竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い- 竹中半兵衛、新島襄、谷川俊太郎...
竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。
特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。
かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。
竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。
さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。
竹笹紋使用の有名人は以下。


三河国出身。父の忠吉は松平氏以来の老臣。家康が今川氏の人質だった頃からの側近の一人で家康の三河統一後も、旗本部隊の将として戦う。その忠節は三河武士の鑑と称された。家紋は鳥居笹。画像は庶流から出た鳥居耀蔵の墓所(吉祥寺)にて。


美濃国大野郡出身。斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子。後に、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍し、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称され、「今楠木」と称された。家紋は丸に九枚笹。


美濃国可児郡出身。宝蔵院流槍術の開祖。斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝らに仕える。関ヶ原の戦いでは福島正則の先鋒隊長として参加し、敵兵の首を17も取り家康からも大いに賞賛された。家紋は丸に違い笹紋。


出羽国出身。奥州の戦国大名。本姓は藤原氏で伊達朝宗を祖とする。陸奥仙台藩の初代藩主。仙台笹といわれる笹に雀紋は、上杉氏から賜る。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用許可される。画像は政宗の墓所・瑞鳳殿の仙台笹紋。


多摩川沿い地域出身。農家。弟、清右衛門とともに、玉川上水開削の指揮をとる。上水工事は2度失敗したが最後は私財を投入して成功する。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許されたという。家紋は丸に根笹。画像は浅草・聖徳寺にて撮影。


摂津国(大坂)出身。家は農家。大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。


江戸出身。父は日向高鍋藩主・秋月種美。10歳で出羽国米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。領地返上寸前だった藩の再生を成し、江戸時代屈指の名君として知られている。画像の上杉笹は米沢藩江戸藩邸跡の史跡レリーフ。


江戸出身。宇和島藩主伊達宗紀の仮養子となる。宇和島藩8代藩主となり軍制の近代化、殖産興業を行い「幕末の四賢侯」と称された。定紋は仙台笹の変形の宇和島笹。他に丸に竪三つ引両、九曜紋等も使用。画像は本妙寺の久世広運奥方の宇和島笹紋。


肥前国出身。佐賀藩士・下村三郎左衛門の五男。大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。日本赤十字社の創始者。佐賀の七賢人に挙げられている。第1次松方正義内閣で農商務大臣に就任する。家紋は九枚笹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


武蔵国豊島郡新橋南大阪町出身。姓は吉岡、後に月岡。歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がける。また衝撃的な無惨絵の描き手としても知られる。家紋は丸に桔梗紋と丸に竹笹紋。画像は新宿・専福寺にて撮影。


京都出身。父は万里小路正房、母は藤波寛忠の娘。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられ、八月十八日政変では一時免官されて蟄居。維新後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫を歴任。家紋は丸に勧修寺笹紋。青山霊園の万里小路家の墓所にて。


江戸・芝三田出身。島原藩士・丸山正直の長男。外務大丞の時に対露交渉にあたった。東京日日新聞の福地源一郎とともに立憲帝政党を結成し保守的政治家として活動した。家紋は竹輪笹に向い雀紋。画像は青山霊園の墓所にて。


江戸出身。父は安中藩藩士。本名は七五三太。妻は山本八重。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。家紋は丸に根笹。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。


薩摩国出身。藩士高橋七郎の次男。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満州鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。家紋は十五枚笹竹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


薩摩国出身。読みは、ゆちさだもと。湯地定監、乃木静子の兄。藩命をうけアメリカで農学を学ぶ。帰国後、開拓使に勤務、後に根室県令、北海道庁理事官などを務める。北海道の洋式農業の発展に尽くした。家紋は湯地竹笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


江戸出身。旗本・鈴木家の家臣となった山口祐助の次男。新選組の前身である壬生浪士組に入隊。三番組組長となり池田屋事件などで活躍。維新後は警察官となり、新政府軍として西南戦争にも従軍し戦功を上げる。家紋は丸に九枚笹紋。


長門国出身。萩藩士の陪臣の子。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。閔妃暗殺を指揮したとされ(乙未事変)投獄された。大正期には藩閥打倒を唱え政界の黒幕としても活動。家紋は変り篠笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子となる。西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。画像は池上本門寺にて撮影。


京都出身。広橋胤保の次男。明治天皇の侍従、宮内省主馬頭になる。ウィーンに留学後に、33回の進講をする。明治天皇・昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。家紋は中陰雪持ち笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。


江戸出身。元尾張藩士の高橋大蔵の子。大阪朝日新聞に入り国家主義の観点から執筆を積極的に行う。第2次松方内閣が発足すると、陸羯南の推挙によって内閣書記官長に任じられるが、新聞紙条例の改正を巡る騒動で辞職。家紋は丸に九枚笹紋。


甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)出身。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平や雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。画像は多磨霊園。


美濃国出身。大垣藩藩士の次男。大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。画像は青山・長谷寺にて撮影。


江戸出身。本名:矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。嵯峨の屋お室、矢崎嵯峨の舎(屋)、北ぼう散子名義なども使用した。代表作は『ひとよぎり』『無味気』『両面苦楽の鏡』など。家紋は丸に九枚笹紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


筑前国博多中対馬小路町出身。世情を風刺した『オッペケペー節』で一世を風靡。この『オッペケペー節』を日本人で初めて録音、レコード化する。NHKの大河ドラマで妻の川上貞奴を描いた『春の波濤』が放送された。画像は総持寺にて撮影。


大分県日田市出身。造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


島根県小国村出身。佐々山一平の長男。浜田町裁判所検事・島村文耕の養子となる。坪内逍遥とともに文芸協会を設立。その後、松井須磨子等と芸術座を結成し、新劇運動の先駆けとなる。家紋は残された肖像写真より、丸に根笹紋の類似紋と判断。


薩摩国出身。藩士、菱刈八郎太の三男。陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長、陸軍中将、陸軍大将、大日本忠霊顕彰会会長、大日本剣道会会長などを歴任。家紋は竹笹輪に七枚笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男。陸軍大臣、陸軍大将・畑俊六は弟。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大分県国東郡高田町出身。日清戦争では歩兵第3連隊付として、日露戦争では第2軍参謀として出征。参謀総長当時、真崎甚三郎を毛嫌いしていたという。最終階級は陸軍大将。家紋は雪持ち笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


東京市小石川出身。旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の長男。作家の里見とんは弟。長男は俳優の森雅之。志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加。代表作は『カインの末裔』『迷路』。家紋は丸に雪持ち笹。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


愛知県出身。旧尾張藩士松井武国、ひさの六男。読みは、まついいわね。日中戦争では首都・南京を占領した。東京裁判では南京事件の責により死刑の判決を受ける。最終階級は陸軍大将。松井家は遠江松井家の子孫と伝わる。家紋は岩に根笹紋。


読みは、かんろじおさなが。甘露寺家は藤原北家の支流・勧修寺流の流れを汲む公家で、明治維新以降は伯爵に列せられた。宮内省御用掛、掌典長に就任。退任後、明治神宮宮司をつとめた。家紋は竹に雀紋。多磨霊園の甘露寺家墓所で撮影。


青森県上北郡藤坂村出身。上杉謙信の末裔を称した。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。骨相学・考星学・霊気療法等の研究を趣味としたという。家紋は丸に九枚笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


静岡県小笠郡中村出身。本名久保田次郎吉。初号は桂川。正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。「ホトトギス」「春夏秋冬」「枯野」同人として活躍。句集には『水仙の芽』がある。この略歴では、歴史が眠る多磨霊園、kotobank.jpを参照いたしました。


福井県出身。近衛師団軍医部長に就任。大日本帝国陸軍で初めてBCG接種を実施し、結核予防に効果を挙げる。第3次近衛文麿内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任。連合軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


東京府牛込区出身。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。代表著作は「我等の国土」。家紋は丸に九枚笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


奈良県出身。『婦人公論』を創刊し編集長となり、後に中央公論社社長となる。『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。家紋は隅切り角に九枚笹。画像は、本願寺和田堀廟所にて。


山口県徳山村出身。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。家紋は九枚笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大分県出身。家は文具店。第三回帝展に出品した「鯉」が特選となり、宮内省(現・宮内庁)が買い上げる。毎日美術賞、 文化勲章受賞。文化功労者。主な作品は「雨」「筍(たけのこ)」「花の習作」など。家紋は丸に九枚笹紋。墓所写真にて確認。


宮城県仙台市出身。読みは、なんぶしゅうたろう。『三田文学』編集主任をつとめ、文筆生活に入る。芥川龍之介を師と仰ぎ、川端康成と文通していた。代表作は『修道院の秋』『湖水の上』など。家紋は九枚篠笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


埼玉県北埼玉郡原道村出身。本名は下總覺三。東京藝術大学音楽学部長。門下は團伊玖磨、芥川也寸志等。代表作は「花火」「ほたる」「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」等。また京都大学学歌他、多くの校歌を作曲。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


東京市出身。旧姓中條。本名ユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場。天才少女として注目を集めその後もプロレタリア文学者として活躍。元夫の宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動。画像は青山霊園の中條家の墓所にて。


東京府出身。草月流の創始者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した。家紋は三日月に根笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


兵庫県神戸市東川崎出身。父の郷里は岡山。金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。代表作は、『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。画像は春秋苑にて撮影。


大阪府出身。岡田家に生れ祖母の家・竹山家に養子に入る。小説『ビルマの竪琴』は一世を風靡。訳書に『ツァラトゥストラ』『アルプスの少女ハイジ』がある。一高教諭、東大教養学部教授等を歴任。家紋は丸に根笹。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


京都府京都市出身。松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。後に東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。代表作は『駅前旅館』『夫婦善哉』『小島の春』『恍惚の人』等。家紋は九枚笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。


広島県広島市出身。本名は石山春子。旧姓は中野。演劇史に大きな足跡を残した日本を代表するカリスマ女優。代表出演映画は『晩春』『秋刀魚の味』等。舞台『女の一生』の布引けいは当たり役で上演は900回を超えた。画像は冨士霊園の墓所にて撮影。


香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は、巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は総持寺にて。


兵庫県神戸市出身。芸者置屋の跡取り息子。東宝映画の宣伝部に勤務。チャーリー・チャップリンとの会談もしている。「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら...」等の名セリフを残している。家紋は丸に九枚笹紋。


青森県東津軽郡中平内村小湊出身。本名は高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。高橋家の家紋は丸に橘紋。ただし、自身のマークとして竹輪に根笹紋を使用。


長野県南佐久郡臼田町出身。魯迅の研究・翻訳や日本文化研究を行う。大アジア主義の視点から日本軍の対アジア侵略戦争を劇しく糾弾。主著は『魯迅』『中国の近代と日本の近代』『近代の超克』。家紋は竹笹に向い雀紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


東京都芝区田村町出身。本名は寺田静夫。時代劇を中心に名わき役として活躍する。代表出演作は『日本女侠伝 真赤な度胸花』『柳生武芸帳』『雪之丞変化』『東京新選組』など。家紋は丸に根笹紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


東京都港区出身。旧姓山口。戸板学園創立者・戸板関子の養子。歌舞伎評論の『歌舞伎への招待』はロングセラー。『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー。『団十郎切腹事件』で直木賞受賞。家紋は丸に頭合わせ九枚笹。画像は総持寺にて撮影。


東京都杉並区出身。本名は粕谷泰三。浪曲師の父で木村重丸、常磐津の師匠の母の常磐津文字綱の下で育つ。ライオンの「エメロン石鹸」やP&Gの成人向け紙おむつ「アテント」のテレビCMに長期間出演。「おばあさん落語」を得意とした。


富山県下新川郡入善町出身。本名:松原正。「上海帰りのリル」が大ヒット。その他、「リルを探してくれないか」「紅椿の歌」「待ちましょう」「あなたと共に」等のヒット曲がある。家紋は九枚笹紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


大阪府出身。愛知県西尾市育ち。本名は三浦のり子。戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家。主詩集『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』。『わたしが一番きれいだったとき』は有名。家紋は丸に九枚笹紋。


日本統治時代の朝鮮の京城(現ソウル)出身。本名は小野田昭彦。東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られている。代表出演作は『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『ウルトラマン』『レインボーマン』等。家紋は丸に九枚笹紋。


山形県東田川郡黄金村出身。本名は小菅留治。小菅繁蔵の第三子。実家は農家。庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品は有名。代表作は『暗殺の年輪』『市塵』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』等。


神奈川県横浜市出身。團伊玖磨、芥川也寸志と共に「3人の会」結成。現代音楽界を代表する音楽家の一人。代表曲は『涅槃交響曲』、オペラ『金閣寺』、映画音楽『東京オリンピック』等多数。家紋は丸に九枚笹紋。画像は総持寺にて撮影。


朝鮮京城出身。週刊誌創刊ブーム期にトップ屋として活躍、その後『黒の試走車』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、風俗小説などを量産する。家紋は丸に九枚笹紋。墓の写真画像にて確認。


東京都出身。本名は竹中労。父は画家の竹中栄太郎。『女性自身』で芸能担当ライターをはじめ様々な問題作を世に出す。晩年は「イカ天」の審査員もつとめ「たま」を絶賛した。墓碑銘には「せめて自らにだけは恥なく眠りたい」と刻まれている。


東京霞が関出身。父は唐沢俊樹(内務官僚、和歌山県知事、衆議院議員、法務大臣を歴任)。第3次中曽根内閣の郵政大臣、第1次海部内閣で自民党総務会長を歴任した。家紋は丸に二本切り竹に笹紋。画像は九品仏浄真寺にて撮影。


東京市出身。父は哲学者で法政大学学長の谷川徹三。石原慎太郎、寺山修司、浅利慶太ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し60年安保に反対。代表作は『ことばあそびうた』『二十億光年の孤独』。画像は鎌倉・東慶寺の谷川徹三の墓所にて撮影。


京城出身。父は教師である。激しいアクション、暴力を描く通俗的な作品が多く、「暴力賛美の小説」と批判されることもある。代表作は、『本陣殺人事件』『蘇える金狼』『汚れた英雄』 。家紋は丸に三枚笹。画像は本願寺和田堀廟所で撮影。


和歌山県有田市出身。読みは、びとうただし。箕島高校監督に就任し1970年、第42回センバツ大会では、島本講平投手を擁して甲子園大会で初優勝。1979年には、甲子園大会で当時史上3校目の春夏連覇を達成した。家紋は丸に九枚笹紋。


京都府福知山市出身。父は、文部大臣を務めた谷垣専一。産業再生機構担当大臣、食品安全担当大臣、財務大臣(第4・5・6・7・8代)、自由民主党政務調査会長、国土交通大臣(第9代)、自民党総裁を歴任。宏池会(谷垣派)会長を務めた。家紋は九枚笹。


奈良県出身。本名は杉本高文。笑福亭松之助に弟子入り。当初の芸名は「笑福亭さんま」。タモリ、ビートたけしとの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。「男女7人夏物語」などテレビドラマにも多数出演。五枚笹は笑福亭一門の定紋。


東京都田端出身。父・3代目桂三木助の晩年に出生。本名は小林盛夫。人間国宝5代目柳家小さんに入門。芸術祭演芸部門優秀賞受賞。俳優やテレビレポーターとしても活躍。十八番ネタは「死ぬなら今」。画像は谷中・観音寺の墓所にて撮影。


東京都出身。父はシナリオライターの平田穂生。現代口語演劇理論を提唱。 青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人、内閣官房参与、首都大学東京客員教授、日本劇作家協会理事等をつとめる。家紋は、岩村笹。平田穂生の墓所にて撮影。


愛知県名古屋市熱田区出身(出生は同県一宮市)。本名は佐藤佳代。『スター誕生!』のチャンピオンとなり、芸能界入り。翌年、日本歌謡大賞及びレコード大賞最優秀新人賞を受賞。『くちびるNetwork』がオリコン一位となる。家紋は、丸に根笹。


東京都出身。本名非公開。読みは、いのうえわか。グラビアアイドルとして「第41回 ゴールデン・アロー賞 グラフ賞」を受賞をきっかけにして女優、タレントとして活躍。家紋は実家(?)の割烹「笹よし」の細輪に十五枚笹紋(画像)と判断。


東京都葛飾区出身、所司和晴門下。史上4人目の「中学生棋士」となる。初代永世竜王資格者。最年少九段(21歳7か月) 最速九段昇段(5年7ヶ月) 等の記録を持つ。また、羽生善治に対して、20局以上対局して勝ち越している唯一の棋士。家紋は九枚笹。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































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