NHKの9時ニュースで野田首相の記者会見を見て
本日、20:00、野田佳彦首相は、TPP・参加のための協議に入ることを発表しました。
実は、今日の夕方(16:00頃)、僕は、「坂の上の雲」を見ようとテレビの前に座っていたのですが、ドラマは一向に始まらず、国会中継が放送されていました。とりあえず、チャンネルはそのままに見ていたのですが、野田首相は、社民党の福島さん達の質問に、ただじっと耐えているという感じでしたね。
「おそらく、これがこの首相の作戦なのでしょう。」僕はすぐにそう思いました。
「相手に言いたいことを言わせて、自分は、完全に感情を抑えて下手に出る、そして時間が来るのを待つ」
まぁ、国会答弁に期待するほうが間違っているのかもしれませんが、それはあまりにも普通の、いつもの光景でしたね。
そして、20:00からの記者会見、僕と妻はNHKの9時のニュースで見ました。
内容に関しては、これもまた、見事に予定調和的でした。また、記者からの質問も、凡庸で取るに足りないものでした。
ただ、内容には、あまり関係ないことなのですが一つだけ気になったのは、他の記者は社名と名前を名乗るシーンは放送されたのですが、自由報道協会の岩上さんが質問をしたときだけ、質問内容は報道されたのに、名乗りのシーンの映像はカットされていたということです。
もしかしたら、いつものことかもしれないのですが、テレビのニュースを見る習慣のない僕や妻にとっては、ちょっと奇異に感じました。あくまでも、記者クラブメディアは、フリーランスの存在を知られたくないということなのでしょうね。
また、その後の政界の動きですが、野田首相が、「参加」を明言したのではなく、あくまでも「参加協議」に入るということを言っただけだったということで、慎重派議員たち(原口さんや山田さん)は、一様に満足げな表情で会見に応じていました。
彼らの態度は、それまでの反対態度に比べると、生ぬるい感じは否めなかったのですが、まぁ、それが日本の伝統的な話合いの後の風景ということなのでしょう。
そんなことを今日は書いてみたいと思います。
実は、僕が先日から繰り返し引用している『忘れられた日本人』という本の中にも、村の集会の様子が記述されているところがあるんですね。
日本(特に西日本)における村の寄り合いでの話合いに関してです。村で何か問題が起きると、村人達は、納得がいくまで話し合ったということです。宮本氏は、その様子を以下のように記しています。
話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。
こうして話をしていると、大抵の問題も三日で話がついたということなのです。
また、別の箇所には、こうも記されています。
話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。
なるほど、今回の野田首相の会見の一日延ばしというのは、極めて伝統的な日本的な作法だったという事なのですね。
つまり、日本の伝統では、とにかく話合いをしていれば、おのずと結論が出てくるとということなのでしょう。
これは、いわゆる話合い至上主義ということです。僕はそれは、民主主義とはどこか違うような気がします。民主主義であれば、議論が出尽くせば、結論は多数決で決められるのが本筋なのですが、話合い至上主義は、長時間話し合っていれば、おのずと結論が出てくるはず、といったある意味、信仰に近い観念があるように思うからです。
ようするに、野田首相としては、「皆さんのお気持ちは十分わかりました。後は、私に任せてください、悪いようにはいたしません」ということで了解をとったのでしょうね。極めて日本的な決着手法ではないですか。
しかし、これから交渉しなければならない相手は、日本の流儀が通じない外人です。
大丈夫かなぁと思いつつ、とりあえず、多くの反対派は、見守ることしか出来ないでしょう。
「決まったことには従う」、それもまた、日本の流儀ですからね。
まさむね
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