日本が韓国に謝罪すべきことがあるとすれば、それは戦後「神話」の共犯に対してである
先週、「朝ドラ「おひさま」の進歩と戦後の自己欺瞞について」というエントリーを書いたのであるが、僕はある国家が独立(建国)をしたり、苦境から立ち直る時には多かれ少なかれ、この「自己欺瞞」というのものをせざるを得ないものではないかと考えている。
それは必ずしも、悪いものではないのだ。確かに、「欺瞞」という言い方には、ネガティブなニュアンスがあるので、敢えて選ぶとすれば、「神話」という言い方のほうがロマンチックでいいのかもしれない。
前回のエントリーを言い換えてみるならば、戦後日本の繁栄は、先の戦争は軍部によって強制的に起こされたという「神話」の上に成り立っていたという言い方も可能だと思う。ちなみに、その「神話」は別名、「平和国家神話」と言い換えてもいいかもしれない。
そして、外国軍が国内に駐留したままで、非核三原則でノーベル平和賞までもらいながら、実際は米国の核の傘下で経済的繁栄を謳歌したのだから、おそらく、多くの日本人はその「神話」を支持したのは事実だろうし、そのおかげで今日の僕らがあるというのも事実である。
しかし、幸か不幸か、2011年の現在、その「神話」は相当なほころびが見えてきたようにも思える。おそらく、昨今の民主党政権の体たらくはそのほころびの結果なのである。
今後、僕らは新しい「神話」を作れるのか、あるいは「神話」無き、ダラダラとして日常のうちにゆっくりとした衰退の道を行くのだろうか、実は、僕にはまだよくわからない。
さて、日本が戦後、そういった平和国家神話に身を預けて経済発展を遂げた一方で、実はその「神話」を側面から補強していたのが、韓国や北朝鮮が抱いた戦後、日本の支配から独立したという、もう一つの「神話」であったことも付け加えておきたい。
簡単に言えば、韓国、北朝鮮は、いわゆる日帝36年の抑圧をはねのけて、独立を勝ち取ったという「神話」のために、日本植民地時代は悲惨であったという別の「神話」を創ったのだし、それ以前の李氏朝鮮は、近代化直前の立派な国であったという「神話」を創ったのである。
現実に目を向ければ、日本植民地時代には、一部、両班を中心とした反日運動や逸れに対する弾圧があったり、あるいは創氏改名や日本語の強制、皇民化教育は、朝鮮人のプライドを傷つけてしまったという事実はあると思われるが、それでも、その36年の間に、半島の人口は約2倍になっているし、識字率も6倍強になっている。京城帝国大学が作られたり、インフラ整備も進んだという、そういう一面もあるのだ。また、戦後、日本は別に朝鮮人と戦ったわけではない。つまり、彼らは自分達の手で独立を勝ち取ったのではなく、日本人が半島から引き上げた後、北はソ連、南はアメリカからの支援によって、それぞれ国を作ったのである。それは、ほぼ事実だろう。
しかし、戦後、そういったポジティブな面を抑圧し、先に言ったような「神話」を作ることによって、韓国も北朝鮮も国家を作ろうとしたのである。勿論、それを一概には悪いことということは出来ないだろう。
おそらく、民族国家を創るというのはそういったある種の神話化作業というのはどうしても避けて通ることが出来ないものだからだ。
そして、朝鮮人の思惑は、戦前を否定することによって、戦後の新しい社会を作ろうとした戦後の日本人の思惑とも一致してしまったのである。
韓国や北朝鮮が「神話」に基づいて、日本に謝罪を求め続ける半面、日本は日本の「神話」(というより、「神話」を前提とした繁栄)を守るために、とりあえず、謝罪し続けるといういびつな共犯関係(共神話構築作業)が続いてしまったのである。
しかし、この「神話」というものには耐用年数があるのではないかというのが最近、僕が考えていることである。おそらく、日本は、いずれはそこから抜け出して、新しい「神話」を作らなければやっていけない。そして、今こそ、その耐用年数が切れかけてきたのではないかと思うのである。
新しい時代を迎えるには、日本は、戦後の「神話」の欺瞞を反省する時期に来ているのかもしれない。(韓国や北朝鮮はちょっとまだ無理っぽいけど)
日本が、韓国や北朝鮮に謝罪すべきことが、今、あるとすれば、戦前、戦中の植民地支配云々ではなく、戦後の「神話」の共犯関係に対してだと僕は思うのである。
まさむね
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