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2011年11月24日 (木)

徳川秀忠と、まど☆マギと、民主党と

NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が最終回を残すのみとなりました。



僕は、今年の大河に関しては、以下の二つしかエントリーを上げていませんでした。



「江~姫たちの戦国~」において気になる利休の台詞とNHKの価値

「江〜姫たちの戦国〜」は痛快ではあるが、受験生にはオススメできない



でも、実は、毎回観ていたんですよね。それは、単純に江役の上野樹里さん、秀忠役の向井理さん、そして初役の水川あさみさんが好きだからという理由ですけど。



さて、それはともかく、NHKの大河ドラマの場合、多くの視聴者が予備知識として既にイメージを持ってしまっている歴史的な名場面をどのように処理するのかといった、製作者側の当て方、ハズし方を楽しむというのも一つの観方ではないかと、僕は以前から思っています。



例えば、昨年、放送された「龍馬伝」では、坂本龍馬(福山雅治)が、勝海舟(武田鉄矢)と最初に会う場面を、一般的には龍馬は海舟を斬りに行ったといわれている(「氷川清話」による)ところを、海舟を斬りに行ったのは龍馬ではなく、岡田以蔵(佐藤健)ということにしていましたね。このシーンは数年前の「篤姫」では、ド・直球に描かれていたので、おそらく、"福山龍馬"のキャラを考慮して修正したんだなという想像が出来ました。



その意味で、僕にとっては、今年の「江」(特にここ数回)の話では、大阪夏の陣で、どのように淀殿と秀頼が自害の追い込まれるのかというのが一つの焦点でした。

というのも、そこまでに至る経緯で秀忠は、徳川家と豊臣家の平和共存路線を主張し、賛同する江に対しても、「私の任せて欲しい」とまで言っていたわけですから。



ただ、歴史の顛末を知ってしまっている僕らにしてみれば、大阪城の二人は自害するのはわかっているわけで、当然、視聴者としては、家康が秀忠をどのように説得するのか、あるいは、強引に事を進めるのかというのが一つの見所だったわけです。

しかし、物語は、真田幸村軍の襲撃にあった家康が命からがら難を逃れ、その直後に、全権を秀忠に移譲、そして秀忠の命令によって、大阪城には火がかけられて落城し、淀殿と秀頼は自害するという結末をむかえる展開にしていました。



おそらく、ただ歴史とドラマとの辻褄を合わせるのだとしたら、家康の命令によって、大阪城落城し淀殿と秀頼の自害するという流れが自然だったのでしょうが、敢えてこうした演出をした意図を僕は考えざるを得ませんでしたね。



それまで、このドラマにおける秀忠というのは、どちらかと言えば、どうしようもない子供であり夫でした。彼はいつも、畳の上で寝転んでダラダラしていました。そして、父・家康とは、ギクシャクした関係を続けていました。自分自身の力で何事かを成すことはなく、常に受身で、不満たらたらの存在でした。

勿論、なんとかしなければという気持ちは常にあるのですが、それは空回りして、しかも、彼は彼が持つ理想の実現に向けては、ほとんど実践も努力も出来ないキャラだったわけです。宮台真司的に言えば、「任せてブーたれる」典型的な"ダメな人間"として描かかれていました。



しかし、このドラマは、敢えて、一番大事な場面で、突然、全てが彼の決断に委ねられるような展開にしたというわけです。

そこで、彼は理想を捨てて、現実的な決断をせざるを得ない立場に立たされます。つまり、それまでの甘えた自分を卒業し、それまでの自分を否定にせざるを得ない状況に立たされるのです。そして、その決断が、戦国時代を終わせ、新しい世をむかえるという展開にしたわけですね。



そして、この展開は、この大河ドラマが2011年の空気を微妙に感じていたための演出ではないかと考えてみました。



というのも、努力も実践もせずに、ただ悩みながら、その挙句に、特権的にセカイ(日本)を救う立場に立たされる存在、という点で、「江」における秀忠は、「魔法少女まどか☆マギカ」におけるまどかと似ていたからです。



僕の旧友でゲームクリエイターのI君は、かつてはドラマやゲームの王道であった、努力や精進の積み重ねによっていつの日にか成功するといったストーリーは、徐々に支持を得られなくなっているのではないか?と言っていましたが、まさに「江」も「まどマギ」もそんな時代の流れの中にあるコンテンツなのかもしれませんね。



あるいは、それは、突然の政権交代によって、全てを決断せざるを得ない立場に立たされながらも、何も決断できない民主党に対する皮肉にもなっている...というのは考えすぎでしょうか。



まさむね



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