「忘れられた日本人」は必読書ですね
先月、読んだ本の中で一番面白かったのが『忘れられた日本人』という文庫でした。
この本は宮本常一という民俗学者が書いた本で、主に西日本を中心とした庶民へのインタビューをまとめたものです。
僕は多分、学生時代に一度、読んだ記憶があるんですが、今回読み直してみて、その内容の素晴らしさに驚嘆してしまいました。
もしかしたら、それは僕自身が成長して、いろんな人生経験を積んだからこそ味わえたのではないかとも思いましたが、是非、若い人にも読んで欲しい一冊です。
さて、この本が面白いのは、ここでインタビューされている人々が、いわゆる定住の農民だけではなく、漂白民、海や山の民も含まれていることですね。
この本には、そういった人々が幕末から明治、昭和初期にかけてどのような人生を歩んできたのかが活写されています。
例えば、対馬つつ村の浅藻という集落の梶田富五郎という80歳過ぎの爺さんの話。
彼は生まれは山口県の周防大島の久賀という場所なんですが、子供の頃に両親を亡くし、魚船に乗せてもらうメシモライになったといういうんですね。
久賀の大釣にはメシモライというて-まぁ五つ六つ位のみなし子を船ののせるなわしがあって、わしもそのメシモライになって大釣へのせられたのじゃ
このメシモライというのは、多分、ある種の人身御供でしょうね。
その昔、海がシケてきたら、こういう子供達を海に投げ込んで、神様へ捧げ、怒りを鎮めてもらうとしたのかもしれません。そういった民俗学的な悲しい歴史の痕跡なんじゃないかと僕は思います。
どこか、中世ヨーロッパのサバトとかで赤ん坊を悪魔に捧げる儀式とか、アステカの稚児の生贄を思い出させたりもしますね。

実は、そこの祭神には、あの壇ノ浦における源平最終合戦時に、海に身投げて亡くなったという安徳天皇(当時4歳)も祀られていたんですね。僕は知りませんでした。
おそらく、その痛ましさの記憶が、安徳天皇をして、後世に海運、漁業の神様にしたのだろうな、ということが想像できます。また、こんなところにも、一般庶民の宗教観念と皇室との間にある微妙で連綿とした繋がりが垣間見られます。
さて、話を戻します。
この梶田富五郎さんは、その後、漁師さんたちと一緒に、周防大島から、この対馬に移り住むようになるのですが、その時の話がまた面白い。
漁師たちは、周防から、対馬まで船でやってくるのは結構大変だということで、どこか対馬に住まわせてくれないかという話になるのです。
「それじゃあ、浅藻の裏へ住むことをゆるしてもらえまいか」
と頼うでみました。
「たいがいのことはきてあげらるが、あそこはシゲ地じゃからたたりがあるといけん」
というから、
「たたりがあってもええ、それに生き神さまの天子様が日本をおさめる時代になったんじゃから、天道法師もわしらにわるさはすまい」
ということになって、浅藻へ納屋をたてることをゆるしてもろうて久賀へ戻ってきやした。
つまり、明治維新になって天皇中心の国家となったという事実が、日本の最果ての対馬では、こういう風に影響していたということですね。
日本列島に様々な形態で暮らしを営んできた日本人達、彼らの日常生活は時代時代の流れの中で、あるときは、翻弄されながらも、ある時はちゃっかり活用しながら、しぶとく続いてきたんだなぁということを感じます。
明日から、しばらくこの『忘れられた日本人』の中のネタをアップしていきたいとおもいます。
まさむね
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