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2011年7月10日 (日)

「江~姫たちの戦国~」において気になる利休の台詞とNHKの価値

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」、先週の日曜日は「マルモのおきて」にテレビが独占されていた関係上、昨日の土曜日の再放送を観た。

千利休(石坂浩二)の切腹と、朝鮮出兵の始まりというところが今回のテーマである。これは見逃せまい。



驚いたのは、利休が謹慎場所へ、お江(上野樹里)と秀勝(AKIRA)が炭の納入業者として忍び込むシーン。ここまでやるかという感じだ。

その場所の入り口で彼女達を通すのが愛の兜印に、背中に三つ盛亀甲の武将、つまり直江兼続、変なところに凝っているのには笑える。

ただし、演じる俳優はわからない。

全国の視聴者の何割が、「おっ兼続!」と身を乗り出したことだろうか。勿論、恥ずかしながら僕もその一人であった。



さて、利休と無事、面会できたお江であるが、そこで利休最後の茶をお江にもてなす。

そして、利休は言うのだ。

「皆が笑って暮らせるような世の中にしてほしい。」(多分、そんなような台詞であった。)



さて、この台詞どこかで聞いたことがある。

そうだ、「龍馬伝」で坂本龍馬(福山雅治)が、お元(蒼井優)に言った台詞に酷似しているのだ。

あの時も「みんなが笑って暮らせる世の中」という言葉に僕は違和感を感じたのを急に思い出してしまった。



おそらく、NHKドラマ班にとって「みんなが笑って暮らせる世の中」というのこそ、時代が変わろうが、人が変わろうが、常に正しい価値観であり、その価値の大事さを視聴者に啓蒙するのが、ドラマのリアリティよりも大事な役割という自覚があるのであろう。



勿論、僕もその価値観に反対する理由もないし、基本的には賛成ではあるが、こうして、時代性、状況、個性を無視して、時代劇の中に(敢えて言えば)イデオロギーを刷り込んでくるのはいかがなものかというのが素直な感想である。



どうせなら、いつの日にか、大東亜戦争を大河ドラマで描き、その時に例えば、山本五十六に同じような台詞を言わせるような日が来ることを期待したいのだが、それはなかなか難しいのかもしれない。それは、戦前、戦中の価値を否定した土台の上に、現在のNHKをはじめとするマスメディアが君臨しているのであるからである。



しかし、いわゆる「戦後」の欺瞞を配し、新しい時代を作ろうとするのであれば、そういった日は遅かれ早かれ、来ざるを得ない、というのが僕の考えである。



さて、次に語りたいのが、秀吉の朝鮮出兵の動機についてである。「江~姫たちの戦国~」においては、それは鶴松を失った秀吉(岸谷五朗)の「狂気の沙汰」として扱っていた。他の全員が反対したのに、独裁者の思いつき(あるいは、悲しみを紛らわすため)によって、朝鮮出兵を敢行したという筋書きである。

勿論、お江は他の人以上に秀吉に食い下がる。それこそが、正しい大河の主役としての正しい姿勢であると言わんばかりに。



この秀吉の「狂気の沙汰」を見ていると、いわゆる過去の「いまわしい戦争」の原因を誰かに押し付けるというNHKのスタンスは、朝鮮出兵に対するスタンスも、大東亜戦争に対するスタンスも同じということだろう。

いい政策か、悪い政策かは別にして、例えば、戦国の世が終わり、多くの浪人を生み出した社会不安を外に逸らし、浪人達の雇用対策としての朝鮮出兵という観点(確か堺屋太一氏など)や、イスパニア、ポルトガル、オランダ等、当時の欧州の植民地主義の影響などといった視点は持てないものだろうかと思ってしまう僕がひねくれているのだろうか。



まさむね

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