「マンガ産業論」で気になった、何故日本人は大人もマンガを読むのかというところ
出版業界が危機だという話をよく耳にする。若者の活字離れとか、出版点数の増加が逆に出版社の首を絞めているとか。
しかも、出版業界の切り札的存在であったマンガからも段々読者が離れているという話もある。
1990年代の中ごろからマンガ雑誌の売上げが落ちているかと思えば、ゼロ年代には単行本の売上げも落ちている。
このままだと日本の数少ない輸出できるコンテンツが枯渇してしまうのではないかとの声もある。
そういえば、最近、電車の中でもマンガ雑誌を手にしている人が少なくなった。このまま日本のマンガ業界は本当に衰退してしまうのであろうか。
さて、そんな日本のマンガを産業として捉え、その歴史を探りながら、衰退の原因を探っていこうという一つの試みが「マンガ産業論」である。
しかし、僕はこの本を読んで、興味を抱いたのは、そんな客観的なマンガ史のところよりも、逆に何故、日本にだけマンガ文化が花開いたのかという、その日本独自の歴史に関してであった。
よくよく考えてみればそうである。この「マンガ産業論」の冒頭の「大人がマンガを読む不思議な国」にも書かれているが、何故、日本にだけマンガが全世代にわたって根付いているのかという点は、意外に解明されていない謎なのである。
勿論、この本にもそのあたりの分析はされている。時は1960年代の末頃の話だ。それまでは、日本も諸外国と同様に、マンガは子供が読む物だった。しかし、この時期から徐々にマンガは大人も読むものになっていったという。
その理由はこうだ。
60年代に、それまで親が買い与えていたマンガを子供が自ら購入するようになったこと、つまり、彼らが「読者」から「消費者」になったことだというのである。
それは、経済成長とともに、彼らの”懐”が豊かになっていったことが第一。そして第二に、その時期にちょうど家族関係が変質し、大人が子供のしつけや教育に直接手が回らなくなったということ。この2点によって、マンガが小学生から、中高生、そして大学生の娯楽として発展したというのだ。
こんな簡単に、子供と大人の壁はいとも簡単に崩れてしまったということなのだろうか。
それにしても、いとも簡単といえば、戦後日本はいとも簡単に大人が折れる国でもある。子供に甘いという言い方もあるかもしれないが逆に、子供のしつけに関して大人のイデオロギーが脆弱すぎるということもあるような気がする。先日、JUN LEMONさんが主催する「THE BEATLES PARTY」に参加させていただいたのだが、そこで、ビートルズ来日当時の頑固親父VSビートルズファンの若い女性達の討論のフィルムを見る機会をいただいた。
そこでは当時の頑固親父達(細川隆元?)は、ただ、「そんな音楽を聴いていると頭が変になる」的な理論とも言えないような偏見に満ちた言葉しか言えていなかった。これでは駄目だ。
いまとなっては、全く説得力が無い。これが当時のご意見番だとしたら、寒いの一言である。案の定、現在ではそんなことを言うような大人は絶滅した。
これは、戦後、日本人は大人の理論というのを持っていなかったことの一つの証拠ではないのか。
さて、話をマンガに戻す。
実は、僕は「マンガ産業論」で言われている日本人は大人もマンガ文化を受容している背景には、日本のオリジナルな歴史があるのではないかと考えている。それは子供に対して寛容な文化だったり、絵画に対するアニミスティックな感性だったり、理性的に物事を考えることを抑圧する共同体自体の同調圧力だったり、個人の一貫した個性よりも多様なキャラの個性を重視する文化だったり、真実に対する曖昧な対応だったり、そういったものが渾然一体となってマンガ文化の背景にあるような気もしているのである。
そして、昨今のグローバル化の流れの中で、苛烈な資本主義社会が全世界を覆う状況で、この未成熟さへの寛容が全世界の若者のある種、避難場所となっているという指摘もある。
これからが、日本のマンガ文化=オタク文化が世界に貢献できるかもしれないときなのに、一方でささやかれている日本マンガの衰退という話は大変、もったいない。
まさむね
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