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2012年4月 9日 (月)

「輪廻のラグランジェ」で果たして鴨川巡礼は起きるだろうか?

輪廻のラグランジェ」第1期の全12話を観た。

第2期は7月から始まるという事なので、あくまでも、現時点でのという但し書きをつけなければならないことを承知の上で本エントリーを書いてみたい。



この作品は、開始以前の昨年の段階から、主役機を日産自動車のグローバルデザイン部が依頼を受けてコンペを行うとか、鴨川観光協会とのタイアップが発表されるなど、アニメの内容の話よりも、どちらかといえば、ビジネスサイドの話題が先行した作品であった。



確かに、ここ数年来、深夜アニメで放映によって宣伝し、DVDやメディアミックスしたゲームや漫画で回収するというビジネスモデルに陰りが見えてきているということは各方面から聞こえてきている。

そんな状況を踏まえて一般企業とのタイアップや、アニメ内のプロダクトプレイスメントという方向で新たな収益源を獲得する動きが急速に目に見えてきている。

例えば、私自身も、アニメを観始めたのは、わずか昨年の中ごろからであるにも関わらず、そうした動きが気になり、「「あの花」に観られるプロダクトプレイスメントの自然化の流れ」(2011.7.5)や「タイガー&バニーの企業タイアップをどう楽しめばいいのか」(2011.7.9)といったエントリーで、それらの動きについては、紹介させていただいていた。

あるいは、つい先日、「「らき☆すた」 人々は何故、鷲宮神社へ聖地巡礼するのか」(2011.4.6)というエントリーでは、"聖地巡礼"の元祖・「らき☆すた」の中身とアニメの舞台となった地域の氏神・鷲宮神社との関係を考えたばかりであった。



今回のエントリーでは、そういった状況を踏まえて、この作品を、いつもとは別の大人の視点でも見ていきたいと思う。



まずはじめに言いたいのは、今回の「輪廻のラグランジェ」におけるタイアップは、新たな挑戦であったということである。



それは第一に、世界的な企業・日産自動車との製作面でのタイアップであったということだ。

例えば、今までも、ペプシ、ソフトバンク、牛角(タイガー&バニー)や、ミスタードーナッツ(化物語)、赤城乳業、サンヨー食品、サントリーフーズ(「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」)、ローソン(「新世紀エヴァンゲリオン」)、ファミリーマート(「涼宮ハルヒの消失」)といった企業とのプレイスメント的なタイアップはあったが、今回のような、製作に関わる部分でのタイアップは、僕が知っている限りでははじめてであった。



そして、第二には、放送前から地元観光協会とがっちり組む形でのタイアップを行ったということである。

これは、自然発生的に"聖地巡礼"が盛り上がり、後日、その異様な状況を見て、地元商店街が乗ってきたという「らき☆すた」パターンとは全く逆の流れを意図的に起そうとしたということだ。



新しい試みは、いつの時代もリスクがつきものであるということは言うまでもないことではあるが、今回のタイアップは、今後のこうした流れを占う上でも、失敗が許されるものではないに違いない。

いずれにしても、アニメファンとクライアントという、全く異なった方向を見すえながら、そして、両方を同時に満足させなくてはならないのだから、緊張を強いられるプロジェクトであったということは想像に難くないのである。



僕は以前、コスプレイベントなどに関わった経験上、オタク層に対して一般企業がアプローチすることの難しさは体感している。また逆に、一般企業(あるいは"世間"と言い換えてもいい)がオタク層に対して持っているイメージ(偏見)の硬さに困惑したこともあった。

それゆえに、僕は「輪廻のラグランジェ」に関しては、作品の内容以上に、そういった新しいビジネス的側面に目が行ってしまったのである。



さて、これはこの作品にのみ言える話ではないのであるが、深夜アニメはそれまでにヒットしたアニメを研究した上で作品が作り上げられるというのが定石と言われている。

逆に言えば、そうした作業が無理なく上手く行ったアニメこそが、いい商品ということなのである。

勿論、ファンはそんな事情は百も承知で商品にのぞむ。アニメを自分の頭の中で"要素"に解体し、それぞれを今までに自分が見てきたアニメやゲームの"要素"から成る脳内データベースと照合しながら、作品を楽しむのだ。

そこで、作品にとって重要なのは物語ではなく、(萌)"要素"ということになる。これが東浩紀氏がいうところのデータベース消費というものである。

ちなみに、彼がこの概念を提唱したのは、10年以上もの前の話だ。



さて、今回、この作品のストーリーや"要素"は、企業や観光協会への目配りによって、どのような影響を受けたのであろうか。



アニメを観る前に、まずは容易に想像できるのは、作品が決してバッドエンドにはならないだろうということであった。

例えば、エヴァンゲリオンのように、(せっかく日産様に創っていただいた)ロボットが相手のロボットをムシャムシャ食べるというようなグロテスクなシーンはあろうはずはないだろうし、最後はわけが訳がわからない展開になって、世界が崩壊し、鴨川の街が跡形もなくなってしまう...というようなストーリーは想像しにくいのは当たり前である。



また、主人公を始めとするメインの登場人物に関しても、基本的には、善人ばかりになるであろうことは間違いないであろう、例えば、不良がいたとしても、それは根っからの悪人ではなく、一時はグレていたとしても"実はいい奴"だったり、子供の頃のトラウマが原因であったりという、ありきたりな設定になってしまうのではないか?...という想像も出来てしまったのである。



と、邪推しながら観始めたこのアニメであるが...ストーリーはともかく、主人公の京乃まどかは、僕の予想以上に"鴨川観光協会公認娘"であったと言わざるを得なかった。あるいは、NHK朝の連続テレビドラマ小説の主役級とでも言おうか...



というのも、僕が観た、いわゆる萌系のアニメに登場するメインキャラの少女達は、自分勝手だったり(例:「らき☆すた」の泉こなた)、ダラダラしていたり(例:「けいおん!」の平沢唯)、気が強すぎたり(例:「涼宮ハルヒの憂鬱」のハルヒ)、優柔不断だったり(「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目まどか)、人付き合いが下手だったり(「化物語」の戦場ヶ原ひたぎ)など、どこか変な娘ばかりだったのに対して、京乃まどかは、あまりにも、完璧だったからである。



彼女は常に、友達のため、街の人のため、そして地域のために、ジャージとその下にスクール水着で走り回っている。

例えば、ソフトボール部の代打、剣道部の練習相手、カルタ部の読み手などを依頼されてはおおいに役立ち、海でおぼれている子供を見つければ、飛び込んで助ける。

今まで僕が観たアニメで敢えて似ている存在を探すとするならば、ナウシカであろうか。



とにかく過剰に魅力的な娘なのである。



しかし、おそらく、このキャラは、アニメファン向けというよりも、クライアント向けに創られたのだと思う。比喩的な言い方で恐縮であるが、彼女のようなキャラクタは、おそらく、現在のアニメファンにはまぶしすぎるからである。



しかし、そんな女の子が状況によっては真っ裸で海に入ったり、パンツを下げさせられたりといったお色気シーンが出てきたりする。そして、その扱いは、アニメファン向けのサービスに違いない...。

というように、このアニメは基本的には、鴨川の透き通った海と青空の下で、健康的な少女達が、たまにお色気シーンを交えながら、時にスマートなロボットに乗って闘うといった具合に、両者(大人の事情とオタクの嗜好)のニーズのバランス線上を、ユラユラと展開していくのである。



ちなみに、先ほども述べたように日産によって作成されたというロボットであるが、僕には、特定の少女だけが乗りこなせるという"人間的設定"のわりには、無機的な乗り物に見えてしまった。しかも、このロボット操縦に関して言えば、少女達はほとんど何の訓練もなく、気持ちがダイレクトにロボットに伝わるだけで操縦できてしまうという夢のような仕組みになっているのである。う~ん。このあたり、やはりどこか、自動車メーカーが思い描く理想の乗り物像を投影しているように感じないでもないのは、気のせいだろうか。まぁ別にいいんだけど。



また、その他、鴨川仕様を思わせるシーンとしては、常に見られる青い海と空は勿論のこと、途中で、「鴨川エネジー」という飲み物がやけに推されたり、鴨川シーワールドのシーンがなにげに挿入されたりといったところであろう。これに対して「不自然さ」を指摘するファンからの声もあったと聞くが、僕はそれほど気にならなかった。

ただし、僕が笑わされたのは、各話のタイトル名であった。全てに"鴨川"という単語が入っているのだ。もしかしたら、契約上の制約なのだろうか?あるいは、製作現場が敢えて、スポンサー側からのプレッシャーをメタ的に表現したのであろうか?

第1話「ようこそ、鴨川へ!」、第2話「鴨川スピリット」、第3話 「鴨川にランの花咲く」...というはまだなんとなくわからなくもないが、第7話「曇り のち 鴨川」とか、第8話「鴨川ロリータ」など、なんだかわからなくなってくる。特に8話は、アステリアという子供キャラ(外見だけ)が登場したということだけで、「鴨川ロリータ」というところになんとなくヤケっぱち感を感じなくもなかった。



しかし、あくまでも僕の直感であるが、この「輪廻のラグランジェ」の作品としての出来とは裏腹に、ファンによる鴨川"聖地巡礼"誘導は、(少なくとも永続的には)成功するとは思えなかった。ゴメンなさい。

というのも、「らき☆すた」における鷲宮神社(=鷹宮神社)巡礼は、ファンが自然発生的に妄想し、信仰に至ったという極めて稀なケースだったからである。日本という独自な風土で自然に育ってきた「昨日と同じ明日が来ることを祈り、今日を感謝する」という神社の本質的な機能が、奇跡的に、「らき☆すた」というダラダラとした日常系アニメの世界観とシンクロしたがゆえの成功だったのではないかというのが僕の結論なのである。

アニメファンは本当に繊細だ。彼らは、決して右向けといえば、右を向くような人種ではない。逆に、自分の向く方向は自分で決めたい!とような人種なのである。勿論、「輪廻のラグランジェ」を観て、この夏、鴨川に行ってみようと思うファンは、それなりにいるであろうが、彼らがリピータになるかどうかは、極めて微妙ではないだろうか。



さて、最後に簡単に物語にも触れておこう。

ストーリーは、主人公の京乃まどかが、宇宙から来たという少女(ラン)に依頼されてロボットに乗り、闘うハメになるところから始まる。そして、ランの他にムギナミという、これまた宇宙人の少女と一緒に学園生活を送りながら、ロボットに乗って他の星からの侵略者との戦うというなことを繰り返す中で、友情を深めていくという話だ。

彼女は自分の運命を常に肯定的に捉え、誰も想像もしなかったような潜在能力を発揮して、鴨川の危機、そして地球の危機を救ってしまうのである。そして手で円を描き、「まるっ!」と微笑むのである。



おそらく、このアニメを観終わると誰でも、思わず、「まるっ!」とやりたくなるだろう。あるいは、人によっては「ワンッ」とか「かしこまり!」とか...

僕は、それだけでもこのアニメはいいアニメだ!と思う。



まさむね



この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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