「トップをねらえ」 アニメのもう一つの可能性のカケラ
「となりのトトロ」や「AKIRA」と同じ1988年に、GAINAXが製作したOVAシリーズの「トップをねらえ」を見た。
ロボット+美少女アニメのハシリのこの作品は、現在、見ると、その古さも含めて逆に新鮮であった。
まず、興味深く感じたのは登場する女の子達が、最近の美少女アニメに観られるような類型的なキャラではないということ。つまり、彼女達は、視聴者を喜ばすような、例えば、ツンデレとか天然系とか、そういう類型に当てはめたようなキャラを付与されているわけではなく、物語の必然合うような性格の女の子だという事である。
題名の「トップをねらえ」が「トップガン」と「エースをねらえ」を合体させた名前だということくらいは、予備知識として持っていたが、登場人物の関係性自体が、まるで「エースをねらえ」の丘ひろみ=タカヤ・ノリコ、お蝶夫人=アマノ・カズミ、宗方コーチ=オオタ・コウイチロウだとは思わなかった。
最初のカズミ(おねえさま)の登場シーンには、周辺がお花畑となる演出。これは、そのまま、お蝶夫人の登場シーンのパロディとなっている。また、その口調もお嬢様的で、性格も気高く、しかし陰では努力家というところなどもまるでお蝶夫人である。
また、ノリコも、自他共にダメダメちゃんだと思っていたら、突然現れた謎のコーチが、急遽、宇宙行きを彼女を指名するに至っては、ほとんど「エースをねらえ」の丘ひろみの境遇と瓜二つなのである。
勿論、コーチのサングラスは、「サインはV」の牧圭介を、片目がつぶれているところは「あしたのジョー」の丹下段平を下敷きにしているだろうことは想像に難くない。ようするに、このアニメは、ロボット+美少女アニメを隠れ蓑にしたスポ根アニメだという解釈も可能なのである。
しかし、そういったキャラが後半になると、段々、崩れてくる。第4話で、ベッドでくつろぐカズミが何故か「人間失格」などを読んでいたかと思えば、第5話では、オオタコーチと別かれなければならない宇宙飛行士としての宿命に泣き崩れる。そこで、あ~、あの「人間失格」は、ここで、この娘が見せる人間の弱さの伏線だったのかと納得させる。
また、主人公のノリコにしても、最初は苛められキャラだったのが、ライバルとの戦い、父の死、恋人(?)との離別、パートナーからの裏切りなどに遭いながら、最後は、その裏切られたパートナーである先輩・カズミを叱咤するほどに成長をとげる。
こうした性格の変節は、このエントリーの冒頭近くにも述べたが、決してこの作品におけるキャラが視聴者の嗜好に奉仕するための商品などではなく、物語の必然に添ったものであったことを意味しており、このあたりの工夫など、物語的な演出としては当たり前と言えば当たり前ではあったが、逆に、最近の美少女アニメばかり観ていた僕に忘れかけている何かを思い出させてくれた。
しかも、最近のアニメにありがちな、一度観ただけでは理解は出来ないような複雑でハイコンテクストな設定はなく、友情、恋愛、嫉妬、戦いをそれぞれテーマとした単純な場面が単線的に進む骨太な展開は、アニメを海外(特に開発途上国)への輸出品だと考えた場合、実は、より優れた商品としての素養を備えているようにも思えるのだ。
それだけではない。例えば、彼女達が一緒に共同浴場に入るシーンでは、立派な胸に乳首までも露出したかと思えば、ちょっとした服のズレでエロスを表現したり、あるいは、そんな彼女達が興奮するとお互いを張り手したりもする。つまり、このアニメは現代の記号化された萌キャラになる以前の生身性を有しており、これは、ある意味で、極めて新鮮に映るのである。
しかも、乳首露出があまりにも明け透けのため全くエロくないのに対して、服の乱れから見えそうで見えない乳首がそれだけでエロいという、その表現方法の使い分けが、当時で言えば栗本慎一郎的なエロスの本質に対するメタ表現となっているところに、今更ながら驚かされるのだ。
その意味でも、現代のクリエーターが、もしも、アイディアにつまることなどあったとしたら、この作品をみるべきだ。なんらかのヒントになってくれるに違いない。
さらに、面白かったのは、最終回。この回は、いきなり白黒となったのだ。
おそらくこれは、エヴァテレビ版の第25話、第26話と同様に監督・庵野秀明の時間的都合によるのであろうが、それでも画面の迫力は、カラーと遜色もなく、もしかしたら、それ以上であり、あるいは、黒沢映画のオマージュではないかと勘ぐらせるくらいの迫力であった。
要するに、僕らが観たいのは、予定調和的なキレイなもの、そして、料金とつりあいの取れた商品などではなく、心を揺さ振ってくるような何かだということを、逆にこの最終回を観ていると思い出させてくれる。しかもエヴァとは違って、ちゃんとオチるところオトされているもんだから、さらに感動すらある。
いい作品は、それを観た後に必ず、何かをしたくなったり、何かを表現したくなるものであるが、その意味で、この作品はまごうことなく、名作だと思う。
最後に、この時代、プロダクトプレイスメントなどという考えはなかったのであろう。いたるところに現実世界の商品が登場する。コカコーラ、ケロリン、YKK、JAL、たばこ(LARK)...。しかも、部屋のポスターにはライバル作品でもあるナウシカやトトロのポスターまで。これは80年代のおおらかさなのであろうか。誰もステマなどと言われないほど自然にそこに存在しているのである。
いずれにしても、先ほども述べたが、この作品は、出来るだけ多くの若きクリエーターに観てもらいたい作品である。
それは日本のアニメ界がもしかして進むかもしれなかったもう一つの可能性のカケラが沢山ちりばめられているからである。
まさむね
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