僕はまず青山霊園に向った(失業日記Part2)
昨日、朝4時に起きて、青山霊園に向かった。
急遽誘ったTBCのO君(彼の失職中)との約束は8時だから、別にそんな早い時間に起きる必要は全く無いのだが、逆に言えば、せっかく起きたのに寝ている意味も無いと思ったのだ。
今までは、やはり仕事のことを考えるとどうしても、過度の疲労を避けていたのだが、もう今は違う。
時間がもったいなくて仕方が無いのである。
「翌日のことを考えて、時間があれば寝ていよう」から、「寝るのがもったいないから起きて好きなことをしよう。」これが失職してからの心の変化だ。
青山霊園に着いたのが6時前。僕は人気(ひとけ)の無い霊園を歩き回った。
過去、何度も足を運んでいる場所ではあるが、最近、購入したスマホで家紋の写真を撮りなおしたかったのである。
するといきなり頭に何かがぶつかってきた。カラスだ。早朝の珍客にカラスの手荒い挨拶か。
さて、墓を回ってみると、予想以上に震災の被害があることに改めておどろく(左画)。特に戦前からの石灯篭に被害が大きいようだ。
まぁ、まだ余震が続く中、立て直すことも出来ないのであろう。
その中でも明治維新の立役者であり、現在までも連綿と続く官僚組織の基礎を作った大久保利通の墓所では、左右の石灯篭の頭が落ちてしまっていた(右画)。ちょっと無残な感じだ。
現代は、まさしく日本が迎えた何度目かの大変革の時期である。
多くの人が指摘しているが、それは、おそらく明治以来の中央集権国家(=官僚国家)の終焉になるに違いない。
おそらくそのことは、今回の震災に対する国の対応のお粗末さによって、国民の多くも薄々感じはじめているのではないだろうか。
民主党が政権交代時に主張した「任せる政治から、引き受ける政治へ」か...
多少、皮肉を込めて言うならば、今回の彼らの杜撰さは、民主党政権が自らの身を持って、その理念を国民に知らしめるための壮大なパフォーマンスなのかもしれない。
もう国に何かしてもらう時代ではない。これからは一人一人が自立して生きていかなければならない時代、その意味で、大久保利通の墓所の石灯篭の崩壊は、僕には来るべき近未来を象徴的に表しているようにも見えたのである。
さて、そんなことも考えながら、僕は霊園を回った。本当に充実した時間である。気がついたら、アッという間に13:00だ。まだまだ行けるぞ。
一段落し、続けて、青山霊園近くの梅窓院行こうかどうか、O君と相談する。
普段だったら、、僕のほうがすぐにヘタり込んでしまうのだが、今日は逆だった。
「疲れたから、また今度にしましょう」というO君を説得して、僕らは梅窓院に向うことにしたのである...
日本家紋普及協会・大老のしんゆうさんが最近、ご自身のブログ「家紋高校生」で「一自行生」というコンセプトを提唱されていた。これは自分が好きなことをして生きるという意味であるが、全くその通りだ。しばらくの期間かもしれないが、僕はその言葉を生きてみようと思っている。
家に帰ると、いつもの通り、妻が待っていた。
「何時、家を出たの?全然、気がつかなかった」と妻。
「朝、4時半位かな。6時に青山霊園に着いたんだ」と答える。
「歳をとったから早く起きるようになったんだね」と笑う妻。
その大笑いすら快感となる一日であった。
まさむね
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