橘紋 -桜とは好対象、生命力と長寿の象徴- 井伊直弼、小和田雅子、北島康介...
かつて、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右には橘の樹、左には桜の樹があった。
この二本の木は、一般に、右近の橘、左近の桜と対比されたという。
桜はどこか死の匂いがする樹木であるが、一方の橘は、その葉が寒暖の別なく常に生い茂っていることから生命力や長寿の象徴とされた。
戦前、昭和天皇が、「桜が花も葉も散ることから潔く散る武人の象徴となってきたのに対し、常緑樹の橘はいつ見ても変わらないことから永遠を表すのものであり、永遠であるべき文化の勲章としては橘の方が望ましいのではないか」、という趣旨の意見を出し文化勲章のデザインが桜から橘に代わったという逸話がある。
橘紋の分布は全国では9位。桜紋よりも圧倒的に浸透している。
元々、橘という植物は柑橘類で、紀伊半島、四国、九州の海岸に近い山地に自生しているが、橘紋も和歌山県、高知県で3位、奈良県、広島県、宮崎県で4位とやはり橘が自生している地域に広く分布している。
特に、黒岩涙香、幸徳秋水、弘田龍太郎、朝潮など、高知県人の多さが目立つ。
また、歴史上で、橘紋と言えば有名なのは、日蓮である。彼は、1222年の安房国長狭郡東条郷片海の小湊で誕生。
比叡山で学び、後に「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め立宗宣言し、日蓮宗の開祖となった。
そのため、日蓮宗関係の寺院では、この橘紋を使用するとところが多い。
写真は、芥川龍之介、谷崎潤一郎が眠る慈眼寺の寺門の井桁に橘紋を撮影したもの。ちなみに、日蓮宗系の立正佼成会の関連施設である佼成学園の記章にも橘紋が使用されている。
また、奈良飛鳥地方に、聖徳太子生誕の地・橘寺があるが、そこの寺紋も橘紋だ。そもそも、日本書紀によると、この橘とは、田道間守(たじまもり)という人物が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求めて持ち帰った種をまいて芽が出てきた植物であった。
そして、その種をまいた地を橘と呼ぶようになっとのこと。
その橘寺には、聖徳太子が乗ったという黒駒像があり、胴に橘紋がついている。
日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、黒岩涙香、荒木貞夫、勝新太郎、花形敬、石井紘基、江川卓、橋下徹、北島康介、中川翔子...なんとなく、元気で意志の強い系譜を感じさせる。
さて、橘紋を持つ有名人は以下。


播磨御着城主・小寺則職の子として誕生。読みは、こでらまさもと。黒田孝高の進言を受け織田信長に従ったが、後に毛利家に呼応して織田家に反旗を翻す。家紋は藤橘巴紋。顔画像はNHK大河ドラマ「黒田勘兵衛」で小寺政職を演じた片岡鶴太郎。


美濃国出身。前田基光の子。読みは、まえだげんい。比叡山延暦寺に入ったが織田信長に招聘されてその家臣となる。後陽成天皇の聚楽第行幸時は担当奉行として活躍。豊臣政権における五奉行の1人であり、丹波亀山藩の初代藩主。


出雲国能義郡に生まれる。尼子氏の家臣。 本姓は源氏。家系は宇多源氏の流れを汲む佐々木氏(京極氏)の支流で、尼子氏の一門である。尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという。


陸奥国会津出身。読みは、やまがそこう。朱子学を批判し播磨国赤穂藩へ流罪となるが、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩国家老大石内蔵助も門弟の一人となる。主著は『中朝事実』『武家事紀』。その軍学は、後に吉田松陰らに多大な影響を与えた。


加賀国出身。朝倉氏の末裔を称する。両替商のほか醤油醸造・古着商などを手広く営む家系。蝦夷地や択捉島ではロシアと通商するなど密貿易を行い巨万の富を得る。河北潟の干拓・開発工事を請け負うが失敗。結局は獄死し、財産没収・家名断絶された。


近江国犬上郡出身。第13代彦根藩主・井伊直中の十四男として彦根城で出生。安政の大獄により多数の志士や公卿らを粛清。尊攘派の怨嗟をうけ水戸、薩摩藩浪士により江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。画像は菩提寺・豪徳寺にて撮影。


江戸麹町出身。原田家に出生したが、小中村家の養子となる。読みは、こなかむら きよのり。小中村家の出自は石清水八幡宮の神職。明治維新後に、東京大学の講師となり『古事類苑』編纂に従事。家紋は丸に橘紋。画像は、谷中天王寺墓地にて撮影。


土佐国出身。藩士の子弟。読みは、ふくおかたかちか。吉田東洋の影響下、藩政改革、土佐勤王党弾圧を行う。また薩摩藩との間に薩土盟約を締結。五箇条の御誓文の草案作成に関与。家紋は丸に九枚橘の葉(九枚茶の葉)紋。画像は染井霊園の墓所にて。


安芸国沼田郡新庄村出身。読みは、おききばたろう。実家の農業を嫌い27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。我が国で初めて電気通信機器の製造・販売事業を興した。明工舎(沖電気の前身)創業者。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


土佐国安芸郡川北村出身。読みは、くろいわるいこう(黒い悪い子)。『萬朝報』を創刊。紙名には「よろず重宝」の意味がかけられていた。幸徳秋水、内村鑑三、高浜虚子らが参画し、一時は最大発行部数は30万部を誇る。画像は総持寺の墓所にて撮影。


筑前国下座郡三奈木出身。本名は宮崎八百吉。読みは、みやざきこしょし。徳富蘇峰に認められ民友社に入社。小説『帰省』を刊行。国木田独歩らと詞華集『抒情詩』を編集。代表作は『まぼろし』。家紋は藤輪に菊座橘紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


筑前国出身。父親は旧福岡藩士で、住吉神社神官、国学者、歌人の末永茂世。読みは、すえながじゅんいちろう。陸羯南・三宅雪嶺・福本日南らが創刊した『日本』新聞の記者となる。また、孫文らの活動を支援。家紋は丸に三つ盛菊座橘紋。


高知県幡多郡中村町に生まれる。本名は幸徳傳次郎。中江兆民の門弟となり黒岩涙香の創刊した『萬朝報』記者となる。後に無政府主義に傾き大逆事件(幸徳事件)」において逮捕され翌年に死刑判決を受ける。家紋は紋付姿写真より丸に橘紋と判断。


長崎県大村出身。読みは、あらき じっぽ。本名・朝長悌二郎。象徴主義的作風から、やがて精神性を強く打ち出した優美な絵画世界を構築した。代表作は「秋江水禽図」「せいけん」「黄昏」など。家紋は丸に橘紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山梨県巨摩郡出身。読みは、こばやしいちぞう。阪急電鉄や宝塚歌劇団をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。政治家としても活躍し、商工大臣、国務大臣、戦災復興院総裁を歴任。家紋は丸に橘紋。


東京府出身。本名は田村保寿。読みは、ほんいんぼうしゅうさい。家元本因坊家の21世で終身名人制の最後の名人。法名は日温。引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し選手権制の本因坊戦創設に導く。家紋は三つ葉橘。画像は巣鴨・本妙寺にて撮影。


東京府出身。本名は市村録太郎。屋号は橘屋。旧福井藩主で幕末には幕府政事総裁職を務めた池田絲とフランス系アメリカ人との混血。当時を代表する美男子でその美貌から花の橘屋と呼ばれた。家紋は根上り橘。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


東京府多摩郡出身。旧一橋家家臣・荒木貞之助の長男。読みは、あらきさだお。皇道派の重鎮であり昭和初期の青年将校のカリスマ的存在。犬養内閣・斎藤内閣では陸軍大臣を務める。最終階級は陸軍大将。家紋は丸に橘紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


北海道札幌市出身。本名は磐雄、後に盛一。読みは、たけばやしむそうあん。妻・文子が交際のあった男に発砲される事件で世間の話題となる。代表作は「ピルロニストのやうに」「第十一指の方向へ」。家紋は丸に抱き橘紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


福岡県出身。父は旧福岡藩士中野泰次郎。読みは、なかのせいごう。東京日日新聞、朝日新聞で政治評論を行う。政治家になってからは東條首相の独裁に反対。倒閣工作を謀った容疑で憲兵に拘束され自殺。家紋は丸に中陰地紙に橘紋。画像は多磨霊園。


東京府出身。本名、大野菊松(後に平山に改姓)。得意ネタは『二十四孝』『ろくろ首』『三軒長屋』。新作落語の創作にも力を入れ、『創作力のない者は、噺家ではない』という言葉を残している。家紋は丸に彦根橘紋。画像は谷中・本寿寺にて撮影。


東京府出身。終戦直前には軍司令官としてビルマに駐在していたが英軍の進攻を聞くと唐突にラングーン放棄し方面軍の指揮命令系統を大混乱に陥し入れた。最終階級は陸軍大将。終戦後A級戦犯として絞首刑に処された。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


高知県安芸市出身。児童雑誌『赤い鳥』が創刊されると「赤い鳥運動」に参加。北原白秋等と組み多くの童謡を作曲した。代表作は『鯉のぼり』『浜千鳥』『春よこい』『叱られて』など。家紋は丸に橘。画像は谷中・全生庵にて撮影。


広島県福山市加茂町出身。本名は井伏満壽二。読みは、いぶせますじ。『ジョン萬次郎漂流記』で直木賞、『本日休診』で第1回読売文学賞小説賞を受章。主な作品は「山椒魚」「駅前旅館」「黒い雨」。画像は青山・持法寺にて撮影。


宮城県出身。フランス、ベルギーに犯罪学および刑事政策の研究者。慶応義塾塾長を務め、日本私立大学連盟の創立に参画し副会長となる。また、私立学校振興会理事となり、私学振興のため尽力。家紋は丸に橘紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大阪市西区出身。本名は山崎松尾。演目数は落語史上最も多かったという。特異演目は『死神』『鰍沢』『らくだ』『淀五郎』等。NHK連続ドラマ『おはなはん』に出演。バカウマという言葉を流行語にする。画像は烏山・永隆寺にて撮影。


北海道根室市出身。北海道の国後島で漁師の息子。「酒は涙か溜息か」で作詞家デビュー。その後も、昭和の名曲を数多く手がけた。代表曲は『船頭可愛や』『ここに幸あり』『古城』『足摺岬』等。家紋は丸に橘紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


京都府京都市木屋町出身。本名は、高橋照一。祖母の経営する料理旅館「葉村屋」に預けられた。戦前映画界の大衆のヒーロー。代表出演作は『鞍馬天狗』『明治天皇と日露大戦争』等。家紋は丸に蟹橘(蝶橘)紋。京都の聖光寺にて撮影。


福岡県遠賀郡若松町で沖仲仕「玉井組」を営んだ玉井金五郎の長男。本名は玉井勝則。『糞尿譚』で芥川賞を受賞。『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の「兵隊3部作」はベストセラーとなった。家紋画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に橘紋。


青森県東津軽郡中平内村小湊生まれ。本名は高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。高橋家の家紋は丸に橘紋。ただし、自身のマークとして竹輪に根笹紋を使用。


埼玉県出身。読みは、うじたつお。東大病院の副手の時、オリンパス光学工業技師の杉浦睦夫、深海正治とともに、胃カメラを世界ではじめて完成させた。吉川英治文化賞を受賞した。家紋は丸に橘紋。画像は、さいたま市普門院の墓所にて撮影。


福岡県大牟田市出身。読みは、かいたにやおこ。東京バレエ団を結成し『白鳥の湖』全幕を日本初演、主役を務めた。日本バレエ協会副会長や、全日本舞踊連合の理事などの要職も務めた。紫綬褒章受賞。家紋は上がり藤に橘紋。画像は多磨霊園にて撮影。


香川県大川郡三本松町出身。本名は、赤沢正一。読みは、かみかぜしょういち。二所ノ関部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。引退後、NHKの大相撲中継の解説者となる。文芸評論家・小林秀雄も神風解説のファンだったという。家紋は丸に橘紋。


ウラジオストク生まれ。海外の現代音楽を日本の音楽界に紹介することに尽力。代表著作は「シェーンベルクの作曲技法」「十二音音楽とは何か」。死後、入野賞、入野義朗記念賞が設けられた。家紋は丸に橘紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


京都市出身。本名は川口譲二。終戦直後、松本英彦、中村八大、小野満と共にバンドビッグ4を結成して活躍。大衆的人気を誇った。越路吹雪のバンドロイヤルポップスオーケストラのドラムとしても活躍。家紋は丸に橘紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


中学校を自主退学。国士舘中学校では、後の住吉会住吉一家石井会会長・石井福造と番長争いを演じた。安藤組組長・安藤昇に最も可愛がられた。前科7犯、22回の逮捕歴がある。素手喧嘩(ステゴロ)と呼ばれ喧嘩に武器は一切持たない主義であったという。


北海道函館市近郊の上磯町出身。本名は北沢美智也。春日八郎、村田英雄らとともに戦後日本を代表する流行歌手。代表曲は「古城」「哀愁列車」など多数。三橋美智也の家紋は丸に三つ引両紋だが、小平霊園の北沢美智也の墓には丸に橘紋がある。


東京府出身。長唄三味線の杵屋勝東治の次男。本名は、奥村利夫。妻は二代目中村鴈治郎の長女で同じ大映の女優・中村玉緒。兄は若山富三郎。代表作は『兵隊やくざ』『座頭市』『悪名』等。家紋は菊座橘。画像は蓮乗寺にて撮影。


京都出身。華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は衆議院議員の池坊保子。元々池坊の坊名は聖徳太子が水浴したという池にちなむという。国際科学技術博覧会で「いけばなと着物の交響詩」で舞台用の超大作を制作。画像は鎌倉・東慶寺にて撮影。


大阪府大阪市出身。読みは、えぞえひろまさ。日本の実業家。特例財団法人江副育英会理事長。株式会社リクルートの創業者。「リクルート事件」の贈賄側人物として知られ、執行猶予付き有罪判決を受けた。家紋は、割り橘紋。


東京市世田谷区出身。本名は駒秀雄。早稲田実業高校時代は野球部に所属(同期に王貞治)。1972年、ジャイアント馬場が日本プロレスを離脱すると馬場に合流し、全日本プロレスの立ち上げに参加。若手の指導を行うようになる。家紋は丸に橘紋。


東京市世田谷区出身。菅直人、田英夫らと社会民主連合を結成。羽田内閣において総務政務次官に就任。自由連合や新党さきがけを経て民主党の結党に参加。国会の爆弾発言男と呼ばれていたが、世田谷区の自宅駐車場で刺殺された。家紋は丸に橘紋。


梅若万三郎 (2世)の長男として出生。本名万紀夫。1997年、大阪文化祭本賞受賞。2001年、三世梅若万三郎を襲名。第一回日本能楽団欧州公演に加わって以来、積極的に海外公演を行っている。家紋は丸に橘紋。画像は品川・海晏寺の梅若家墓所にて撮影。


山口県岩国市に生まれる。本名は西森輝門。日本大学文理学部中退。最高位は大関。引退後は放駒を襲名。日本相撲協会理事長(第11代)。幕内通算成績:367勝304敗4休 勝率.547。幕内最高優勝2回。家紋は丸に橘紋。


山口県下関市出身。所属事務所はジョージ・プロモーション。北島三郎ファミリーの旗頭的存在。『みちのくひとり旅』で第23回日本レコード大賞ロング・セラー賞を受賞、さらにNHK紅白歌合戦の初出場も果たした。家紋は丸に橘紋。


東京都墨田区出身。本名は會泰通。円楽一門会所属。還暦を迎える2010年2月に師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。1977年8月から「笑点」の大喜利に出演している。家紋は、圓楽一門の定紋である三ツ組橘。(六代目三遊亭圓生と同じ形)


福島県いわき市生まれ、栃木県小山市育ち。作新学院高等学校のエースとして、ノーヒットノーラン9回・完全試合2回を記録。六大学野球では、法政大学で、通算47勝は史上2位、完封数17はリーグ記録。プロでは巨人所属で1981年に投手五冠に輝く。


高知県安芸郡出身。本名は 長岡末弘。近畿大学で2年連続してアマチュア横綱のタイトルを獲得。高砂部屋に入門。最高位は大関。北の湖に強かった。531勝371敗33休。幕内最高優勝1回。現在は7代目高砂親方として横綱・朝青龍を育てた。


東京都出身。六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の娘。旧姓は小幡。本名は、西山雅子。代表出演作はドラマ『西遊記』、映画『瀬戸内少年野球団』など。27歳の若さで突然亡くなる。家紋は丸に橘紋。実家の小幡家の家紋は亀甲に小の文字紋。


東京都出身。外務省職員の小和田恆・優美子夫妻の長女として外務省職員を経て、1993年6月9日、皇太子徳仁親王との結婚に伴い、皇太子妃となる。2001年12月1日、敬宮愛子内親王を出産。日本赤十字社名誉副総裁を務める。家紋は丸に橘紋。


東京都渋谷区幡ヶ谷で幼少期を過ごす。テレビ番組「行列のできる法律相談所」でタレント弁護士としての地位を獲得。知名度を利用し政治家に転進。大阪府知事(民選第17代)、大阪市長(第19代)を務める。日本維新の会代表。家紋は丸に橘紋。


愛媛県松山市出身。本名は、友近由紀子。吉本興業所属。桜田淳子、藤原紀香、工藤静香など、多数のものまねネタを持っている。家紋の丸に橘紋は2012年8月放送の『やりすぎコージー・都市伝説特集』(テレビ東京)にて自分の家紋について告白した。


愛知県岡崎市出身。本名は田宮啓司。読みは、ことみつきけいじ。佐渡ケ嶽部屋所属。最高位は東大関。通算成績:571勝367敗50休。幕内最高優勝:1回。2010年野球賭博事件で解雇される。敬宮愛子内親王のお気に入り力士としても有名だった。


長野県南安曇郡穂高町出身。読みは、あげまつのりやす。数多くのアーティスト、アニメ・ゲーム関連作品に楽曲を提供。水樹奈々の19thシングル『深愛』でウィークリーチャート2位を記録。家紋は丸に橘紋。画像はTwitterで公開した自家墓所の家紋。


東京都荒川区出身。実家は西日暮里・道灌山通りの精肉店「肉のきたじま」を経営。アテネ五輪、北京五輪100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト。また、100m及び200m平泳ぎの元世界記録保持者。画像は実家・北島商店名物のメンチカツサンドの橘紋。


東京都中野区出身。本名:中川しょうこ。2002年にミス週刊少年マガジンに選抜。日本武道館ワンマンライブ「中川翔子 超貪欲☆まつり IN 日本武道館」を開催。家紋は丸に橘紋。画像は父親・中川勝彦の墓所(谷中・常在寺)にて撮影。


大阪府寝屋川市出身。本名は澤井豪太郎。高校では高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など11個の個人タイトルを獲得。小結・両国の境川部屋に入門。高校卒業を待たずに2005年1月場所に初土俵を踏む。最高位は関脇。家紋は丸に橘。
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まさむね































































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