目結紋 -人と人との団結の強さの象徴- 京極高次、宮沢賢治、貴乃花光司...
もともと、目結紋は、"コウケツ染め"(目結染)という布の染めかたから来ている。
一般的に目結紋は、宇多源氏=近江源氏・佐々木一族の代表紋として知られているが、それは同時に一族の結束の強さをも表現しようとしていたのである。
絆への願望というのは現代の一つのテーマである。
それは、現実に生きる人々の希望であると同時に崩れつつあるものへのノスタルジーではないか。
そのノスタルジーは、この紋が持っている無骨な安定感へのそこはかとない親しみに通じているようにも思える。
この紋は、全国で10位。特に青森県、岩手県で2位、宮城県で3位、北海道で4位。
これらの地域は、佐々木一族が移り住んだ地である。
逆に少ないところは、山梨県、愛媛県で19位。長野県で18位、兵庫県、岡山県で17位。
有名人では以下。


肥後国竹崎郷の出身。菊池氏の一族であったが、同族内の所領争いに敗れて没落。文永の役(元寇)では、博多において箱崎の少弐景資の軍に参陣した。自身の戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』で知られる。家紋は三つ目に吉の字紋。


近江国の地頭である佐々木京極氏に生まれる。読みは、ささきどうよ。外祖父である佐々木宗綱の後を継いで家督を継承する。南北朝時代の社会的風潮であるばさらを好んだとされる。『太平記』(NHK大河ドラマ)では、陣内孝則が演じた。


出雲国出身。尼子清定の嫡男。幼名は又四郎。本姓は源氏。室町幕府の四職で出雲守護でもある京極政経の寺社領を横領、勢力を広げる。一代で尼子氏を中国地方11ヶ国の太守にのしあげた。中国の三大謀将の一人とと称される。家紋は平四つ目。


尾張国春日井郡出身。宇多源氏佐々木氏の一族。織田信長に仕え頭角を表す。豊臣秀吉から肥後国を与えられたが統治に失敗し改易される。直系子孫に佐々宗淳(「水戸黄門」の助さんのモデル)、評論家・佐々淳行がいる。家紋は隅立て四つ目、棕櫚。


名門京極氏に出生。妻は豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)の妹で徳川秀忠の妻・崇源院(江)の姉である常高院(初)。関ヶ原の戦いで功を上げ若狭国小浜藩初代藩主となる。家紋は平四つ目結。画像は谷中霊園の京極高国(高次の弟・高知の直系子孫)の墓所にて撮影。


木村重茲の子。母、宮内卿局は豊臣秀頼の乳母となり重成自身も幼少から秀頼の小姓として育ち秀頼にとってはほとんど唯一の幼馴染であった。大坂冬の陣では今福砦攻防戦を展開。大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として出陣。家紋は四つ目菱。


豊前国田川郡副田庄に生まれ、副田庄の有力豪族佐々木氏の一族とされる。「秘剣燕返し」は福井市にある一乗谷で身につけ、中条流富田勢源、或いは富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎の弟子とされている。宮本武蔵と巌流島で決闘し、敗死したとされる。


長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとも言われる。由井正雪の片腕として幕府転覆計画に加担(慶安の変)。家紋は三つ目結と丸に片喰紋。顔画像は歌舞伎「花菖蒲慶安実記」の丸橋忠弥。家紋画像は慈眼寺・金乗院にて撮影。


京都の大徳寺付近で産まれる。大根売りの娘説もある。兄の北小路道芳は後に本庄姓を賜る。御小姓として家光の側室のお万の方に仕え、春日局の部屋子として家光に見初められ、綱吉を産んだ。女性最高位の従一位の官位を賜る。家紋は繋ぎ九つ目。


越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男。赤穂浪士四十七士の一人。堀部氏は滋賀県に栄えた近江源氏。四十七士の中では一番の剣客。江戸急進派勢力のリーダー格。家紋は家紋は捻り四つ目二ツ。画像は泉岳寺の墓所にて撮影。


本名は佐野豊房。狩野派門人。『画図百鬼夜行』により妖怪絵師としての地位を確かなものとする。続けて『今昔画図続百鬼』を刊行。弟子も多く喜多川歌麿、恋川春町などを育てた。顔画像は石燕が描いたぬらりひょん。家紋は丸に隅合せ三つ目結紋。


常陸国筑波郡上平柳村の農民の子に生まれる。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。間宮海峡を発見。水戸藩へも出入りし川路聖謨らと交友し徳川斉昭や藤田東湖にも献策した。画像は浄心寺安立院管理の墓所にて撮影。


長崎町年寄の高島茂起の三男。読みは、たかしましゅうはん。先祖は近江国高島郡出身、近江源氏佐々木氏の末裔。日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行なう。高島流砲術の創始者。家紋は丸に重ね四つ目結紋。画像はWikipediaより。


武蔵国の生まれ。読みは、あまのそうほ。「実力十三段」と言われ、後に棋聖と呼ばれる。現在のタイトルのひとつである棋聖戦は彼に由来する。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像はテレビ時代劇「銭形平次」で棋士・真部一男が演じた天野宗歩。


伊予大洲藩出身。甲斐武田の末裔という。読みは、たけだあやさぶろう。緒方洪庵や佐久間象山のもとで洋学を学び、日本初の洋式城郭五稜郭を立案・設計。日本初のストーブを考案した。維新後は、日本軍の近代に尽力し、陸軍士官学校を開校させた。


会津藩出身。藩士で砲術指南役の山本権八の長男。妹の八重は、2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公。維新後、京都府政に関わり同志社英学校(現同志社大学)の創立者新島襄の協力者として同志社の発展に尽力。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


長岡藩出身。藩士小林又兵衛の三男。佐久間象山の門下。長岡藩大参事となる。戊辰戦争の戦災によって壊滅的な打撃を受けた長岡で寺の本堂を借り仮校舎として学校を開校させた。米百俵の逸話で知られる。家紋の隅立て四つ目結紋は墓所写真にて確認。


美作国津山藩林田の生まれ。読みは、つだまみち。幕府の目付役になり大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想。福沢諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之と明六社を結成。後に勅選貴族院議員となる。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


土佐国吾川郡瀬戸村出身。藩主山内豊信の側近として藩政をリードし大政奉還の建白を協議。岩倉使節団の一員として欧米各国に渡り、後に宮中や元老院を舞台に天皇親政運動を主導。家紋は七つ割り隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園にて撮影。


会津藩出身。父は藩士・佐川直道。読みは、さがわかんべえ。藩主松平容保に従って上洛。武勇に秀で、薩長から「鬼の官兵衛」、「鬼佐川」と恐れられた。鳥羽・伏見の戦い後は会津に戻って越後戦線へ出陣するが敗れる。家紋は三つ目結紋。


陸奥国出身。会津藩士・佐々木源八の三男。京都見廻組を率い、新選組と共に尊攘派志士から恐れられる。京都近江屋で土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺したとの説もある。画像は霊山歴史館に所蔵されている鎖帷子に描かれた隅立て四つ目結紋。


但馬国出身。出石藩士加藤正照の長男。福沢諭吉、森有礼、西周らと、明六社を結成。はじめは啓蒙思想の傾向が強かったが後に社会進化論の立場をとる。哲学館(現東洋大学)創立時の顧問。孫に古川緑波がいる。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


筑後国の庄屋に出生。読みは、たかまつりょううん。適塾で緒方洪庵の指導を受ける。箱館戦争では榎本武揚に合流し医師として参加。その後、民間救護団体の前身・同愛社を創設し日本における赤十字運動の先駆者となる。家紋は隅立て四つ目結紋。


武蔵国出身。成島稼堂の養子となる。読みは、なるしまりゅうほく。『朝野新聞』を創刊する。自由民権運動の最中、社論は大隈重信の改進党に近く早稲田大学の初代の議員にも就任。姪孫に俳優の森繁久彌がいる。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


薩摩国鹿児島城下加治屋町に出生。読みは、おおやまいわお。妻は会津藩・山川健次郎妹の捨松。陸軍大臣、参謀総長、内務大臣などを歴任。陸軍では山縣有朋と並ぶ実力者となる。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に隅立四目結紋。墓所写真にて確認。


江戸津山藩邸に生まれる。蘭学者・箕作省吾の長男。読みは、みつくりりんしょう。『仏蘭西法律書』を著し、日本の法律の元祖と評された。長女は石川千代松に、三女は長岡半太郎に、異父妹は坪井正五郎にそれぞれ嫁いだ。画像は多磨霊園にて撮影。


肥前国小城郡出身。小城藩士横尾只七の次男。陸軍省に入省。欧州留学後に佐賀にて自由民権運動に参加し自由党に入党。西園寺公望とともに『東洋自由新聞』を創刊。大蔵大臣、文部大臣、法務大臣などを歴任。家紋は三つ目紋。画像は青山霊園にて撮影。


江戸出身。長府藩の藩士、乃木希次の長男として上屋敷に出生。東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ聖将と呼ばれた。最終階級は陸軍大将。明治天皇の後を追って殉死。家紋は四つ持ち合い井桁、五瓜、市松四つ目結。画像は青山霊園にて撮影。


日向国出身。都城島津家家臣・龍岡資弦の次男。上原家の養子。妻は野津道貫の娘。工兵近代化に尽力し日本工兵の父と称される。陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園にて撮影。


土佐国土佐郡井口村出身。土佐藩士・植木直枝の子。私擬憲法の中では最も民主的、急進的な内容とされる『東洋大日本国国憲按』を起草。著作に『民権自由論』『言論自由論』などがある。家紋は、丸に剣三つ目紋。画像は青山霊園にて撮影。


備前国御野郡出身。家は岡山藩士。読みは、ありまつひでよし。内務省書記官兼法制局参事官として治安警察法・行政執行法等の起草に関わる。枢密院書記官長、枢密顧問官を歴任。家紋は石持ち地抜き隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


千葉県出身。読みは、かなすぎえいごろう。東京病院で勤務する傍らで東京慈恵医院医学校にて、講義を行い東京慈恵会医科大学の初代学長となる。耳鼻咽喉科という専門科を創設し日本耳鼻咽喉科学会の創設者となる。画像は青山霊園にて撮影。


遠江国掛塚出身。読みは、おかあさじろう。進化論の啓蒙活動に貢献し旧制中学の生物学教科書を多く執筆。代表作の『進化論講話』はベストセラー。日本人初のエスペランティストとしても知られる。家紋は隅立て四つ目結紋。画像は谷中霊園にて撮影。


愛媛県大洲出身。藩の御用商人の長男。読みは、まさおとうきち。外務省からシャムに派遣され、のちに同国の法律顧問として刑法・民法・商法を起草する。タイ国王より信頼を受け白象第三勲章、王冠大綬章を受ける。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


三重県鈴鹿郡石薬師村出身。読みは、ささきのぶつな。歌人佐々木弘綱の長男。孫の佐佐木幸綱は俵万智の師匠。与謝野鉄幹らと新詩会を興し、新体詩集『この花』を刊行。『新訓・万葉集』『新古今和歌集』などを編集。画像は谷中霊園にて撮影。


大分県出身。下級武士・吉丸角内家の長男。読みは、よしまるかずまさ。作詞の他、、随筆や長編童話なども執筆した。代表作は『早春賦』『桃太郎』『日の丸』『池の鯉』『かたつむり』。家紋は平四つ目結紋。文京区・龍光寺墓所写真にて確認。


秋田県角館出身。本名は貞蔵。読みは、ひらふくひゃくすい。自然主義的写生画を目指し自然主義と古典が融合した作品を生み出す。また、伊藤左千夫と親しく歌人としても活動した。家紋は陰亀甲に隅立て陰四つ目結紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


鳥取県出身。鳥取県士族・西尾重威の四男。読みは、にしおとしぞう。教育総監、支那派遣軍総司令官。戦後、A級戦犯容疑者として逮捕され、1948年12月まで拘留された。最終階級は陸軍大将。家紋は五瓜に四つ目結紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


富山県富山市出身。旧姓は南日。読みは、たなべじゅうじ。19世紀の英文学を研究。登山家として日本アルプス、秩父山地を歩き、『日本アルプスと秩父巡礼』を刊行。後に『山と渓谷』として出版される。隅立て四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


東京都台東区生まれ。本名は佐々一郎。読みは、さっさ こうか。妻は元・浅草オペラの歌手・高井ルビー。浅草オペラの草分的存在で脚本も担当。代表作は『君恋し』『神田小唄』など。家紋は七宝に隅立て四つ目結紋。画像は谷中・妙雲寺の墓所にて撮影。


岩手県土淵村出身。家は裕福な農家。読みは、ささききぜん。彼が語った遠野の伝承を基に柳田國男が著した『遠野物語』は有名。代表作は『奥州のザシキワラシの話』『オシラ神に就いての小報告』。家紋の丸に隅立て四つ目結紋は墓所写真にて確認。


大阪府出身。読みは、あずまりょうたろう。結核予防会理事、厚生省医務局長、東京都知事などを歴任。またIOC委員を務め、国際スポーツ界に通じ東京オリンピックの誘致に深く関わる。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


横浜弁天通の岩田商会に出生。読みは、ししぶんろく。本名は岩田豊雄。岸田國士、久保田万太郎と共に劇団文学座を創立。日本芸術院賞、文化勲章を受章。代表作は『てんやわんや』『自由学校』『ちんちん電車』。画像は谷中霊園にて撮影。


岡山県苫田郡出身。読みは、かたおかてっぺい。川端康成らと共に新感覚派の一員として文学活動に入るが後に左傾化し、プロレタリア作家として活動。代表作は『左傾について』『朱と緑』など。家紋は重ね四つ目車。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


愛知県北設楽郡下津具村出身。本名・光三。読みは、ささきみつぞう。『馬を殴り殺した少年』で菊池寛に見出される。代表作は『右門捕物帖』『旗本退屈男』など。『旗本退屈男』は映画やテレビドラマ化され高い人気を得た。画像は小平霊園にて撮影。


岩手県稗貫郡里川口村に質・古着商の長男として出生。独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家となる。代表作は『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『雨ニモマケズ』等。家紋の隅立て四つ目結紋は記念館にて確認。


東京市深川区佐賀町に米の仲買人の息子として出生。小津安二郎監督の2作目『若人の夢』の主役に抜擢されて以来、小津映画に次々と主演。代表出演作は『そよかぜ』『獄門島』等。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は谷中・長運寺にて撮影。


広島県山県郡豊平町出身。読みは、うえひろてつひこ。丸山敏雄の「倫理研究所」から独立し「生活倫理実践会」を発足させ、のち「実践倫理宏正会」に改組し初代会長に就任。現在、会長職は長男の上廣榮治が世襲している。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


島根県能義郡出身。読みは、さくらうちよしお。櫻内家は江戸時代、代々広瀬藩士として松平家に仕えた。外務大臣、農林大臣、建設大臣、衆議院議長等を歴任。姪・貴代子は元首相・福田康夫の妻。家紋は平四つ目結紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


福島県出身。読みは、あらまさひと。戦前は学生運動に熱中。戦後、埴谷雄高・平野謙らと『近代文学』を創刊。夏目漱石の生涯を詳細に調べた『漱石研究年表』で毎日芸術賞を受賞。江戸川乱歩賞の選考委員を務めた。画像は小平霊園にて撮影。


北海道名寄市出身。本名、岩壁静雄。読みは、なよろいわしずお。最高位は大関。立浪部屋に所属。双葉山、羽黒山とともに立浪三羽烏と称された。大関から二度の陥落を経験したが40歳になるまで土俵に上がり続けた。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


千葉県木更津市出身。読みは、おかはるお。本名は佐々木辰夫。『国境の春』でデビュー。『上海の花売娘』『港シャンソン』のヒットを飛ばす。代表曲は『東京の花売娘』『啼くな小鳩よ』『憧れのハワイ航路』。画像は深川・本立院墓所にて撮影。


稲川会総裁(初代会長)稲川聖城の兄貴分。横綱の大鵬と力道山を招いて素人相撲大会を開催したという。松方弘樹主演『修羅の群れ』(東映1984年)では鶴田浩二が演じている。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


北海道中川郡恩根内村出身。本名は佐々木勝治。黒澤明監督から映画出演を勧められ『野良犬』でデビュー。代表出演映画は『七人の侍』『隠し砦の三悪人』等。『花いちもんめ。』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。画像は冨士霊園にて撮影。


岩手県九戸郡種市町出身。春日山部屋所属。本名佐々木秀剛。現役時代は前頭止まりだったが、年寄(10代目伊勢ノ海)として日本相撲協会の発展に尽力。幾多の海外興行を実現し角界のキッシンジャーと呼ばれた。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


奈良県奈良市出身。大阪市西成区育ち。京都大学名誉教授。日本学士院会員。フロンティア軌道理論でノーベル化学賞を受賞。生涯、基礎学問重視、独創的研究の必要性、科学と人間の平和的共存を訴えた。家紋の丸に隅立て四つ目結紋は墓所写真にて確認。


東京府出身。本名は、中川慶子。読みは、あわしまちかげ。宝塚歌劇団から映画界に転身。デビュー作品は『てんやわんや』。『夫婦善哉』でブルーリボン賞主演女優賞受賞。代表出演作は『麦秋』『鰯雲』等。家紋画像は護国寺の墓所にて撮影。


栃木県出身。本名は生沼正三。独自の生活実感にもとづく批評を展開。著作に『自殺者の系譜』『文学の転換』『病める時代』がある。「理解は誤解だ」という有名な言葉を残している。家紋は丸に平四つ目結紋。画像は八柱霊園の墓所にて撮影。


青森県弘前市青女子出身。土俵の鬼と呼ばれた。第45代横綱となり栃錦とともに栃若時代を築く。引退後、双子山部屋を創設し弟である大関・初代貴ノ花、横綱・2代若乃花、横綱・隆の里俊英(現:鳴戸)等を育て日本相撲協会の理事長も務めた。


神奈川県逗子市出身。夫はクレイジーキャッツの安田伸。日本のテレビ体操の草分け。1954年から日本放送協会の「美容体操」の専属講師に就任。1958年から香淳皇后に美容体操を教えた。著書「いつもお陽さま家族」。家紋は平七つ割四目結紋。


熊本県牛深市出身。本名は中村有雄。春日野部屋所属で最高位は大関。立派な土俵態度のために名大関と呼ばれた。また、親方時代に大鵬が戸田に連勝を45で止められた「正規の大誤審」の時に土俵下から物言いをつけた。家紋は丸に平四目結紋。


千葉県館山市出身。本名は、勝野忠孝(かつのただたか、旧姓・田辺)。時代劇ドラマ『大江戸捜査網』に井坂十蔵役、『ウルトラマンA』の竜五郎隊長役が有名。声優としては、クリントイーストウッドの声を担当。画像は青山・長谷寺にて撮影。


樺太出身。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨ。納谷は母の姓。第48代横綱。優勝32回(史上最高)、6連覇2回などを記録。納谷家の先祖の墓には丸に三つ柏紋があるが、通夜の幕には丸に平四つ目結紋が確認された。


長崎県長崎市出身。本名は佐田雅志。佐田家は元々島根県浜田市の大地主の家系。「グレープ」でデビュー。「精霊流し」がヒット。ソロとなっても、「雨やどり」「関白宣言」「親父の一番長い日」など数々のヒット曲・有名曲を生み出す。


兵庫県宝塚市出身。読みは、おくかつひこ。大学卒業後に外務省に入省。イラク日本人外交官射殺事件で銃撃を受け殉職する。死後、参事官から大使に2階級特進した。位階勲章は従四位旭日中綬章。家紋は墓画像より、丸に隅立て四つ目結紋。


神奈川県相模原市出身。東海大相模高校、東海大学で活躍した後、ドラフト一位で読売巨人軍に入団。新人王、MVP、打点王、最多勝利打点などのタイトルを獲得する。監督としてはリーグ優勝4回、日本一2回。家紋は五瓜に隅立て四つ目結紋。


東京都新宿区出身。父は元プロ野球選手の沼澤康一郎。様々なアーティストのレコーディング、ライブサポートを行う傍ら自身のバンドでも精力的に活動し日本で一番忙しいドラマーと称される。画像は多磨霊園の康一郎の墓所にて撮影。


東京都出身。政治家・亀井久興の長女。本籍地は島根県鹿足郡津和野町。旧津和野藩藩主亀井家の子孫にあたる。亀井静香は遠縁。2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で前職・景山俊太郎を破り初当選を果たした。家紋は隅立て四つ目結。


青森県三沢市出身。本名は浪岡貞博。二子山部屋所属。1994年(平成6年)1月場所は大関となる。大関時代には部屋では「浪大関」と呼ばれていた。幕内戦歴 647勝473敗8休。幕内最高優勝2回。現在は年寄・音羽山。家紋は丸に隅立て四目結。


東京都杉並区出身。父は元大関の貴ノ花利彰、母は女優の藤田憲子。本名は花田光司。第65代横綱。優勝22回は歴代6位で、平成の大横綱と称される。引退後は貴乃花部屋師匠、日本相撲協会の役員。画像は杉並の天桂寺・花田家墓所にて撮影。


東京都板橋区出身。和泉流19世宗家・和泉元秀の長男。本名は山脇元彌。和泉流宗家宗家会在籍。妻はタレントの羽野晶紀。大河ドラマ「北条時宗」で主役を務める。和泉家の門には雪輪に平四つ目結の家紋が見られる。画像は和田堀廟所の元秀の墓にて。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































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