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2012年1月の12件の記事

2012年1月31日 (火)

朝生に登場した橋下市長は、まるでヒクソンのようだった

1月15日の報道ステーションサンデーにおける橋下徹市長の山口二郎北大大学院教授に対する圧勝を受けて、27日深夜の朝まで生テレビでは、さらに、橋下市長を批判する面々(精神医学者の香山リカさん、社会学者の薬師院仁志教授、共産党の山下芳生参院議員など)による弔い合戦的討論が展開された。



しかし、結果から言えば明らかな「返り討ち」であった。



僕が見たところ、橋下市長は、反橋下陣営の面々に比べて、経験でも、論理でも、知識でも、下準備でも、頭の回転の速さでも、弁舌でも、顔でも、器でも、人間的魅力でも、とにかくあらゆる面で上回っていたように見えたのである。

前回の山口教授との対論に関するエントリー(橋下市長と山口教授との論戦に思う ~日本的民主主義から普通の民主主義へ~)でも書いたが、橋下市長が主張していることはあまりにも「普通」のことであった。しかし、それが、何故か日本では「悪」と思われているようなことなのである。



単純に言ってしまえば彼が主張しているのは、全ての物事の決定のプロセスを以下のようにするシステムを作ろうということだ。

ある政治的問題が起きる⇒議論を尽くす⇒決定権者が(時に多数決で)決定を行う⇒実行する⇒政策の結果が出る⇒市民が選挙で決定権者を審判する


ところが、現状は以下のようになってしまっている。それは、大阪府や大阪市だけではなない。おそらく、日本中が、そうなっているのではないかと僕は想像する。

ある政治的問題が起きる⇒談合が行われる⇒形式的な議論をする⇒妥協案(=金銭的手当て)が通る⇒問題が先送りになる⇒公共の借金が増える


勿論、経済が右肩上がりで、財政に余裕のある時は、従来の解決方法で問題はなかった。そして、それがゆえに、昭和の古き良き時代、こうした談合民主主義(=日本型民主主義)は生きながらえてきたのである。

しかし、バブル崩壊から、山一ショック、リーマンショック、311震災などを経て、いつまで続くかも判らない平成不況の渦の中、日本人は誰もが、これまでの決定方法ではダメだということがわかってきた。そして、インターネットによる新しい情報の流れは、そんな人々の了解を後押しした。



勿論、僕自身、古いもの、日本独自のものに対しては人一倍愛着があり、改革によっていつの間にか古き良きものが無くなってしまうことに懸念を感じないわけではないが、優先順位の問題として、日本は、現在こそ、「普通」の民主主義システムにギアチェンジすべきときだと思っているのである。



さて、先の朝生の討論について話を戻す。よくよく議論を聞いていると、反橋下論者達は、決して橋下市長が唱える大阪都構想に反対しているわけではないようであった。ただ、彼の手法が、独裁的で危険な臭いがすると言っているだけなのである、あるいは、ただ、彼が気に食わないと言っているだけなのである...というように僕には見えた。



橋下市長のディベートが上手なのは、そうした彼らが抱く「橋下は相手の言うことを聞かない」というイメージ(それを彼らはファシズムに掛けて「ハシズム」と呼んでいる)を一瞬にして逆手に取るその「返し技」がゆえなのである。



(僕は番組を一回しか見ていないので、以下は、あくまで記憶の中での話であることをご了解下さい)



ある論者が「大阪都構想というキャッチフレーズはあまりに単純化しすぎ」だと批判する。

それに対して橋下市長は「じゃあ、あなたはどうしたらいいとお考えですか。」と切り返す。

当然、その相手はただ、市長を批判したいだけなので、具体的な案など持っていない。一瞬、言葉につまる。そして、困る。なにせ、番組は全国放送だ。

そのスキに、橋下市長は、大阪都構想が必然的政策であることをスラスラと説明する。

相手は、何もいえなくて困っていたもんだから、橋下市長の言う事をさえぎるどころか、(むしろ内心、安心して)聞く立場になってしまうのである。



つまり、論者にしてみれば、橋下市長に対する「相手の話を聞かない」という批判がデマであったことが、自分が「噛ませ犬」となりながら証明されてしまうと同時に、橋下市長の主張の方が説得力を持っているということが、(そして、批判者たちの方が実は何も考えていなかったのだということが)視聴者に対して瞬時にアピールされてしまうのである。



おそらく、多くの論者にとって、ガチの論戦というのはそれほど、慣れた場所ではない。今までの朝生にしても、結局は、「あの人はこういう」ので、「私はこう返す」、論理が平行線になって怒鳴りあうと田原氏がCMを入れる、といった予定調和的な討論プロレスに過ぎなかったということである。

勿論、多くの視聴者はそんなことは百も承知で見ているのであろうが、橋下市長の登場は、そんなプロレスリングに、突然、格闘家のヒクソン・グレイシーが現れたような、そんな鮮烈さがあったように僕には見えた。



そして、それはちょうど、先に述べたような、橋下市長が目指す『談合民主主義(プロレス)から、「普通」の民主主義(格闘技)への移行』とパラレルなところが、僕にとっては面白かったのである。



さて、話をさらに変える。「橋下市長と山口教授との論戦に思う ~日本的民主主義から普通の民主主義へ~」というエントリーのコメントにも書いたのだが、僕は橋下市長のこういった民主主義のルールを正すことが自分の役割だという認識は、小沢一郎氏の発想に酷似しているのではないかと思っている。

ただ、小沢氏の場合、「普通」の民主主義を実現するための多数を獲得する手法があまりにも旧態然としていたこと、そして、ディベートがそれほど得意ではないこと、それがゆえに、既得権益者だけではなく、多くの国民にも、全く人気がない(一部の熱烈な支持者は別にして)という意味で、橋下市長とは全く別モノのように見られることも多いが、僕は本質的には、橋下市長は小沢氏が目指す方向と同じ流れにあると考えている。

その証拠に、橋下氏は、大阪都構想のシステムを作った暁には、その職を辞して、別のステージに行くことを宣言している。そのステージが国政なのかどうなのか、現時点ではよくわからないが、自分の役割をシステム創りと規定するその姿勢は確かであろう。それゆえに、僕は、橋下氏が組むべきは、石原氏や亀井氏ではなく、(民主党を抜けた)小沢氏であるべきだと思っているのである。



最後の一言。

歴史と言うものは、なんども挫折しながら、ジグザグで進まざるをえないものである。時に、マルクスが言ったように「思うようには創れない」ものだったりもする。そして、その評価は後世からしかできないものでもある。

よく、橋下市長の「君が代起立問題」に対する態度をして、彼を愛国者というようなことを言う人がいるが、僕は、そういった表面的なところよりも、彼が持っている「とにかく前に進んでみる、ダメだったら次の世代が、修正してくれるに違いない」というような、現在から未来にかけての日本人に対する明るい信頼感にこそ、愛国者としての資質を見るのである。



まさむね

2012年1月24日 (火)

薩摩人の家紋の菊化に関して

先日、青山霊園に行ってきた。目的は日高壮之丞の墓、そして家紋の撮影である。

ご存知の方も多いと思うが、日高壮之丞という人は明治期の海軍軍人であり、日露戦争直前に連合艦隊司令長官になりそこねた男として知られている。

それも、本人はヤル気満々で、しかも周囲からも彼しかいないと思われていたにもかかわらず、盟友とされた山本権兵衛によって、その職を外されしまうのだ。

そして、結果として、その職は東郷平八郎に任され、日本海海戦においてバルチック艦隊を撃退するのである。



この日高壮之丞であるが、NHKの「坂の上の雲」では、個性派俳優・中尾彬さんが演じていたので、その顔で覚えていらっしゃる方も多いのではないだろうか。



その日高壮之丞の墓であるが、散々探した挙句、ようやくみつけることができた。

ところが、その墓は、歴史的な偉人の多くが、1種ロ8号1~14側に眠っている(「有名人墓のメッカ 青山霊園1種ロ8号1~14側に眠る方々家紋一覧」参照下さい)の墓々に比べて、あるいは、多磨霊園名誉霊域という特別なエリアに眠る東郷平八郎や山本五十六の墓と比べて、質素な印象を受け、逆に、そのつつましさが好ましくも感じられたのであった。ちなみに、墓に彫られた「日高壮之丞」の名は、東郷平八郎の筆によるという。



そして、その日高壮之丞の家紋だが、割り杏葉菊に違い鷹の羽紋であった。

高澤等先生の「苗字から引く家紋の事典」によると、本貫が鹿児島県鹿児島郡の日高氏の家紋の最初に鷹の羽(丸に一つ鷹の羽、丸に違い鷹の羽)が記されていることをあわせて想像するに、日高家は、元々は鷹の羽紋であったのを、日高壮之丞の個人紋として割り杏葉菊に違い鷹の羽紋にしたのではないだろうか。

というのも、明治期の薩摩出身者の多くが、菊の葉、菊の花と別の紋とを、組み合わせた家紋をその墓に彫っているからである。

そして、このような家紋の菊化(菊と組み合わせて家紋を作ることの造語)は、この時期の薩摩人が、明治天皇に下賜されたという口伝を持つ、あの巨星の薩摩人・西郷隆盛の「抱き菊の葉に菊」の影響下にあるのではないだろうか、ということも想像させるのであった。



左から、得能良介(丸に三つ割菊に三の字紋)、松方正義(抱き菊の葉に抱き茗荷紋)、永山武四郎(丸に抱き菊の葉に剣四つ星紋)、高島鞆之助(抱き鬼柏に剣菊紋)、日高壮之丞(割り杏葉菊に違い鷹の羽紋)。









まさむね

2012年1月23日 (月)

把瑠都のお母さんが振っていた旗がなんとなく気になった

把瑠都が優勝した。



千秋楽では、白鵬に敗れてしまったが、それはそれで仕方が無い。

逆に先場所は、白鵬の全勝優勝を千秋楽で阻んでいる。これで、オアイコということになる。



それにしても、優勝インタビューは感動的だった。急遽、エストニアから来日したお母さんに対して、このように述べていた。

やっぱり...お母さんがいなかったら、私もここにいないから、私を、生んで、ありがとう!


つたない日本語ではあるが、本当に気持ちが伝わってきた。



このサイト(エストニアのスポーツ動画ニュースサイト)でもわかるように、彼は日本の大相撲界の至宝であると同時にエストニアの英雄である。

琴欧洲の時もそうだったが、このようにして海外力士が活躍して、その国と日本との交流が深まるというのは本当にいいことだ。



さて、全然別の話であるが、僕が気になったのは、国技館に来ていたお母さんが振っていた旗である。

アナウンサー氏の解説によると、この旗はエストニアの旗ではなく、出身地のラクヴェレ市の旗ということであるが、お母さんが国旗であはなく、敢えて、スウェーデンの国色(青と黄色)をあしらった市旗を振ったところに、ちょっとしたお母さんの政治的内面が現れているようで僕には興味深く思えたのであった。僕は残念ながら、エストニアの歴史、ラクヴェレの歴史に関しては、全く知らないが、お母さんが振ったあの旗には、僕の知らない意味があるのではないかと想像してしまったのである。



そういえば、かつて、フリーバーズというプロレスのタッグチーム(マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービン)があったが、彼らが振り回す旗は、星条旗ではなく、南北戦争で南部軍がかかげたサザンクロスであった。それは、彼らが持つ白人主義者としての主張を表現していたのかもしれない。



僕ら日本人にとっては、全く何も主張できない、あのサザンクロスの軍旗であったが、僕はなんとなく、そういったものにいとおしさを感じてしまうメンタリティを持っているようだ。



把瑠都のお母さんの旗を見て、フッと、そんなことを、思い出してしまったのであった。



まさむね

2012年1月19日 (木)

把瑠都の魅力 その豪放磊落で底抜けに明るいナチュラルさ

大相撲初場所、12日目が終了し、大関・把瑠都が12戦全勝で優勝争いのトップに立っている。



言うまでもなく、彼のよさは、その圧倒的な体格と体力である。

他の多くの力士が彼について語るとき、そのパワーの凄さを必ず口にする。おそらく、僕ら観客が感じ取る以上のものがあるにちがいない。



さて、僕が今日のエントリーで語りたいのは、その把瑠都の肉体、及び、精神におけるナチュラルさについてである。

今日の稀勢の里戦、把瑠都は立会い一瞬、体を開いて、新大関を地に這わせた。レポーターの報告によると、上手を取りに行こうとしたが、立会いがあわず、瞬間的に叩いたというようなことを語っていた。また、確か昨日の日馬富士戦でも、土俵に上がってから、突っ張っていこうと決めたと言っていた。

つまり、彼は、綿密にプランを練って作戦を実行するタイプではなく、その場で臨機応変に、つまりナチュラルに、悪く言えば、出たところ勝負で闘っているということである。

これは、ある意味では、緻密さの欠如として批判されることなのであろうが、僕は、逆に、ここにこそ、把瑠都の大きな魅力があると考えている。彼の豪放磊落な表情、勝った後に花道の奥で付き人に見せる笑顔は、今までの大関なかった明るい個性ではないのか。

また、把瑠都のナチュラルさは、その仕切り方にも現れている。彼は、例えば、白鵬のように徐々に集中力を高める様式美を持っていたり、琴奨菊のように独特の(左手による横への)塩巻スタイルを持っているわけではない。あるいは、稀勢の里や琴欧洲のように、自分の顔を叩いて気合を入れたり、日馬富士のように、深く仕切ったりと、他の横綱、大関が持っている独特の仕切りの型が無いように思われるのだ。

それどころか、彼の仕切りには、あたかも、「なんで、こんなことをしなきゃいけないんだろう」的な明るい退屈さが漂っている。それゆえに、仕切り途中で相手をグッと睨むというようなことはまずないし、塩巻きの風情もどことなく、気楽な感じがするのである。しかし、その風情がまた、魅力的なのだ、少なくとも僕には。



そんな把瑠都は、ここまで土付かずの12連勝である。序盤は何番か、危ない場面もあったが、中盤からここへかけて、圧倒的な勝ち方をするようになってきた。調子が徐々に上がってきているのであろう。このまま、全勝で千秋楽まで行って、堂々と大横綱・白鵬に勝負を挑み、賜杯を手にして欲しいと思うのは僕だけではないだろう。



さて、一方、横綱・白鵬であるが、一昨日の鶴竜戦で思わぬ、不覚を取った。というよりも、あの一番は、鶴竜の先手先手の攻めをほめるべきなのであろう。そして、今日の日馬富士戦、誰もが考えなかった日馬富士の立会いの変化によって、一気に土俵外まで突っ走ってしまった。

白鵬にしては珍しいことである。

ただ、まだ優勝の望みが消えたわけではない。把瑠都に対して、最後まで大きな壁であって欲しい。それでこそ、平成の大横綱である。



その他、今場所、ここまでで気になった人をいつも通り、列挙してみたいと思う。



まずは、十両で言えば、琴勇輝の気迫が目を見張る。

特に、立会い直前の仕切りの時に、相手に正対して「ハッ!」という声を出して気合を入れる。塩を取る際に独特の所作をする力士は(高見盛のように)多いが、そういった場面で(定型としての)発声をする力士はあまりいなかったのではないか。

また、その風貌も個性的である。言い方は悪いかもしれないが、田舎のヤンキーがそのまま相撲取りになったかのような天然のヤンチャさの魅力とでも言おうか。まだ、20歳ということもあって、今後の期待は大である。



次に、新入幕。誰がなんと言っても、千代の国の魅力には触れなくてはならないだろう。その若々しい動きと端整なルックススは、かつての貴花田を彷彿させる。今日も、格上・栃煌山の攻めを最後に逆転して転がしてしまった。見事な運動神経という他ないであろう。おそらく、彼のような力士が三役になれば、大相撲はもっともっと盛り上がるに違いない。



運動神経と言えば、今場所、隆の山も随所に光る動きをしている。特に、昨日の土佐豊戦で見せたうっちゃりは見事であった。実は、公式にはうっちゃりだったのであるが、後でスローを見たら、なんと、土俵際で相手の足を蹴っているのだ。つまり二枚蹴りをしていたのである。こんな芸当は常人では出来ない。

実は、今日も栃ノ心が嘉風の寄りに対して、土俵際でうっちゃりを見せた。残念ながら決まらなかったが、今場所、このようなうっちゃり技が多く見られるのが嬉しい。

「うっちゃり」はなぜ消えたのか―データが語る大相撲』という本が出たのが今から10年以上前であるが、ここへ来て、その醍醐味溢れる技が徐々に復活してきているのは誠に嬉しいことである。



その他、嘉風、安美錦、妙義龍、栃の若、臥牙丸など、語りたい力士は沢山いるのだが、長くなりそうなので後日に回し、今日は特別下らない話をさせてください。



実は、今日、観客席にダンカンが座っていたのである。しかも、白いヘッドギアというか包帯を頭に巻いてだ。僕はそれを確認したくて、東側の升席で彼が写るたびに、目を奪われてしまった。

観客席に有名人がいるのを探すというのは、僕のプロレスファン時代以来の趣味なのである。そして、その表情を見て、その有名人のお気に入りの力士などを判断するのが好きなのである。

それゆえ、有名人が観客席に見つかってしまう日はどうも、土俵上の相撲に対する集中力が途切れてしまうのだ。



そういえば、今場所の二日目、東のたまり席に、高須クリニックの高須克弥院長、一つ空けて、「わかンねえだろうナ」で一世を風靡した風靡した松鶴家千とせ師匠が座っていた。しかも、その日は特別解説にやくみつる氏も来ていたもんだから、「かつら三トリオ」が揃ってしまい、僕の心をかき乱せずにはおかない一日となってしまった。

さらに、相撲の進行途中で、いつの間にか、高須院長の髪型が、白髪(短髪)になってしまったものだから、それを確認するために、画面を目で追うハメになってしまい、全く相撲に集中できなかった。



ちなみに、後で、高須院長のオフィシャルブログに、「ヅラ奪われた!」と記事があり、その件は、とりあえず納得ww。



僕は、大相撲という見世物空間で起きることは、どんなことでも、楽しみたいと思っているのである。



まさむね



2012.01.12:大相撲、この愛すべき格闘技

2012.01.11:今場所は、三人の外国人大関が素晴らしい



2011.11.29:稀勢の里昇進問題、あるいは合理主義とノスタルジーの葛藤

2011.11.25:21回目の優勝を飾った白鵬について改めて考えてみた

2011.11.22:期待の大相撲・阪神四天王(豪栄道、栃の若、妙義龍、勢)

2011.11.21:大相撲で頑張る白人達の話

2011.11.20:九州場所の注目の二人・琴奨菊と稀勢の里について

2012年1月18日 (水)

橋下市長と山口教授との論戦に思う ~日本的民主主義から普通の民主主義へ~

今週の日曜日の昼間に放送された報道ステーションサンデーというニュースショーで行われた橋下徹大阪市長と山口二郎北大大学院教授との対談が話題になっているようだ。

僕は生では見ていないのだが、YOUTUBEなどで確認した。内容は、Twitterや2chなどで多くの人々が指摘されているように、橋下市長の圧勝だったといわざるを得なかった。山口氏の反論をことごとく、論破する橋下市長。これだけ一方的な論戦というのを僕は始めてみたような気がする。(『橋下市長と山口教授がテレビ直接対決 終始劣勢山口氏は「難儀なことでした」』参照)

僕には、橋本市長が主張する、二重行政の無駄排除、チェック機能が効かない教育委員会制度の改正、区長の権限の明確化など、全て正論のように思われた。それに対して、新自由主義的政策に対する教科書的な空理空論的批判を橋下市長にぶつけ、その度に具体的知識の無さを露呈する山口教授は哀れでもあった。



さて、具体的な政策論争はさておき、論戦の中で、僕が特に興味を抱いたのが橋下市長の以下の発言であった。これは明らかに、日本的民主主義(戦後民主主義)を否定する言葉であったからである。

僕は民主主義の考え方を変えないといけないと思うんですよ。

少数の意見に配慮をする、少数の意見に耳を傾ける、これは当たり前です。これは言うとカッコいいからねぇ、インテリぶった人はみんな言うんですよ。

しかし、民主主義の根幹は、多数の意見を尊重するっていう事なんですよ。

日本人はそこを勇気を持っていえなかった。


元々、日本人には、話し合い絶対主義という信仰にも似た思想がある。

それは、「古事記」における大国主命によるニニギノミコトへの話し合いによる国譲りや、聖徳太子の時代の十七条の憲法の「和をもって尊しとなす」という第一章にも見られるくらい長い歴史があるのだが、とにかく大事なのは「話し合い」であり、話合いを重ねていけば、自ずと正しい解決策が見つかるはずだ!というものである。



逆に、力ずくで相手の意見を押さえつけるというのは、「悪」であり、現代社会における力とは言うまでも無く、「数」であるがゆえに、話し合いで決着をつけずに、多数決で物事を決めるというのは、日本的な価値観で言えば「悪」になってしまうのだ。

そして、それに対して話し合いで決着がつかない場合には、お互いの意見をすり合わせて中庸な意見を採用し、最終的に全員がとりあえず納得する形で物事を決めるというのが「善」なのである。



だから、他国の民主主義では当たり前に採用される採決が、日本では、何故か「強行採決」という「悪」い言葉になってしまうのだ。

しかし、よく考えてみれば、人の意見は多様だ。それを前提とすれば、多くの主張を多数決という形で一つにまとめるという発想は、決して強引でも、ましてやファシズムでもない、それは普通の民主主義なのである。



それに対して、日本人は、今まで、相手の気持ちを察して、相手が怒らないように(相手の怨念が残らないように)話をまとめることを(本来の)民主主義と勘違いしてきたのではないだろうか。そして、その相手の気持ちを察するということ(=空気を読むということ)が行き過ぎると、極端な話、責任者が不在のまま、誰もが反対だと思っていることがいつの間にか決まってしまい、後で聞いてみると、誰一人として賛成していなかったというようなことが起きるのである。

それこそが、かつて政治学者の丸山昌男氏が言っていた「戦争が起きたメカニズム」なのであり、そして、これこそが、山本七平氏が言ったところの「日本教」の弊害なのである。



勿論、こうしたメンタリティに日本人特有の優しさや、日本人らしさを感じて、シミジミするような瞬間が無いわけではないが、現代の状況は、橋下市長が言うように、それほど甘い状況ではないのかもしれない。



そして、橋下市長が提示した危機を乗り越える武器こそが、日本的民主主義ではない普通の民主主義ということである。



国と地方の財政はどんどん悪化して借金がかさみ、しかも誰も責任を取らない。誰からもチェックされない(出来ない)蛸壺のような無数の組織がいつの間にか隠然たる既得権と権力を持ち、社会の財産を食い潰している。臆病な現状維持政策で多くの貧困を生み出している。そして、自分だけがよければいいという発想で、税金を食い潰すことが権利であるかのような人々を大量に生み出している。そんな社会になってしまっているではないか。



そこで出てきた橋下市長的多数決の論理によって、国も地方も、その硬直したシステムを、強引に変えなければならない時期なのではないだろうか。

敢えて言うならば、少なくとも、この2012年の今現在、それらの改革は、「日本の良き伝統を維持すること」よりも優先度の高い喫緊の課題なのではないかと、僕は思ったりもする。残念ながら、日本的民主主義(談合主義、利益調整主義)による漸進的改善では、現状に対してあまりにも無力ではないのか。



もっとも、僕らは日本人の良さとをどのように残したらいいのかという事、あるいは、日本人の良さとは何かという事すら、よく考えてこなかったのかもしれない。雇用慣行や中央集権主義に代表されるような、たかだか戦後(あるいは明治以降)の慣習を日本人の伝統だと思い込み、それを墨守しようとしてきたといことだってあるのではないだろうか。



おそらく、良いと思われるものは、一時的に、衰退しても、未来の日本人が再発見し、時代にあった形で新たに成長させるだろうし、不要と思った慣習は消えていくに違いない。今、僕らが下す判断が間違っていたとしたら、それは未来の日本人が修正してくれるに違いない。僕らに必要なのは、まずは、そんな未来の日本人を信じて、とりあえず、目の前の課題から逃げずに前に進むことである。



橋下市長の「悪」さに僕は期待したい。僕は今、そんな気分である。



まさむね

2012年1月17日 (火)

西宮神社の福男選び、妖怪ハンター、ジャイアント馬場

先週のはじめに、西宮神社の福男選びがあった。

いつの間にか、西宮だけではなく、全国的に有名な正月明けの行事となった感がある。確かに、見ていて面白い。



僕は以前、イザナミとイザナギの第一子でありながら、不具(足が立たない)であったため海に流された蛭子を祭る神社なのに、何故、足を競うような神事を境内で行うのだろうというような疑問を持っていた。

一応、足の悪い恵比寿(蛭子)さんの太っ腹を示す意味があるのではないかなどと勝手な解釈をしたが、今度、機会があったら、是非、現地の宮司さんや氏子さんとかに聞いてみたいものである。

さて、恵比寿といえば、最近、読んだ「妖怪ハンター水の巻」(諸星大二郎著)で描かれていたエビス様は不気味であった。この漫画では、エビス様は岸辺に流れ着いた死体(つまり土左衛門)だったと表現されている。

おそらく、福というものは、海の向こうに代表されるような異界からやって来るものという古来からの日本人の信仰をベースにしているのであろうが、その信仰が本来持っていた「毒」をこの漫画は本当によく表現しているのである。



ここで「毒」というのは、日本においては信仰される対象は、必ずしも美しかったり、崇高だったりするのではなく、逆に醜悪だったり、忌避される存在だったという逆説が表現されているという意味である。



さて、興味深いのは、この巻に収録された「六福神」という短編である。そこに描かれている神々も毒を持っている、決して善良な神々ではないのだ。それどころか、露悪的なほど、邪悪な様相を呈している。とても、子供の漫画雑誌に掲載さえていたということが簡単に信じられるような代物ではない。例えば、宝舟の上では、大黒は、福禄寿の長い頭をちぎって喰らい、布袋はテレビゲームにうつつをぬかし、毘沙門天と弁財天とは常時、くんずほぐれつSEXをしているのである。



おそらく、舞台となった地方は、日本海側の寒漁村であろう。そこには、「七福神」ではなく、「六福神」という言い伝えがあるというところから話は始まる。この地方では、年の暮れに六福神を描いた絵を海に流し、正月に七福神の絵を神社で買ってくるというのだ。

そして、この六福神は、忌み嫌われる存在で、村から人をさらっていくという不気味な伝承もあったりもするのである。しかし、それが正月になり、ひとり増えて七福神となると、がらりとめでたい福の神になるという。



ドラマはこのような世界で展開していくのであるが、僕には、このドラマ以上に、六が不吉で、七がめでたいという、その観念に興味を持った。家紋の世界もそうであるが、日本人(東洋人)にとって幸福な数字は偶数ではなく、奇数なのである。例えば、竹笹紋や星紋などは、圧倒的に奇数の葉や星の家紋が多い。また、大相撲の本場所が奇数月にのみに行われるのも、一月一日、三月三日、五月五日...など奇数月のぞろ目にのみ重要な日が当てられているというのも、ある種の縁起をかついでいるのであろう。ちなみに、この「妖怪ハンター水の巻」の巻頭の話「産女の来る夜」は旅の巡礼(六部)殺し伝説がもとになった話であるが、ここで登場する「六部」という存在にも、六という数字にまつわる不吉さを嗅ぎ取ることが出来る。



これは僕の推理であるが、このように偶数が持つ座りの悪さ(安定感の無さ)が、「六福神」を不気味な存在とし、「七福神」をめでたい存在にしているのではないだろうか。そこには、二で割り切れてしまうということが、組織内の和を乱しがちになるという日本人の長年の知恵があるのかもしれない。



さて、この漫画では、七人目の福神として宝舟に乗っていたという「福助五郎」というちょっと変った風体の男が登場する。いうなれば、彼は異形の男である。



異形と言えば、かつてのプロレスには、この異形の人々が持っている福を呼ぶ超人的な力を感じさせる何かがあった。

今、思えば、正月には必ずブッチャーを呼んでいた馬場さんのセンスには感心せざるをえない。七福神プロレス。これが、かつての全日本プロレス・新春ジャイアントシリーズの隠しテーマだったのではないだろうか、と今、改めて思う。



布袋、恵比寿、大黒としてのブッチャー、毘沙門天としてのハンセン、(そして、自ら)福禄寿、あるいは寿老人としての馬場...



最後に、この「妖怪ハンター水の巻」の「鏡島」に登場してくる海モッコについてだが、この海モッコで思い出したのが、例えば、以下のような渡部昇一氏の話である。

祖母は無学な東北の百姓でしたから、元寇も蒙古も知らないんです、しかし、世の中で 一番こわいものはモッコなのだと、東北の山村で語り継がれてきたんです。


700年以上前の元寇に対する恐怖が妖怪化したのがモッコだというわけだ。保守陣営の重鎮らしい面白い説である。



まさむね

2012年1月16日 (月)

平清盛は、今後、どのような賽の目を出していくのであろうか

NHK大河ドラマ「平清盛」が素晴らしい。

僕は、先週の日曜日の第一回放送を見逃してしまい、一昨日の土曜日に第一回目、昨日の日曜日に第二回目の放送を立て続けに観た。



第一回目放送後、兵庫県知事の「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にならないというのが第一印象」という発言も聞いていたし、保守系の方々による、いわゆる王家呼称問題なども耳に入ってきていて、なにかと外野が騒々しいという印象だったので、いかがなものかという気がしないでもなかったのであるが、予想以上のスタートに感心してしまった。



僕は、昨年位から、ドラマの歴史考証が云々という視点で大河を見るような態度は捨てるようにしている。

それでないと観てはいられない、ということもあるのだが、あまりそういった観点でディテイルを観ることにちょっと飽きているというのもあるのだ。



さて、物語の内容に関してであるが、まずは、清盛(幼名は平太であるがこのエントリーでは清盛で通す)の出生の特殊さが、これでもかと、描き出される。この執拗さが凄い。

法皇という高貴な血を引いていながら、しかしその血は、同時に、不道徳で横暴な「うつつの物の怪」の血(と遊女の血)でもあるという聖穢の両面性を併せ持つ清盛。陰陽師の占いによって天皇家(=国家)に禍をもたらす宿命があるということで流産させられそうになる。その命令から逃げた母親によって馬小屋で誕生するが、その母親からも、産声を上げた瞬間に殺されそうになる。

しかし、母親は思いとどまり、その子を育てることを決意するが、結局は捕縛され、法皇の前に出される。そして、そこで、法皇によって抹殺されかけるが、結局は母親の命を賭けた咄嗟の行動によって救われる...



これは、まさに怒涛の展開だ。大河ドラマでありながら、明らかにその枠を超えた、まるでシェークスピア悲劇や、旧約聖書、はてはアーサー王伝説やギリシャ神話の臭いがする。このドラマのテーマが、おそらくは、「血の宿命」といった重いものになる予感が初回、二回目からプンプンしてくる。



例えば、オープニングの映像にまずサイコロが何度か登場する。また、第一回目放送では、祇園女御と双六をしたり、第二回目放送では賭博場のシーンが出てくる。いずれのシーンでも清盛は的確な賽の目を出す。

思えば、当時権勢を誇った白河法皇は、意のままにならないものとして、賀茂川の流れ、比叡山の僧侶と並んで、この双六の賽の目を上げたというが、このドラマでは、その賽の目をも、自由に出せる「天賦の力」が、この清盛に宿っているかのように扱われている。つまり、このドラマにおけるサイコロとは、彼が法皇を超える権勢を得るであろう強い宿命を持つ男として生きるということの伏線となっているのである。



また、白河法皇が出した殺生禁止令に対して、抗議に行く清盛であるが、実は、民衆を苦しめるこの令の根本に、法皇が恐れた清盛の母親の惨死があったということを、そして、それは清盛が生きているということ自体から来る因縁であることに気付かされる。つまり、法皇に抗議しに行った清盛は、自分自身の存在自体が、回りまわって、庶民を苦しめていたという逆説に、初めて出会うということになるのである。



おそらく、清盛が持っているこの暗い宿命が、彼をずっと苦悩させ続けるのであろう。

何故ならば、この宿命は、白河法皇が持つ物の怪の血から逃れられないという宿命だからでもある。そして、その宿命によて、清盛は、ゆくゆくは、意識しようがしまいが、あの憎んでいた法皇に似てくるに違いない。おそらく、それが、このドラマの大きな見所の一つとなろう。



例えば、ご存知の通り、白河法皇が、清盛を生かしておいたという、その人生において唯一見せた人情(=甘さ)の遺伝子は、後に清盛をして頼朝を殺さなかったという人情(=甘さ)として受け継がれ、それが平家を滅ぼすという因果に続く、多分。



大きな宿命の前では、一時の善行が自らの不幸の種になるというこの逆説。自分が生きようとすること、欲望を満たそうとすること自体が、誰かを不幸にしてしまうという逆説。



いままでの大河にないその邪悪な部分が、今後、どのように描かれていくのかが、とっても楽しみである。



まさむね

2012年1月15日 (日)

音楽甲子園2011のエントリー楽曲を是非聴いてみよう

現在、音楽甲子園2011の一般投票が行われています。



どの楽曲も、レベルが高いので驚いてしまいます。自分達が高校の頃と比べると雲泥の差です。



ご興味のある方は、是非、聴いてみてください。



まさむね

2012年1月12日 (木)

大相撲、この愛すべき格闘技

今場所の大相撲は、いつもに比べて特に面白い。

勿論、昨日のエントリーでも書いたように、3外国人大関の活躍というのもあるのだが、それ以上に、各取り組みの緊張感、技の攻防、負けられないという意地などが、普段よりも見られるところがいい。



この写真は、本日の結び前の一番の稀勢の里と鶴竜の一番の最後の一瞬を捉えたものであるが、おそらく、大相撲というものを知らない、どこかの外国人が見たら、何をやっているのだろうかと思うに違いない。



太った大男二人が、足を高く上げて必死な顔をしている。しかも裸だ!!



僕はこのような一瞬を絵として現出せしむる大相撲という競技は日本人が生み出した奇跡の一つだと考えている。

他のどんなスポーツで、このような面白い瞬間を捉えることができるのだろうか。



そんな、大相撲への愛を込めて、今日は、この短いエントリーを上げさせていただきました。



まさむね

2012年1月11日 (水)

今場所は、三人の外国人大関が素晴らしい

大相撲初場所を連日、テレビ観戦してる。



それを観る限り、今場所はなかなか迫力のある取り組みが続いている。おそらく、昨年の様々なトラブルを踏まえ、各力士がいつも以上に気合を入れているにちがいない。少なくともそう感じさせる今場所である。



特に、話題という点において、新大関の稀勢の里、あるいは先々場所大関になった琴奨菊という両日本人大関の影に隠れがちだった琴欧洲、把瑠都、日馬富士といった3人の(ベテラン?)外国人大関の気力が充実しているように見受けられる。

勿論、3人とも4連勝と星も上がっている。少なくとも僕の記憶でこの三人が初日から4日目まで白星続きというのはちょっと記憶が無い。



特に琴欧洲。

先場所、角番をかろうじて脱したものの、長期低迷は否めなかった琴欧洲であるが、今場所は別人のようだ。今日の豪栄道戦など、圧倒的な勢いで、相手を押し倒した。相性のいい相手であるということを差し引いても、抜群の出足であった。

おそらく、いつも以上の緊張感を持って、場所に臨んでいるのかもしれないが、そのたたずまいの暗さ(窮屈さ)は若干気になる。



続いては把瑠都。

一方的な取り口というわけではないが、初日から今日まで、とりあえず白星を重ねたのはよかった。先場所のように、序盤で早々と優勝争いから脱落しながら、後半、ぐんぐん調子を上げ、千秋楽で白鵬の全勝を阻止した実力と体力の持ち主である。序盤の好成績は初優勝の期待をも膨らませる。それにしても、勝負の最後で、若荒雄の体の下になって土俵下に転落した行司の木村庄三郎は大丈夫だったのだろうか。少し心配である。



そして、日馬富士。

今日の豪風戦は一方的な勝利であった。豊ノ島戦など、若干、あぶない場面もなくはなかったが、今日の相撲を観る限り調子はいいに違いない。あの突き刺さるような立会いの低い鋭さはさすがである。



よく、関脇が強い場所は面白いという話はあるが、現在のような5人大関の状態では、やはり大関が強いと場所が締まるように思える。

今後も、今場所は、この3人に注目である。



一方、既に2敗してしまった琴奨菊であるが、本日の安美錦戦では全くいいところがなかった。というか、逆に安美錦が上手かったということだろうか。この安美錦という力士、先日の白鵬戦では、まるでいいところがなかったのに、本日は素晴らしかった。飄々としたベテランの味というところか。久々に呼ばれたインタビューでは、「久しぶりなのでインタビュールームがどこにあるか忘れていた」と冗談を言っていた。このあたりのとぼけた対応も、ベテラン・安美錦らしい。ちなみに、僕はこの人を見ると、「浮世雲(はぐれぐも)」の雲を思い出す。



また、今日の稀勢の里の相撲は残念だった。解説者の芝田山親方も「油断」「焦り」という言葉で説明されていたが、体の小さい豊ノ島に懐の入られるのを避けたかったのであろうか、突きで勝負をしたところ一瞬の隙をつかれたという感じの相撲であった。ただ、昨日の雅山戦などを見ると地力は確実についている。気を取り直して明日から再び頑張って欲しい。



まさむね

2012年1月 5日 (木)

ももクロとプロレスをネタに日本的芸能の伝統を考えてみた

じつにさんより「ももいろクローバーZの使命」というエントリーを頂いて以来、自分は、ずっと、ももクロとプロレスのどこが似ているのかをずっと考えてきた。



じつにさんからも紹介があったが、確かに昨年の10月の全日本プロレス両国大会で、ももクロが特別"参戦"するなどして、その関係性が密なることは誰の目にも明らかだし、「「ももクロとプロレス」――“あの熱”よ、もう一度」や「アイドルが「冬の時代」を吹き飛ばす!?格闘文化の最新型“ももクロ”の魅力」といった記事により、再三、ももクロとプロレスとの類似性が指摘されもされてきており、「今更、考えることなどあるまい」なぞと、自棄になったりもしたのだが、それでも、「力いっぱいでウソの無いパフォーマンス」とか、「プロレスに相通ずる"熱"」、あるいは「ステージコスチュームのセンス」はたまた「運営方針そのものが“闘い”」といった先人が指摘された類似性以上のなんらかの共通性があるに違いない!というドタ勘が心の中で疼き、僕は僕なりに考えざるを得ないのであった。



そして、こうして考えている間も、僕はYOUTUBEでそのPVを何度も目にするわけで、その度に、この泥臭いアイドルグループに惹かれる自分がを隠すことが出来なくなっているのだ。



一般的な流れで言うならば、90年代のSPEEDが、沖縄という異界からやってきた特権的なアーティスト・アイドルだとすれば、ゼロ年代初頭のモーニング娘。は、つんく♂という試練を乗り越えた面接試験型・アイドル、そして近年大ブレイクのAKB48は、総選挙という民意によって選ばれた民主主義的アイドルということである。つまり、アイドル史は、彼女達とファンとの関係性が、どんどん、斜め上から水平へと移動してくる歴史であった。



そして、そんな歴史上の究極形として、ファンが逆にアイドルを引き上げるというか、泥の中からアイドルが這い出てくるのを応援するというか、そういったスタイルとして存在するのがももクロだということが言えるのではないだろうか。つまり、彼女達のスタートが道端だったという"神話"はまさに、彼女達を、アイドルというよりもよりプロレスラー、あるいは、遊芸人に近い何者かたらしめるのに大きな要素だったというのは明らかである。



さすれば、今日のエントリーは、そのあたりから書き始めてみたいと思う。



というのも、日本の芸能の起源である散楽というものが、寺社の境内のみならず、村々の辻や無縁の道端で行われた雑多な芸能であったからである。その泥臭いパフォーマンスには軽業、曲芸、相撲や物真似などが含まれていたというが、網野善彦氏などの説によれば、それらは単なる見世物という以上に呪術的な要素が含まれていたらしい。つまり、エンターテイメントである以上に、宗教的な儀式であったということである。例えば、現代、興隆を極めているMANZAIにしても、その起源は、萬歳という、太夫(ツッコミ役)が、歳神を身に依らせた才蔵(ボケ役)をして、あの世とこの世の間を行き来させることによって成り立つ芸能だったのである。



おそらく、そこで、大事なのは、芸能者の異形のエネルギーが観客に対して持つ説得力であったに違いない。そして、そのエネルギーは、観客の目を楽しませることだけを目的にするのではなく、観客に対して、この世が改変されたことを示すために必要だったのである。

例えば、能楽の多くは、シテ役の怨霊が、ワキ役の僧侶に、その苦難な過去を語り、浄化してもらうことによって、この世に潜在的に及ぼしていた様々な災いを退散させるという構造を持っている。能舞台が、およそ、一期一会という一回性を重視するのはそれが単なる芸能ではないからである。



ちなみに、かつての能楽には、そうした呪力を持つ芸能と、呪力を感じる観客との間に、幸福な関係があったに違いない。しかし、残酷なことにどんなジャンルにも栄枯盛衰がある。それは一人一人の演者の力ではどうしようもない時代の運というようなものである。



さて、僕は以前、「申し合わせはしても合わせ稽古をしない」という能とプロレスの類似性について考えたことがあったが、この二つのジャンルの類似性は、同時に、その絶頂期においては、「世界を改変させる機能を持つ」というところに及んでいるのではないかという仮説を、今、持つようになっている。

それは、僕らは、多くのプロレスの試合においては、その決着の前後で、他のスポーツではありえないような世界の改変がなされているのに気がつく奇跡にしばしば出会うことがあったからである。多少大げさに言うならば、僕は、勝負の前後でそのプロレス会場が全く別の空間となっている瞬間に立ち会い、そしてその瞬間こそ、プロレスおたくだった自分の中の何かをも改変させられている瞬間を何度も体験しているのである。

もっとも、敢えて付け加えるならば、その空間には、レスラー達のボロボロの肉体と、その献身の精神に対する圧倒的感謝の念も残るのだが。



しかし、そんな体験も絶えて久しい僕ではあるが、もし、ももクロが、かつてのプロレスを、そして日本の芸能の本来の伝統を継承する力を持っているとしたら、彼女達は、以下の四つを感じさせるほどの"力"を持っているに違いないと僕は思う。



①計算外のエネルギー(世界が改変できると信じるに足るパワーと献身)

②あの世とこの世とをつなぐ恍惚感(どこが演技で、どこから現実かが曖昧な演出)

③幾多の困難を乗り越えた目覚しい成長(見るたびに世界が改変されていく運動体としてのももクロ)

④そんな演者と観客との幸福な関係(時代の運と信頼感)



それを確かめるべく、今年の楽しみがまた一つ増えた。



まさむね

2012年1月 3日 (火)

「輪るピングドラム」が「まどマギ」よりも悲しいかったワケ

輪るピングドラム』が半年の全24話をようやく収束させたのは昨年の暮も押し迫った12月23日だった。

正直言って、謎と幻想世界のインフレーションは、着いていけないところも多々あったが、最終的には見事な着地をしたというべきであろうか。

そういえば、一つの平凡で平和な世界は、別の世界における他者の犠牲の上に成り立っているという結論は、まさに昨年春のヒット作『魔法少女まどか☆マギカ』のテーマ(参照:「魔法少女 まどか☆マギカ」は史上最大級の災いがもたらされた現在だからこそ、残酷に心に突き刺さるのかもしれない。)でもあったが、この『輪るピングドラム』で訴えかけてくるこの世の摂理は、『魔法少女まどか☆マギカ』における意志的な救済に比べると、見方によっては、より、悲しいものだったように思う。

つまり、『魔法少女まどか☆マギカ』では、まどかが最終的に下した決断によって、新しく魔女が居ない世界が現出させたのに対して、『輪るピングドラム』では、「運命の果実を一緒に食べよう」という呪文によって乗り換えられた運命の先は、必ずしも望みが叶えられた世界ではなかったからである。



おそらく、高倉三兄妹(冠葉=かんば、晶馬=しょうま、陽毬=ひまり)の希望は、元の通り三人で静かに暮らすことであったはずであるが、最終的には、兄二人は新世界には、元々存在せず、妹の陽毬だけが、トタン板の家で一人で暮らし、仲良しの友達として苹果(りんご)だけが存在するという結末となってしまっていた。

しかし、陽毬が最後に手にしたのは、苹果ちゃん=りんご=ピングドラムだけだったというオチは、確かに、残酷ではあるが、「何かを得れば、何かを失う」というこの世の摂理から見れば、それはそれで正しかったのかもしれないと見るものを納得させる。

考えてもみれば、ピングドラムというリンゴ(=果実)は、冠葉から晶馬へ、晶馬から陽毬へと渡され、(比喩的な意味で)共食されることによって、三人の「絆」の象徴となったことは確かだが、一方で、人類が最初に食することによって罪を背負ったという、アノ果実でもあったのである。陽毬の命を助けるという無理難題を叶えるために、二人の兄がこの世に存在しないこととなったという運命は、それ自体が、リンゴを食したことに対する罰を意味したとも言えなくも無いのである。

現実世界において、のっぴきならない事態を前にして、言霊(例えば「絆」という)の力だけに頼って、何事か、空気が変ったかのように済ませてしまった2011年の日本にあって、この『輪るピングドラム』が放映されたという事実をなんらかの符牒として読まざるを得ない。



また、誰もが気になることでもあろうが、このアニメは、おそらく監督である幾原邦彦さんの個人的な想いもあったのだろう。1995年のオウム地下鉄サリン事件や、1997年の神戸連続児童殺傷事件をも敢えて思い出させるような"毒"を吐きながら怒涛のような展開を見せる。

都会の片隅でひっそりと暮らす三人の兄妹は、実は今から16年前に起きた地下鉄テロの犯人の子供達だったのだ。しかも、彼らは、その事件によって平穏な親子関係から疎外され、"子供ブロイラー"という捨てられた子供達が「透明な存在」に改変させられてしまうという工場に送られた子供達だったのである。ご存知の通り、「透明な存在」というのは、あの酒鬼薔薇聖斗が、その犯行声明文に記した、現代の子供達を表す言葉だが、その言葉がリアリティを持ってしまう背景として、逆に言えば、現代という時代には、多くの子供達が、そのままでは愛されもせず、選ばれもせず、自分ではない何か別な貴重で優秀な存在になることによってしか「透明な存在」から脱却できないという強迫神経的な空気が広く蔓延しているという事実があるのかもしれない。



また、この三兄妹は、実は血が繋がっていたのではなく、全く任意に一緒に暮らすことになった三人だったというところに、極めて現代的な臭いを感じることも出来るということも、ここで付け加えておきたい。思えば、今年流行したと言われた「マルモのおきて」や「家政婦のミタ」、そして「うさぎドロップ」にしても、血の繋がっていない他者達がいかに、擬似家族を「本当の家族」のように構築していくか?という話であったが、おそらくこの『輪るピングドラム』もその作品群の中の一つとして記憶されるに違いない。



さて、先ほども述べたように、この物語は、ある意味、「透明な存在」=「きっと何物にもなれないお前達」である子供達がどのようにして、実存(=存在する意味)を発見するのかという物語であった。

そして、それは、億万長者になったり、スーパースターや高名な芸術家になったりといった世間的な成功をおさめることなどではなく、「誰かのために犠牲となることでしかないが、その犠牲が本当に誰かの役に立つかどうかもわからず、しかも、その希望が成就したとしても、その誰かに記憶もされない存在となること」というあまりにも悲しい運命、あるいは、「生きるということは、なんらかの罰に違いない」という不条理に気づくことに他ならないということを僕らに訴えかけてくるような物語であった。



おそらく、その人間存在の矛盾を解決するための方法として、かつては宗教が、そして20世紀にはマルクス主義という思想が信じられ、90年代前半にはオウム真理教が突出した。「新世紀エヴァンゲリオン」で、ゼーレが提唱した「人類補完計画」も、ある意味で、そんな孤独な人間を救済のためのロマンであった。おそらく、あれから15年以上経た現代に、幾原さんが『輪るピングドラム』を、敢えて世に問う意味があるとすれば、「その根本的な課題はまだ解決していないじゃないか」という問いにあったのはないだろうか。

もっとも、その解答が、具体的に現実を変革していこうとする苦痛を伴う葛藤ではなく、呪文(「運命の果実を一緒に食べよう」)や儀式(ピングドラムの共食)といった"特効薬"で世界自体を改変してしまおうとする発想でしかなかったことに、極めて重要な問題点を見出す視点があることは認識しつつも、僕は、そこに、良くも悪くも日本的な感性を感じざるを得ない。そして、それがゆえに、逆に、この発想にこそ、日本的解決のヒントもあることを期待したいのである。



さて、最後に、このアニメは、TSM荻窪線という丸の内線をモデルにした地下鉄沿いで全ての事件が起きるのだが、僕は、以前よりずっとこの丸の内線に、新宿三丁目、四谷三丁目、本郷三丁目という具合に三丁目という駅が三つもあることが気になっていた。というのも、戦後の都市伝説の多くが三の数字をキーナンバーとして展開されたいたからである。例えば、口裂け女は三鷹、三軒茶屋といった三の文字がつく地名によく現れると言われていたし、トイレの花子さんは元々は、三番目の花子さんと言われていて、三階の校舎でドアを三回ノックして入ると、三番目の個室に居る幽霊だったとか。

その意味で、『輪るピングドラム』が、丸の内線の潜在的不気味さを敏感に活用したことに共感を覚えたのと同時に、実はこのアニメが三という数字によって構成されるグループ(高倉家の三人兄妹、トリプルH、夏芽家の三兄妹、荻野目親子、多蕗とゆりと結城翼との三角関係)の壊れかけたバランスを取り戻すことを隠しテーマとしていたことにも思いが至るのであった。



まさむね



この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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