだった」という反原発ソングが話題となっている。
それがYOUTUBEで拡散して、物凄い数の再生数になっている。
おそらく、権利元であろうレコード会社などは必死に削除依頼をしているのだろうが、まるでイタチごっこのように動画が増殖している。
IT時代となり、YOUTUBEが当たり前になってから、斉藤さんレベルの著名なアーティストが反社会的な楽曲をネットに上げ、それが増殖するというのは、日本では新しいことだ。どうなっていくのか、行く末が楽しみである。
アーティストが自分が思った考えを、自由に歌で表現する。よく考えたらそれは当然の権利だ。80年代以降、ロックミュージックが大きなビジネスとなり、J-POPとなっていくにつれ本来、音楽が持っていたメッセージ性がどんどん失われていった。一方で、ユーザーもそういったメッセージ性を求めなくなったという背景もあり、僕なんかは漠然とそれが時代の流れだと思っていた。
しかし、今回の斉藤さんの行動はそういった漠然とした流れにガツンという衝撃を与えてくれた。そうだ、ロックというのはもともとそういう表現形式だったのだという当たり前の話が衝撃を与えてくれたのだ。
勿論、多くの芸能人が今回の震災で義捐金を送ったり、実際に炊き出しなどに参加するのは素晴らしい行動であるが、斉藤さんが負ったリスクはそれとは全く別次元の快挙だと僕は思ったのである。
それにしても、事務所、レコード会社、「ずっとすきだった」という楽曲をCMソングに採用していた企業、おそらくその間に入っている広告代理店、それらの人たちはそれなりにバタバタするであろうし、それはそれで結構、面倒なことになるのかもしれない。
さらに、今後、メディアでの露出は無くなるかもしれない。
しかし、それでも斉藤さんは、そういった面倒を四捨五入して自分の考えを歌で表現したのである。まったく勇気のある行動だ。
忌野清志郎へのオマージュを込めた歌といも言われているが、僕には彼の行動に、ジョンレノンの遺伝子を感じたりもする。
ここでは彼の歌の内容に関しては特に触れない。それはみなさんが個々人で聴いて、個々人で判断してほしい。
まさむね
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