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2012年1月17日 (火)

西宮神社の福男選び、妖怪ハンター、ジャイアント馬場

先週のはじめに、西宮神社の福男選びがあった。

いつの間にか、西宮だけではなく、全国的に有名な正月明けの行事となった感がある。確かに、見ていて面白い。



僕は以前、イザナミとイザナギの第一子でありながら、不具(足が立たない)であったため海に流された蛭子を祭る神社なのに、何故、足を競うような神事を境内で行うのだろうというような疑問を持っていた。

一応、足の悪い恵比寿(蛭子)さんの太っ腹を示す意味があるのではないかなどと勝手な解釈をしたが、今度、機会があったら、是非、現地の宮司さんや氏子さんとかに聞いてみたいものである。

さて、恵比寿といえば、最近、読んだ「妖怪ハンター水の巻」(諸星大二郎著)で描かれていたエビス様は不気味であった。この漫画では、エビス様は岸辺に流れ着いた死体(つまり土左衛門)だったと表現されている。

おそらく、福というものは、海の向こうに代表されるような異界からやって来るものという古来からの日本人の信仰をベースにしているのであろうが、その信仰が本来持っていた「毒」をこの漫画は本当によく表現しているのである。



ここで「毒」というのは、日本においては信仰される対象は、必ずしも美しかったり、崇高だったりするのではなく、逆に醜悪だったり、忌避される存在だったという逆説が表現されているという意味である。



さて、興味深いのは、この巻に収録された「六福神」という短編である。そこに描かれている神々も毒を持っている、決して善良な神々ではないのだ。それどころか、露悪的なほど、邪悪な様相を呈している。とても、子供の漫画雑誌に掲載さえていたということが簡単に信じられるような代物ではない。例えば、宝舟の上では、大黒は、福禄寿の長い頭をちぎって喰らい、布袋はテレビゲームにうつつをぬかし、毘沙門天と弁財天とは常時、くんずほぐれつSEXをしているのである。



おそらく、舞台となった地方は、日本海側の寒漁村であろう。そこには、「七福神」ではなく、「六福神」という言い伝えがあるというところから話は始まる。この地方では、年の暮れに六福神を描いた絵を海に流し、正月に七福神の絵を神社で買ってくるというのだ。

そして、この六福神は、忌み嫌われる存在で、村から人をさらっていくという不気味な伝承もあったりもするのである。しかし、それが正月になり、ひとり増えて七福神となると、がらりとめでたい福の神になるという。



ドラマはこのような世界で展開していくのであるが、僕には、このドラマ以上に、六が不吉で、七がめでたいという、その観念に興味を持った。家紋の世界もそうであるが、日本人(東洋人)にとって幸福な数字は偶数ではなく、奇数なのである。例えば、竹笹紋や星紋などは、圧倒的に奇数の葉や星の家紋が多い。また、大相撲の本場所が奇数月にのみに行われるのも、一月一日、三月三日、五月五日...など奇数月のぞろ目にのみ重要な日が当てられているというのも、ある種の縁起をかついでいるのであろう。ちなみに、この「妖怪ハンター水の巻」の巻頭の話「産女の来る夜」は旅の巡礼(六部)殺し伝説がもとになった話であるが、ここで登場する「六部」という存在にも、六という数字にまつわる不吉さを嗅ぎ取ることが出来る。



これは僕の推理であるが、このように偶数が持つ座りの悪さ(安定感の無さ)が、「六福神」を不気味な存在とし、「七福神」をめでたい存在にしているのではないだろうか。そこには、二で割り切れてしまうということが、組織内の和を乱しがちになるという日本人の長年の知恵があるのかもしれない。



さて、この漫画では、七人目の福神として宝舟に乗っていたという「福助五郎」というちょっと変った風体の男が登場する。いうなれば、彼は異形の男である。



異形と言えば、かつてのプロレスには、この異形の人々が持っている福を呼ぶ超人的な力を感じさせる何かがあった。

今、思えば、正月には必ずブッチャーを呼んでいた馬場さんのセンスには感心せざるをえない。七福神プロレス。これが、かつての全日本プロレス・新春ジャイアントシリーズの隠しテーマだったのではないだろうか、と今、改めて思う。



布袋、恵比寿、大黒としてのブッチャー、毘沙門天としてのハンセン、(そして、自ら)福禄寿、あるいは寿老人としての馬場...



最後に、この「妖怪ハンター水の巻」の「鏡島」に登場してくる海モッコについてだが、この海モッコで思い出したのが、例えば、以下のような渡部昇一氏の話である。

祖母は無学な東北の百姓でしたから、元寇も蒙古も知らないんです、しかし、世の中で 一番こわいものはモッコなのだと、東北の山村で語り継がれてきたんです。


700年以上前の元寇に対する恐怖が妖怪化したのがモッコだというわけだ。保守陣営の重鎮らしい面白い説である。



まさむね

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