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カテゴリー「テレビドラマ」の117件の記事

2012年2月19日 (日)

「平清盛」 雑感

久しぶりのエントリーとなってしまった。

今月に入ってから、音楽甲子園のことなんかもあって、ちょっと頭がそちらの方に傾いてしまっていたからだが、今日あたりから、また徐々に復活させていきたいと思っている。



そういえば、ここ数回のNHK大河ドラマ「平清盛」はちょっと辛い。視聴率が徐々に落ちているという話は聞いているが、むべなるかなという感じである。

特に今日の「平清盛」は、登場人物達の心の動きにどうも、感情移入できない。



例えば、得子(松雪泰子)が璋子(檀れい)に対して、激しい攻撃心を抱くという心の動きが唐突なのである。史実はともかくとして、物語の筋によれば、もともと、得子は璋子の口ぞえで鳥羽上皇の側室となった女性である。

しかも、前妻の璋子には上皇の心は無い。ということならば、むしろ、後妻打ち的嫉妬の感情を持つのが璋子とした方がより判りやすいのではないだろうか?



確かに、璋子は現代で言えば、KYなところがあって、鳥羽上皇の悩み(崇徳天皇が自分の子供ではないこと)を全く理解していないようにも思える。それゆえに、璋子が得子に対して攻撃的になるという演出はしにくいということはわからないでもない。

しかし、それならば、無理矢理に対決させる必要もないように思えるのである。それじゃあ、ドロドロマニアにはつまらないからということなのだろうか。



また、本日、初めて登場した明子(加藤あい)の清盛に対する感情もよくわからない。

清盛を一目見たときから、ほのかな想いを抱くが、身分(官位)が違うので気後れして求婚を断るというような単純な話にすればいいものを、父親・高階基章(平田満)が結婚話を強引に進める事に対して躊躇する、あるいは「自分は自分の幸せを見つけたい」などという極めて現代的な価値観を持ち込むもんだから、それまでの歌のやり取りでは断り続けるのだが、目の前で求婚されると、突然、OKしてしまうという展開に、おそらく多くの視聴者は(?)を抱かざるを得なかったのではないだろうか。



さらに、その他、崇徳天皇が登場するからと言って、百人一首の「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)のわれても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」という歌を吟じさせるとか、時子(深田恭子)に源氏物語の「若紫」の一節を復唱させるなど、変に教養主義的な演出は、どちらかといえば、わざとらしく退屈で、それほど効果を上げているようにも思えなかった。



おまけに、天皇が御簾の中からとはいえ吟じた歌を、武士である佐藤康清(藤木直人)が一対一で応対し、目の前で批評するとか...どうなんだろうか?



ただ、その中でも、忠盛(中井喜一)が清盛と明子の結婚を許した心根が、自分が果たせなかった好きな女性(清盛の実母・舞子(吹石一恵))との結婚を、清盛にはさせてあげたかったからという人間的な理由であったということをほのめかすように、舞子がかつて歌っていた「遊びをせんとや生まれけん」という今様を口ずさみ、それを横から盗み見た正妻の宗子(和久井映見)が、微妙に嫉妬するというようなシーンには趣きを感じるのも確かである。

この、清盛、忠盛、宗子この三人の関係は、演技も安定していて面白いっす!!



ようするに、現時点では、いいシーンと悪いシーン、自然なシーンとわざとらしいシーンの落差がありすぎるのと、演技の深度が俳優によって異なることによって生じたアンバランスが目立つというような欠点はあるものの、まぁ、それらをひっくるめて、「チャレンジングだねぇ」と言ってしまえる範囲には収まっているかなぁという感じではある。



ただ、基本的には頑張って欲しいという気持ちはかわらない。



まさむね

2012年1月16日 (月)

平清盛は、今後、どのような賽の目を出していくのであろうか

NHK大河ドラマ「平清盛」が素晴らしい。

僕は、先週の日曜日の第一回放送を見逃してしまい、一昨日の土曜日に第一回目、昨日の日曜日に第二回目の放送を立て続けに観た。



第一回目放送後、兵庫県知事の「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にならないというのが第一印象」という発言も聞いていたし、保守系の方々による、いわゆる王家呼称問題なども耳に入ってきていて、なにかと外野が騒々しいという印象だったので、いかがなものかという気がしないでもなかったのであるが、予想以上のスタートに感心してしまった。



僕は、昨年位から、ドラマの歴史考証が云々という視点で大河を見るような態度は捨てるようにしている。

それでないと観てはいられない、ということもあるのだが、あまりそういった観点でディテイルを観ることにちょっと飽きているというのもあるのだ。



さて、物語の内容に関してであるが、まずは、清盛(幼名は平太であるがこのエントリーでは清盛で通す)の出生の特殊さが、これでもかと、描き出される。この執拗さが凄い。

法皇という高貴な血を引いていながら、しかしその血は、同時に、不道徳で横暴な「うつつの物の怪」の血(と遊女の血)でもあるという聖穢の両面性を併せ持つ清盛。陰陽師の占いによって天皇家(=国家)に禍をもたらす宿命があるということで流産させられそうになる。その命令から逃げた母親によって馬小屋で誕生するが、その母親からも、産声を上げた瞬間に殺されそうになる。

しかし、母親は思いとどまり、その子を育てることを決意するが、結局は捕縛され、法皇の前に出される。そして、そこで、法皇によって抹殺されかけるが、結局は母親の命を賭けた咄嗟の行動によって救われる...



これは、まさに怒涛の展開だ。大河ドラマでありながら、明らかにその枠を超えた、まるでシェークスピア悲劇や、旧約聖書、はてはアーサー王伝説やギリシャ神話の臭いがする。このドラマのテーマが、おそらくは、「血の宿命」といった重いものになる予感が初回、二回目からプンプンしてくる。



例えば、オープニングの映像にまずサイコロが何度か登場する。また、第一回目放送では、祇園女御と双六をしたり、第二回目放送では賭博場のシーンが出てくる。いずれのシーンでも清盛は的確な賽の目を出す。

思えば、当時権勢を誇った白河法皇は、意のままにならないものとして、賀茂川の流れ、比叡山の僧侶と並んで、この双六の賽の目を上げたというが、このドラマでは、その賽の目をも、自由に出せる「天賦の力」が、この清盛に宿っているかのように扱われている。つまり、このドラマにおけるサイコロとは、彼が法皇を超える権勢を得るであろう強い宿命を持つ男として生きるということの伏線となっているのである。



また、白河法皇が出した殺生禁止令に対して、抗議に行く清盛であるが、実は、民衆を苦しめるこの令の根本に、法皇が恐れた清盛の母親の惨死があったということを、そして、それは清盛が生きているということ自体から来る因縁であることに気付かされる。つまり、法皇に抗議しに行った清盛は、自分自身の存在自体が、回りまわって、庶民を苦しめていたという逆説に、初めて出会うということになるのである。



おそらく、清盛が持っているこの暗い宿命が、彼をずっと苦悩させ続けるのであろう。

何故ならば、この宿命は、白河法皇が持つ物の怪の血から逃れられないという宿命だからでもある。そして、その宿命によて、清盛は、ゆくゆくは、意識しようがしまいが、あの憎んでいた法皇に似てくるに違いない。おそらく、それが、このドラマの大きな見所の一つとなろう。



例えば、ご存知の通り、白河法皇が、清盛を生かしておいたという、その人生において唯一見せた人情(=甘さ)の遺伝子は、後に清盛をして頼朝を殺さなかったという人情(=甘さ)として受け継がれ、それが平家を滅ぼすという因果に続く、多分。



大きな宿命の前では、一時の善行が自らの不幸の種になるというこの逆説。自分が生きようとすること、欲望を満たそうとすること自体が、誰かを不幸にしてしまうという逆説。



いままでの大河にないその邪悪な部分が、今後、どのように描かれていくのかが、とっても楽しみである。



まさむね

2011年11月28日 (月)

NHKドラマ「坂の上の雲」 主要登場人物 家紋一覧

「江」が終了し、12月より、「坂の上の雲」の第三部が始まります。それを記念して、ドラマ主要登場人物の家紋を一覧表にしてみました。

主人公関連人物(秋山家と正岡家)








秋山真之(あきやまさねゆき)伊予国松山
1868年4月12日 - 1918年2月4日海軍軍人
物語の主人公。日露開戦に際し連合艦隊参謀に就任。
丸に抱き茗荷本木雅弘
秋山好古(あきやまよしふる)伊予国松山
1859年2月9日- 1930年11月4日陸軍軍人
真之の兄。日本騎兵の育成に尽力する。
丸に抱き茗荷阿部寛
正岡子規(まさおかしき)伊予国松山
1867年10月14日 - 1902年9月19日俳人
真之の幼馴染。日本の近代文学に多大な影響を及ぼす。
丸に三つ鱗(違い鷹の羽)
※剣片喰、五三桐、三つ引両という説あり。
香川照之
海軍関連人物








































広瀬武夫(ひろせたけお)豊後国竹田
1868年7月16日 - 1904年3月27日海軍軍人
日露戦争の第二次閉塞作戦の際に戦死する。
丸に並び鷹の羽藤本隆宏
八代六郎(やしろろくろう)尾張国丹羽郡楽田村
1860年1月25日 - 1930年6月30日海軍軍人
真之に稲生季子を紹介し、結婚の際には仲人を務めた。
折敷に三の字片岡鶴太郎
日高壮之丞(ひだかそうのじょう)薩摩国
1848年4月26日 - 1932年7月24日海軍軍人
日露戦争直前に常備艦隊司令長官を罷免される。
割り杏葉菊に違い鷹の羽中尾彬
東郷平八郎(とうごうへいはちろう)薩摩国鹿児島城下
1848年1月27日 - 1934年5月30日海軍軍人
日露開戦の時、連合艦隊司令長官に任命される。
丸に蔦渡哲也
山本権兵衛(やまもとごんべえ)薩摩国鹿児島郡
1852年11月26日 - 1933年12月8日政治家
日露戦争時は海軍大臣。「日本海軍の父」と呼ばれた。
抱き鬼梶の葉石坂浩二
加藤友三郎(かとうともざぶろう)安芸国広島
1861年4月1日 - 1923年8月24日軍人、政治家
日露戦争開戦時の第2艦隊参謀長。後に首相(第21代)。
蛇の目草刈正雄
島村速雄(しまむらはやお)土佐国
1858年10月26日 - 1923年1月8日海軍軍人
日露戦争開戦時の連合艦隊兼第一艦隊参謀長。
丸に変り三つ蔓蔦舘ひろし
有馬良橘(ありまりょうきつ)紀伊国和歌山
1861年12月16日 - 1944年5月1日海軍軍人
日露戦争開戦時の連合艦隊兼第一艦隊参謀。
丸に二引両加藤雅也
岩村団次郎(いわむらだんじろう)土佐国幡多郡宿毛
1866年10月5日 - 1943年11月9日海軍軍人
陸軍第三軍への連絡将校。
抱き柏山口馬木也
佐藤鉄太郎(さとうてつたろう)土佐国幡多郡宿毛
1866年8月22日 - 1942年3月4日海軍軍人
第二艦隊参謀。
源氏車杉山文雄
山路一善(やまじかずよし)愛媛県松山市
1869年4月24日 - 1963年3月13日海軍軍人
第三戦隊参謀。
丸に大割蔦内倉憲二
財部彪(たからべたけし)日向国都城
1867年5月10日 - 1949年1月13日海軍軍人
広瀬と兵学校の同期。日清戦争後、英国への留学生に選ばれる。
丸に打板飯田基祐
伊地知彦次郎(いちじひこじろう)薩摩国
1860年1月6日 - 1912年1月4日海軍軍人
日露戦争時には、連合艦隊旗艦「三笠」の艦長として従軍。
丸に隅立て組み井桁ダンカン
山下源太郎(やましたげんたろう)出羽国置賜郡
1863年8月26日 - 1931年2月18日海軍軍人
日露戦争開戦時、佐世保に在泊する連合艦隊に命令書を手渡す。
五瓜に唐花鷲生功
伊東祐亨(いとうすけゆき)薩摩国鹿児島城下
1843年6月9日 - 1914年1月16日海軍軍人
日露戦争時の海軍軍令部総長。
庵木瓜山野史人
鈴木貫太郎(すずきかんたろう)和泉国大鳥郡
1868年1月18日 - 1948年4月17日軍人、政治家
大戦果を挙げ、日本海海戦の大勝利に大きく貢献。後に首相(第42代)。
上がり藤赤井英和
安保清種(あぼきよかず)佐賀県
1870年11月8日 - 1948年6月8日海軍軍人
日露戦争時、戦艦「三笠」の砲術長を務める
丸に実付き三つ柏土平ドンペイ
陸軍関連人物




























児玉源太郎(こだまげんたろう)周防国都濃郡
1852年4月14日 - 1906年7月23日武士、陸軍軍人
好古在学時に陸軍大学校の教官を務める。
唐団扇笹高橋英樹
山県有朋(やまがたありとも)長門国阿武郡川島村
1838年6月14日- 1922年2月1日政治家、軍人
元老。枢密院議長。陸奥・川上の根回しで日清開戦を支持する。
丸に三つ鱗江守徹
大山巌(おおやまいわお)薩摩国鹿児島城下
1842年11月12日 - 1916年12月10日政治家、軍人
日清戦争では第2軍司令として好古らを率いて旅順を攻略。
丸に隅立四つ目結米倉斉加年
乃木希典(のぎまれすけ)武蔵国江戸
1849年12月25日 - 1912年9月13日軍人
日露戦争では第3軍司令官として旅順総攻撃を指揮する。
四つ持ち合い井筒(市松四つ目結い)柄本明
明石元二郎(あかしもとじろう)筑前国福岡
1864年9月1日 - 1919年10月26日陸軍軍人
ロシア国内の革命勢力を支援しロシアを内部から揺さぶろうと画策。
丸に撫子塚本晋也
川上操六(かわかみそうろく)薩摩国
1848年12月6日 - 1899年5月11日陸軍軍人、華族
日清戦争時の陸軍参謀次長。日清戦争開戦を主導。
丸に桔梗國村隼
伊地知幸介(いちじこうすけ)薩摩国
1854年2月3日 - 1917年1月23日陸軍軍人
日清戦争時は第2軍参謀副長。日露戦争では旅順攻略を実施。
三ツ盛り山村田雄浩
森林太郎(もりりんたろう)石見国津和野
1862年2月17日 - 1922年7月9日小説家、軍医
第2軍軍医部長。従軍記者として清国を訪れた子規と出会う。
乱れ追い重ね九枚柏榎木孝明
有坂成章(ありさかなりあきら)周防国岩国
1852年4月5日 - 1915年1月12日陸軍軍人
参謀本部技術審査部長。三十年式歩兵銃の開発に成功。
五瓜に唐花矢島健一
長岡外史(ながおかがいし)周防国都濃郡末武村
1858年6月23日 - 1933年4月21日陸軍軍人
軍大学校で好古の同期。日露戦争時は参謀本部次長。
丸に一文字に剣山の字的場浩司
奥保鞏(おくやすかた)豊前国小倉
1847年1月5日 - 1930年7月19日陸軍軍人
日露戦争開戦に伴い第2軍司令官として出征。
中陰五瓜に唐花伊吹剛
落合豊三郎(おちあいとよさぶろう)武蔵国江戸
1861年4月7日 - 1934年3月31日陸軍軍人
第二軍参謀長。
丸に三つ柏伊藤祥三郎
野津道貫(のづみちつら)薩摩国鹿児島城下高麗町
1841年12月17日 - 1908年10月18日軍人、政治家
第4軍司令官に就任し、日露戦争に参戦。
六つ追い丁子宗近晴見
政府関連人物




















伊藤博文(いとうひろぶみ)周防国熊毛郡束荷村
1841年10月16日 - 1909年10月26日政治家
日清戦争時の首相。日露戦争では外交交渉に奔走。
上がり藤加藤剛
高橋是清(たかはしこれきよ)江戸芝中門前町
1854年9月19日 - 1936年2月26日政治家
日露戦争時、日銀副総裁として戦費の調達に奔走する。
三つ追い沢瀉西田敏行
小村寿太郎(こむらじゅたろう)日向国飫肥
1855年10月26日 - 1911年11月26日外務大臣
外務大臣として日英同盟の締結。一方、露国との交渉も行う。
丸に揚羽蝶竹中直人
陸奥宗光(むつむねみつ)紀伊国
1844年8月20日 - 1897年8月24日政治家、外交官
外務大臣。川上参謀次長と組んで日清開戦を主導する。
仙台牡丹大杉漣
井上馨(いのうえかおる)周防国 湯田村
1836年1月16日 - 1915年9月1日政治家、実業家
日清戦争が起こった第二次伊藤内閣では内務大臣を務める。
桜菱(割剣酢漿草菱)大和田伸也
桂太郎(かつらたろう)長門国阿武郡萩町
1848年1月4日 - 1913年10月10日陸軍軍人、政治家
日英同盟成立を推進。日露戦争開戦時の首相。
花菱綾田俊樹
金子堅太郎(かねこけんたろう)筑前国早良郡鳥飼村
1853年3月13日 - 1942年5月16日官僚・政治家
憲法の起草にも携わり、「伊藤博文の懐刀」とも呼ばれる。
高崎扇緒形幹太
松方正義(まつかたまさよし)薩摩国
1835年3月23日 - 1924年7月2日政治家
日露戦争に関しては積極的に開戦を主張。
抱き菊の葉に抱き茗荷大林丈史
伊集院彦吉(いじゅういんひこきち)薩摩藩
1864年7月22日 - 1924年4月26日外務大臣
明治、大正時代の外交官。後に外務大臣。
丸に三方剣花菱亀山忍
皇室




明治天皇(めいじてんのう)京都・中山忠能邸
1867年1月30日 - 1912年7月30日第122代天皇
外交交渉の決裂を受け日露戦争開戦の聖断を下す。
十六八重表菊(画像は靖国神社)尾上菊之助
市井の人々関連人物




















陸羯南(くがかつなん)陸奥国弘前
1857年11月30日 - 1907年9月2日ジャーナリスト
新聞「日本」の社長。大学在学中から子規の面倒を見ていた。
幸い菱に花菱佐野史郎
古島一念(一雄)(こじまいちねん)但馬国豊岡
1865年9月20日 - 1952年5月26日ジャーナリスト
雑誌「日本人」の記者。玄洋社の頭山満と結んで孫文を援助。
鶴の丸建蔵
福本日南(ふくもとにちなん)筑前国福岡
1857年6月14日 - 1921年9月2日ジャーナリスト
陸羯南らと共に新聞『日本』を創刊。編集者として活躍。
五三桐小林利也
高浜虚子(たかはまきょし)愛媛県松山市長町
1874年2月22日 - 1959年4月8日俳人、小説家
少年期は真之を慕い、後に子規を追って東京へ出る。
九曜森脇史登
河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)愛媛県温泉郡
1873年2月26日 - 1937年2月1日俳人・随筆家
少年期は真之を慕う。虚子と子規門下の双璧をなす。
丸に三つ鱗大藏教義
内藤鳴雪(ないとうめいせつ)伊予国松山
1847年4月15日 - 1926年2月20日俳人
正岡子規を俳句の師としホトトギスの俳句選者になる。
真向い月に杵加世幸市
伊藤左千夫(いとうさちお)上総国武射郡殿台村
1864年9月18日 - 1913年7月30日歌人、小説家
正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめる。
丸に抱き茗荷岸本光正
夏目金之助(なつめきんのすけ)江戸牛込馬場下
1867年2月9日 - 1916年12月9日小説家
東京大学予備門時代の真之・子規の同級生。のちの文豪。
菊菱小澤征悦
山田武太郎(美妙)(やまだたけたろう)武蔵国江戸神田
1868年8月25日 - 1910年10月24日小説家・評論家
東京大学予備門の学生。言文一致体および新体詩運動の先駆者。
三つ割亀甲中野雄一


※同じ家の人物は、基本的に一人だけ。ただし、秋山真之と秋山好古は主役なので、二人掲載しました。

※表示順番は、Wikipediaの人物順に従う。

※略歴、生年月日などは、Wikipedia、「坂の上の雲公式」ページを参照。

※家紋が判明している人物のみ掲載。判明次第、順次追加していきたいと思います。

※正岡子規の家紋に関しては、日本家紋研究会の高澤等先生より、ご教授いただきました。

===========オマケ=============

俳優の家紋一覧

文学者の家紋一覧

政治家の家紋一覧

実業家の家紋一覧

芸術家の家紋一覧

軍人、格闘家の家紋一覧

学者、思想家の家紋一覧

コメディアン、歌手の家紋一覧



有名人の家紋(とりあえず、代表300名)



あ行

相田みつを青島幸男赤塚不二夫明智光秀浅利慶太麻生太郎渥美清安倍晋三天知茂新井白石有吉佐和子安藤広重アントニオ猪木飯星景子いかりや長介池内淳子池田大作石川啄木石田純一石田三成石立鉄男石ノ森章太郎石原莞爾石原裕次郎和泉元彌出雲阿国板垣退助伊藤博文犬養毅伊能忠敬井上靖井原西鶴井深大井伏鱒二岩崎弥太郎宇多田ヒカル内柴正人内村鑑三宇津井健梅宮辰夫江角マキコ江戸川乱歩榎本武揚遠藤実大石内蔵助大川橋蔵大久保利通大沢たかお大塩平八郎大谷吉継大仁田厚大原麗子大山倍達緒方洪庵岡本太郎沖田総司尾崎行雄大佛次郎小沢一郎織田信長落合博満オノ・ヨーコ小渕恵三小和田雅子 ...

か行

海音寺潮五郎梶井基次郎梶原一騎片倉景綱勝海舟勝新太郎桂三枝加藤清正角川春樹狩野英孝嘉納治五郎狩野探幽狩野芳崖加山雄三川嶋紀子川島なお美川端康成菅直人菊池寛北一輝北大路魯山人北里柴三郎北島康介北島三郎北野武北原白秋木戸孝允木下惠介木原光知子木村拓哉曲亭馬琴草野仁国木田独歩久米宏黒川紀章黒澤明黒柳徹子久和ひとみ小泉純一郎小泉八雲幸田露伴河野太郎児玉清琴欧洲琴奨菊小堺一機後藤象二郎小林多喜二今東光近藤勇近藤重蔵 ...

さ行

西園寺公望雑賀孫一西郷隆盛斉藤道三斉藤茂吉堺正章坂本九坂本龍馬佐久間象山笹川良一佐々木小次郎さだまさし佐藤栄作里見浩太朗志賀直哉獅子文六柴田勝家渋川春海渋沢栄一島左近島崎藤村清水次郎長志村けんのバカ殿様ジャンボ鶴田ジョージ川口湘南乃風正力松太郎SHOCK EYEジョン万次郎白洲次郎陣内智則新門辰五郎杉田玄白関孝和関根勉世耕弘成芹沢鴨千利休 ...

た行

大鵬幸喜高岡蒼甫高島忠夫高城剛高杉晋作高田万由子貴乃花高橋是清高村光太郎高山右近滝田栄武田信玄武田泰淳武市瑞山竹中半兵衛竹中労竹久夢二太宰治伊達政宗立原道造田中角栄田中正造谷垣禎一谷川俊太郎谷崎潤一郎タモリ田山花袋丹波哲郎近松門左衛門千葉周作長曾我部元親千代の富士津川雅彦蔦屋重三郎鶴見俊輔手塚治虫寺田寅彦寺山修司東郷青児東郷平八郎東条英機東野英治郎徳川慶喜徳富蘆花豊田佐吉豊臣秀吉 ...

な行

直江兼続中岡慎太郎永井荷風中井貴一中上健次中川翔子中沢新一中島敦中曽根康弘中田敦彦(オリラジ)中原中也中原誠中村勘三郎中村獅童中山晋平夏目雅子夏目漱石名和長年新島襄西島千博西田幾太郎新渡戸稲造二宮尊徳乃木希典野口雨情野口英世野沢尚 ...

は行

白鵬橋本真也橋本龍太郎馳浩長谷川平蔵鳩山由紀夫羽生善冶浜口雄幸林芙美子林家三平原敬張本勲把瑠都日馬富士ピーコ東山魁夷樋口一葉土方歳三一青窈平尾昌晃平賀源内平田篤胤平田オリザ平塚雷鳥福沢諭吉福田康夫藤子・F・不二雄藤原紀香双葉山舟木一夫フランキー堺フランク永井古田織部星新一細野晴臣本田美奈子 ...

ま行

前田利家牧野富太郎正岡子規増位山升田幸三松下幸之助松田聖子松永久秀松本幸四郎松本清張間宮林蔵円山応挙丸山真男三浦綾子三島由紀夫水木しげる三角寛美空ひばり南方熊楠三波伸介三波春夫みのもんた三船敏郎宮尾登美子宮城道雄宮沢賢治雅山宮本武蔵向田邦子武者小路実篤陸奥宗光棟方志功村田英雄村松友視毛利元就最上徳内本居宣長森鴎外森進一森喜朗森蘭丸 ...

や行

八百屋お七矢沢永吉柳宗悦柳田国男山岡鉄舟山県有朋山下清山田康雄山南敬助山内一豊山口智子山本五十六山本勘助湯川秀樹由利徹横井庄一横溝正史横山やすし横山大観与謝野晶子吉川英治吉田茂吉田松陰吉田東洋吉野作造吉永小百合淀川長治萬屋錦之介...

ら行

力道山笠智衆レオナルド熊 ...

わ行

若山牧水輪島大士和辻哲郎渡辺崋山渡辺淳一渡辺文雄 ...













まさむね

2011年11月27日 (日)

「江~姫たちの戦国~」の最終回に感じたちょっとした違和感

NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の最終回を観終わりました。



最終的には、終わりよければ全てよしというハッピーエンドで締めくくられた感じでした。

最後、秀忠が江に向って「そなたは私の希望だ」という言葉をかけるシーンはクライマックスの名シーンなのでしょうが、残念ながら、僕にはその意味がよくわかりませんでした。

家康が亡くなり、幕府の基礎作りが終わり、江も大奥制度構築に着手。全ての憂いは無くなり、家光に家督を譲った後の台詞としては、ちょっと座りが悪い感は否めませんでしたね。

ただ、ドラマとして、未来に向けてのなんらかのメッセージを発したかったのでしょう。そういった製作者側の意図はなんとなくわかりました。



一言で言ってしまえば、今回の大河ドラマの基本コンセプトは歴史を舞台にした「ホームドラマ」でしたね。

夫と妻、父と娘、母と息子といったどこの家にでもあるような家族内の葛藤を徳川家を舞台にして演じたらこうなるという脚本・演出だったように思います。

国松(次男)が江(母親)と秀忠(父親)にかわいがられているところを、竹千代(長男)が柱の陰から覗いて嫉妬するというようなシーンが何度も出てきましたが、思わず「江戸城は2LDKか?」と突っ込みを入れたくなりました。



実は、僕は、最終回に、この竹千代(家光)がどのように世継ぎを宣言され、どのように成長していくのか、そしてどのような性格として描かれるのかというところを注目してみていました。ところが、残念ながらというか、逆に言えばよかったのですが、それらのシーンは極めて普通に通り過ぎていってしまい、アレっという感じがしましたね。



以下、その「アレっ」の中身についてもう少し詳しく書いてみたいと思います。



大雑把に言えば、家をどのように相続させるのかというのは、鎌倉、室町、江戸という武家の三時代を特徴付ける一つのシステムです。

例えば、鎌倉時代は、主に男子に対しては均等に財産を分与し、家を分家させるシステムでした。日本では他国に比べて名字が多い(世界第二位)のは、この時代のそういった相続システムが一因だと思われます。しかし、これは、平等は平等なのですが、家がどんどん細分化され、弱体化するという欠点を持っていました。



そして、それでは困るということで、室町時代に採用されたのが、息子の中で一番、優秀な子が全部を相続するといういわゆる惣領制です。これは、確かに合理的ではありますが、実は誰が優秀かということで争いが起きます。室町時代が戦国時代に発展していったのは、そういった相続システムにも一因があると考えられます。「江」においても、最初、「世継ぎには、江は国松が相応しいと思う」というようなことを述べていましたが、それは彼女自身まだ、精神的に室町時代、戦国時代を引きずっていたということでしょう。



そこで、江戸時代、平等分配でも、惣領制でもない、秩序ある平和な世の中を第一優先として、採用されたのが、長子相続制というシステムでした。大げさに言えば、竹千代が、第三代将軍になるというのは、そういった価値観の大転換を天下に示すという意味があったということです。



その意味で、僕は、世継ぎシーンがどのように演出されるのかに期待して、「江」の最終回を見ていたわけです。



勿論、秀忠から竹千代に対して、そういった沙汰が下されるシーンでは、「長幼の序云々」といった口上はあったのですが、ドラマとしては、竹千代の跡取りは、前回放送回の江と竹千代との抱擁によって決定付けられたという流れになっていたように思われました。まぁ、このあたりは解釈の違いということなのでしょうが、僕には、江が竹千代の本心を理解し、謝罪するという「わだかまりの氷解」こそが、竹千代の世継ぎを江が納得した本質のように見えたということです。



しかも、僕の「アレっ」という感覚にはもう一つの原因があります。



それは、子供時代の吃音や女装趣味、わがままといった、竹千代の人生をも特徴付けるようなキャラ設定はいつの間にか無くなっており、極めて普通に成長した家光という姿がそこにあったからです。しかも、優しい正論で江を諭すようなシーンさえもあったり。



あの幼少の頃のキャラは、成長後の伏線になると思っていたのですが、それは僕の勘違いだったわけです。

というのも、竹千代が成長した家光は、異常な男色家として知られていただけではなく、海音寺潮五郎が「武将列伝」で書いているように、辻斬り(夜間にお忍びで市中に出かけて、浮浪者、無宿者などを斬殺)を趣味とするような過激マッチョな男だったらしいのですが、最終回では、そういった性格には、全く触れられていませんでしたからね。



一応、史実を確認しておくと、後日、徳川忠長は、家光によって蟄居謹慎されられたあげくに、切腹をさせられています。



ちなみに、僕は、先月、高崎の大信寺にある忠長の墓に参ってきたのですが、墓所についていた三つ葉葵には、葉脈が省略されて(左画)いましたね。また、右画は、最終回に登場した保科正之の子孫・松平勇雄(元福島県知事)の家紋の会津葵です。河骨紋にも似ていますね。



まさむね

2011年11月24日 (木)

徳川秀忠と、まど☆マギと、民主党と

NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が最終回を残すのみとなりました。



僕は、今年の大河に関しては、以下の二つしかエントリーを上げていませんでした。



「江~姫たちの戦国~」において気になる利休の台詞とNHKの価値

「江〜姫たちの戦国〜」は痛快ではあるが、受験生にはオススメできない



でも、実は、毎回観ていたんですよね。それは、単純に江役の上野樹里さん、秀忠役の向井理さん、そして初役の水川あさみさんが好きだからという理由ですけど。



さて、それはともかく、NHKの大河ドラマの場合、多くの視聴者が予備知識として既にイメージを持ってしまっている歴史的な名場面をどのように処理するのかといった、製作者側の当て方、ハズし方を楽しむというのも一つの観方ではないかと、僕は以前から思っています。



例えば、昨年、放送された「龍馬伝」では、坂本龍馬(福山雅治)が、勝海舟(武田鉄矢)と最初に会う場面を、一般的には龍馬は海舟を斬りに行ったといわれている(「氷川清話」による)ところを、海舟を斬りに行ったのは龍馬ではなく、岡田以蔵(佐藤健)ということにしていましたね。このシーンは数年前の「篤姫」では、ド・直球に描かれていたので、おそらく、"福山龍馬"のキャラを考慮して修正したんだなという想像が出来ました。



その意味で、僕にとっては、今年の「江」(特にここ数回)の話では、大阪夏の陣で、どのように淀殿と秀頼が自害の追い込まれるのかというのが一つの焦点でした。

というのも、そこまでに至る経緯で秀忠は、徳川家と豊臣家の平和共存路線を主張し、賛同する江に対しても、「私の任せて欲しい」とまで言っていたわけですから。



ただ、歴史の顛末を知ってしまっている僕らにしてみれば、大阪城の二人は自害するのはわかっているわけで、当然、視聴者としては、家康が秀忠をどのように説得するのか、あるいは、強引に事を進めるのかというのが一つの見所だったわけです。

しかし、物語は、真田幸村軍の襲撃にあった家康が命からがら難を逃れ、その直後に、全権を秀忠に移譲、そして秀忠の命令によって、大阪城には火がかけられて落城し、淀殿と秀頼は自害するという結末をむかえる展開にしていました。



おそらく、ただ歴史とドラマとの辻褄を合わせるのだとしたら、家康の命令によって、大阪城落城し淀殿と秀頼の自害するという流れが自然だったのでしょうが、敢えてこうした演出をした意図を僕は考えざるを得ませんでしたね。



それまで、このドラマにおける秀忠というのは、どちらかと言えば、どうしようもない子供であり夫でした。彼はいつも、畳の上で寝転んでダラダラしていました。そして、父・家康とは、ギクシャクした関係を続けていました。自分自身の力で何事かを成すことはなく、常に受身で、不満たらたらの存在でした。

勿論、なんとかしなければという気持ちは常にあるのですが、それは空回りして、しかも、彼は彼が持つ理想の実現に向けては、ほとんど実践も努力も出来ないキャラだったわけです。宮台真司的に言えば、「任せてブーたれる」典型的な"ダメな人間"として描かかれていました。



しかし、このドラマは、敢えて、一番大事な場面で、突然、全てが彼の決断に委ねられるような展開にしたというわけです。

そこで、彼は理想を捨てて、現実的な決断をせざるを得ない立場に立たされます。つまり、それまでの甘えた自分を卒業し、それまでの自分を否定にせざるを得ない状況に立たされるのです。そして、その決断が、戦国時代を終わせ、新しい世をむかえるという展開にしたわけですね。



そして、この展開は、この大河ドラマが2011年の空気を微妙に感じていたための演出ではないかと考えてみました。



というのも、努力も実践もせずに、ただ悩みながら、その挙句に、特権的にセカイ(日本)を救う立場に立たされる存在、という点で、「江」における秀忠は、「魔法少女まどか☆マギカ」におけるまどかと似ていたからです。



僕の旧友でゲームクリエイターのI君は、かつてはドラマやゲームの王道であった、努力や精進の積み重ねによっていつの日にか成功するといったストーリーは、徐々に支持を得られなくなっているのではないか?と言っていましたが、まさに「江」も「まどマギ」もそんな時代の流れの中にあるコンテンツなのかもしれませんね。



あるいは、それは、突然の政権交代によって、全てを決断せざるを得ない立場に立たされながらも、何も決断できない民主党に対する皮肉にもなっている...というのは考えすぎでしょうか。



まさむね



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この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

2011年7月14日 (木)

「セクシーボイスアンドロボ」と「DEAR PRUDENCE」。僕は世界の一部なのか

当たり前の話であるが、世の中に生きている人は、それぞれが勝手な世界の中で生きている。

Twitterのタイムラインを眺めていると、そんなことを感じる。本当にみんな、いろんなことを考えながら生きているんだなぁと。



しかし、その勝手な世界で生きている個々人が、なんの因果かお互いに関わりあって、この世界を作っている、それも真実である。

突然、なんでこんなことを書くのかというと、今日、「セクシーボイスアンドロボ」というテレビドラマのDVD(の第一話)を観たからである。

妻と問わず語りの雑談をしていて、松山ケンイチの話になり、なんとなく一緒に観ようという話になったのだ。



このテレビドラマは今から4年くらい前に放送されたドラマで視聴率もあまりよくなかったらしいので、おぼえていらっしゃる方も少ないかもしれない。

ただ、昨年放映された「Q10」の脚本もつとめた木皿泉が、ほとんどの脚本を手がけている作品であり、あるいは、来年の大河ドラマ「平清盛」の主役に抜擢された例の松山ケンイチの初めての主演テレビドラマとして記憶されるべき作品である。



まだ、このドラマの第一話しか観ていないので、それを前提に、以下、読んでいただければと思う。



オタクのサラリーマン須藤(松山ケンイチ)と、普通の女子中学生のニコ(大後寿々花)、そして三日たつと全て忘れてしまうという殺し屋の三日坊主(中村獅童)。

普通の生活をしていたら決して、交わることの無かったこの三人が、偶然に出会い、物語に巻き込まれていく。

話の展開の強引さは、ファンタジーの仕掛けとして置いておくとして、僕が惹かれたのは、彼ら三人が、それぞれ全く別の妄想(現実)を生きているにも関わらず、しかし、ある種の運命にひきづられるようにして、いきなり濃密な関係になっていくというその不思議さに関してである。



それは、空間と時間のイタズラとしかいいようのないもので、僕ら人間は現実に起きたことをそういったイタズラに翻弄されているとしか思えない瞬間が本当にマレにあるのだ。



そして、その瞬間の不思議さを見事に映像化したのが、この「セクシーボイスアンドロボ」なのである...とりあえず言ってみたくなるのであった。

ちなみに、このドラマに登場する女子中学生の父親は牛乳瓶のフタを集めるのを趣味としているが、最近の木皿作品である「Q10」にも電柱マニアの学校教師(爆笑問題の田中演じる)が登場する。木皿のそういった超個人的な妄想世界に生きる男性に対する眼差しは本当に暖かい(し、適度に残酷)である。



さて、最後のほうで、殺し屋の三日坊主に狙われた朝丘ルリ子演じる謎の女性が、逆に爆死してしまった三日坊主についてのニコからの質問に答えて言う。(だいたいこんな感じ)



ニコ・・・三日坊主が死んだのは私のせいなの?

謎の女性・・・そうよ。全ての人間は、関わって生きてるんだから!




この残酷だけど、不思議な真実。これがこのドラマの主題か。僕はそんなことを直感したのでありました。



さて、話は変わるが、かつて日本にも「袖振り合うも他生の縁」ということわざがあった。

この言葉は真実だとも言えるし、そうでもないとも言える。つまり、感じる人には感じることができる言葉ではある。



しかし、僕には、現代という絆が失われた時代に生きるからこそかみ締めるべき言葉のように思える。

それは例えば、具体的にはTwitterでフォローしてくれている数百人の人との縁を感じてみることであり、このブログを読んでいただいてる人々のことを想像してみるということでもある。

その意味で、現代という時代は、人と人との出会いがより偶発的に起きる可能性がある面白い時代であるとも言えるのだ。



ちなみに、僕がTwitter上で使っているユーザー名は@dearpludenceというが、これは、ザ・ビートルズの「DEAR PRUDENCE」という楽曲から取得した名前である。(本来、PrudenceだったのがPludenceとなっているのは、「r」でのユーザー名取得が出来なかったからである)

この曲は、瞑想のために、インド旅行に行った時に、部屋に閉じこもって出てこなくなったミア・プルーデンスを元気つけようとしてジョンが作ったといわれている曲であるが、この歌の歌詞の中には僕がザ・ビートルズの中でも最も好きなフレーズがある。それが以下である。



That you are part of everything

君もこの世界の一部なんだ




現在、ほとんど家の中にいて、そこからネットを通して世界を眺めるというニート状態の僕ではあるが、そんな僕も世界の一部なのだと、静かに語りかけてくれる、この「セクシーボイスアンドロボ」と「DEAR PRUDENCE」。



本当に世界の一部だと実感できるような明日は、僕にも来るのだろうか。



まさむね

2011年7月10日 (日)

「江~姫たちの戦国~」において気になる利休の台詞とNHKの価値

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」、先週の日曜日は「マルモのおきて」にテレビが独占されていた関係上、昨日の土曜日の再放送を観た。

千利休(石坂浩二)の切腹と、朝鮮出兵の始まりというところが今回のテーマである。これは見逃せまい。



驚いたのは、利休が謹慎場所へ、お江(上野樹里)と秀勝(AKIRA)が炭の納入業者として忍び込むシーン。ここまでやるかという感じだ。

その場所の入り口で彼女達を通すのが愛の兜印に、背中に三つ盛亀甲の武将、つまり直江兼続、変なところに凝っているのには笑える。

ただし、演じる俳優はわからない。

全国の視聴者の何割が、「おっ兼続!」と身を乗り出したことだろうか。勿論、恥ずかしながら僕もその一人であった。



さて、利休と無事、面会できたお江であるが、そこで利休最後の茶をお江にもてなす。

そして、利休は言うのだ。

「皆が笑って暮らせるような世の中にしてほしい。」(多分、そんなような台詞であった。)



さて、この台詞どこかで聞いたことがある。

そうだ、「龍馬伝」で坂本龍馬(福山雅治)が、お元(蒼井優)に言った台詞に酷似しているのだ。

あの時も「みんなが笑って暮らせる世の中」という言葉に僕は違和感を感じたのを急に思い出してしまった。



おそらく、NHKドラマ班にとって「みんなが笑って暮らせる世の中」というのこそ、時代が変わろうが、人が変わろうが、常に正しい価値観であり、その価値の大事さを視聴者に啓蒙するのが、ドラマのリアリティよりも大事な役割という自覚があるのであろう。



勿論、僕もその価値観に反対する理由もないし、基本的には賛成ではあるが、こうして、時代性、状況、個性を無視して、時代劇の中に(敢えて言えば)イデオロギーを刷り込んでくるのはいかがなものかというのが素直な感想である。



どうせなら、いつの日にか、大東亜戦争を大河ドラマで描き、その時に例えば、山本五十六に同じような台詞を言わせるような日が来ることを期待したいのだが、それはなかなか難しいのかもしれない。それは、戦前、戦中の価値を否定した土台の上に、現在のNHKをはじめとするマスメディアが君臨しているのであるからである。



しかし、いわゆる「戦後」の欺瞞を配し、新しい時代を作ろうとするのであれば、そういった日は遅かれ早かれ、来ざるを得ない、というのが僕の考えである。



さて、次に語りたいのが、秀吉の朝鮮出兵の動機についてである。「江~姫たちの戦国~」においては、それは鶴松を失った秀吉(岸谷五朗)の「狂気の沙汰」として扱っていた。他の全員が反対したのに、独裁者の思いつき(あるいは、悲しみを紛らわすため)によって、朝鮮出兵を敢行したという筋書きである。

勿論、お江は他の人以上に秀吉に食い下がる。それこそが、正しい大河の主役としての正しい姿勢であると言わんばかりに。



この秀吉の「狂気の沙汰」を見ていると、いわゆる過去の「いまわしい戦争」の原因を誰かに押し付けるというNHKのスタンスは、朝鮮出兵に対するスタンスも、大東亜戦争に対するスタンスも同じということだろう。

いい政策か、悪い政策かは別にして、例えば、戦国の世が終わり、多くの浪人を生み出した社会不安を外に逸らし、浪人達の雇用対策としての朝鮮出兵という観点(確か堺屋太一氏など)や、イスパニア、ポルトガル、オランダ等、当時の欧州の植民地主義の影響などといった視点は持てないものだろうかと思ってしまう僕がひねくれているのだろうか。



まさむね

2011年6月10日 (金)

「タイムスクープハンター」こそ日本が輸出すべき映像コンテンツではないか

昨日、22:00からNHKで「タイムスクープハンター」を見た。前々回の「髪結い ちょんまげ騒動記」以来、2度目の視聴である。



この番組は、時空を超えて過去に生きた名もなき人々を記録していくことを使命とするタイムスクープ社が目撃した、様々な人間ドラマをドキュメンタリ風に描いたSF時代劇である。

とにかく、面白い。

リアルな画面だけではなく、二転三転するシナリオも出色。また、このドラマには有名な俳優が出ていないところが逆にいい。

時として、有名な俳優は、その「格」ゆえに、登場自体に余計な意味を持ってしまうことがある。そしてそれが純粋なドラマの醍醐味を殺いでしまうこともあるのだ。

さらに言えば、おそらく、「タイムスクープハンター」の地味な配役は、現代のテレビドラマの(数字持ち)俳優至上主義へのささやかな批判となってもいる。そんな姿勢も素晴らしいではないか。

播磨屋さんはこの番組を称して「NHKの底力」と表現されていたがまさにその通りである。



さて、昨日放送された「修羅場決戦の妻たち」も大変、興味深い内容であった。以前より、僕自身、「ストーカーの日本史―神話時代から江戸時代まで (ベスト新書)」などを読んで「後妻討ち(うわなりうち)」に関しては関心を持っていたが、それが具体的に映像化されていて、思わず、手に汗を握って番組に惹きこまれてしまった。

そして、さらに具体的に言えば、この時代(江戸時代初期)の武家女性は胡坐(あぐら)をかいて座るとか、成人女性はお歯黒をしているとか、人々は、はしかを死にいたる病と認識していたなどという細かいところのリアリティがドラマをさらに迫真なものにしているのである。



さて、このドラマでも解説されていたが、「後妻討ち」が面白いのは、その集団暴力行為はけっして感情に任せた暴行ではないということ、それはある種のルールと儀式に基づいて行われるということである。そのルールとは...



1)先妻側は事前に後妻方に、押し入る日時、人数、武器を伝えておくこと

2)お互い刃物は使用しないこと

3)お互い、女性だけが戦闘に加わること

4)ある程度、先妻側の攻撃を自由にさせてから後妻側が反撃すること

5)双方とも遺恨はその日を持って終わらせること



ということだ。

そして、そのため、攻める方(先妻側)だけではなく、受ける方(後妻側)もそれなりの準備をしてその日を迎えるというわけである。



野暮になるので、ドラマの詳細はここでは述べないが、先妻側の人集め、後妻が仕掛けた罠、そして思わぬ逆展開...

う~ん。思わずうなってしまう。



ここで、僕はそんな「後妻討ち」に対して、もう少し考えてみたいと思う。

一般に結婚の日は人生のハレ舞台といわれるが、この後妻討ちは、離婚の儀式化、ハレ化ということも言えるのかもしれない。

日本では古来、いかに怨霊を発生させないか、あるいは、いかに発生した怨霊を御霊化するということに文化的、宗教的リソースが割かれてきた。井沢元彦氏によると和歌、神社、物語文学、能などあらゆる日本文化にはそうした機能があるという。

僕はこの日本文化を生み出してきた独特の(怨霊発生を未然防止するという)問題意識の解決法の一つとして、この「後妻討ち」が連綿と受け継がれてきたのではないかと考えるのである。

ちなみに、歴史上の有名人で言えば、北条政子亀の前に対する仕打ち、日野富子今参局に対する島流しなどが、広い範囲での「後妻討ち」とされることもあるという。

また、今年の大河ドラマ「江」における北政所淀殿との争いも壮大な「後妻討ち」として視るというのもありかもしれないと思ったりもする。



さて、この「タイムスクープハンター」を見ていてフッと思ったのは、現在、TBSで放送しているもう一つのタイムワープ物「JIN」のことである。勿論、「JIN」は最近のドラマの中では良質ではあるが、今回の第二シリーズでは、第一シリーズ以上に「タイムパラドクス」が酷くなってきているように思われるのだ。もともと、荒唐無稽なのだから、そのあたりおおらかに視たいところではあるのだが、ストーリー自身がそのパラドクス自身をテーマにし始めており、それがなんとも最近、窮屈な感じを出してしまっているのだ。

おそらく、多くの視聴者は幕末という様々な点で制限の多い時代に、一生懸命に人を助けようと頑張る南方先生の姿を見たいのであって、SF的謎を解き明かすという点は、どちらかといえば、それほど重きを置いていないのではないかと思われるのだが、いかがだろうか。

その点、「タイムスクープハンター」では、タイムワープという難しい部分には、あまり深く触れようとしないのが慎み深くていいと僕は思うのである。

そして、最近の他のテレビドラマには見られない知的な展開と、時代劇の常識を覆すようなリアリティは今後の日本の時代劇に多大な影響を与える可能性すら持っていると言えるだろう。



そして、最後に言わせてもらえれば、僕はこの「タイムスクープハンター」こそ、海外に輸出されるべきだと思っている。一方で「JIN」が海外80ヶ国で放映されるというニュースは、それはそれで喜ばしいことではあるが、それなりの特定の歴史知識を持っている人こそ、より楽しめる「JIN」よりも、「タイムスクープハンター」の斬新さとシナリオの秀逸さにこそ、全世界100カ国にアピールできる輸出品としてのクォリティの高さがあるのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。



まさむね

2011年3月30日 (水)

金八先生ファイナルに見たオツな「場面飛ばし」の演出



日曜日の夜に放映した「金八先生ファイナル」、「江」を差し押さえてチャンネルを合わせる。


平均視聴率19%以上もあったというのだから、僕みたいな人も多かったのではないか。


実は、僕のウチには録画するマシンが無いのであった。


時間が限られているせいもあって、足早な演出が、逆に新鮮にうつる。



不良少年が、金八先生や周りの人々の支えによって、更正していくという極めてベタで分りやすい展開。いわゆる王道。


今更、感じたのは、王道というのは、見ていて安心だということ。


さて、先ほどの述べた「足早で新鮮な演出」とは例えばこういうシーンだ。


不良少年をクラスに戻すために、金八はじめとした教師達が、父兄に説明会を開く。


父兄一同、大反対。金八、下を向いてなすすべが無い。


その時、その会合の一番後ろにいた元教え子が「金八先生を信用してください」と涙の訴え。勿論、音楽。


さぁ、その涙に、あの父兄たちはどう反論するのかと身を乗り出したところ...



シーンが替わり、金八が、その元生徒二人に感謝している。



さらに、こんなシーンもあった。


鑑別所から出て、母親と一緒に職員室を訪れる不良少年。金八はその少年を更正させるために、自宅に住まわすことを提案。


暴言を吐く少年。


さぁ、金八はどうやって少年を説得するのだろうかと身を乗り出したところ...



次のシーンでは、既に金八の家の中に少年がいるのだ。



敢えて言えば、ベタな展開だからこそ生きてくる演出ということか。

僕はこの劇的な場面(めんどくさい場面)を回避して話を進ませる演出に、90年代の宮沢章夫の遊園地再生事業団の数々のブラックアウト、あるいは80年代の名作コメディ和田誠の「怪盗ルビイ」の真田広之と小泉今日子の掛け合いを、あるいは、70年代の長谷川和彦の「青春の殺人者」の息子が父親を殺すシーン等の歴代の「飛ばし」演出を思い出してしまった。







(たまたまYOUTUBEに上がっていた「青春の殺人者」における息子が父を殺すシーンが飛ばされた名シーン(3分あたり)が上がっていたので、暇な方は観てください。)



さらに、面白いと思ったのは、最後、金八の教え子達に対して、金八が一人一人、名前を呼び、立ち上がるシーン。最後に呼ばれた、参議院議員の三原順子が、何もセリフを言わず、ただ震えて涙をこらえていたシーン。こんなそれなりの「大物」になにもセリフを与えない演出、この大胆さもオツだ。やはり一斉を風靡した作品は、違う。



さらにさらに余談だが、最後の金八の演説で、「日本人」という言葉が出てきた。基本、個性重視のサヨク的なドラマかと思っていたが、時代の流れには抗えなかったということか。



さらにさらにさらに言えば、あの大量の元生徒達、おそらく金八出演時には、それぞれが未来の俳優を目指していたはずなのに、いわゆる「残った」人はほんの一握り、芸能界の厳しさをも炙り出してしまったファイナルであった。

まさむね

2011年2月13日 (日)

「江〜姫たちの戦国〜」は痛快ではあるが、受験生にはオススメできない

NHKの今年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の視聴率がいいようだ。

僕も毎回、それなりに楽しく拝見しているのだが...



それにしも大河ドラマを見ているといつも考えさせられるのが、このシリーズにおいては、どの程度まで史実ではありえないようなことが許されるのかというその一線である。

「龍馬伝」も第二次長州征伐の戦場で、高杉晋作が三味線を弾きながら歩くなど、「面白い」シーンがあったが、今回の「江」は序盤から飛ばしてくれる。

言うまでも無く、江は、1573年の生まれ、本能寺の変の時点では9歳に過ぎない。

それにしては、信長に意見し、死ぬ間際に生き霊として現れたり、家康と一緒に苦難の伊賀越えをしたり、挙句の果てには、わざわざ野武士につかまり、安土城にいる明智光秀と会見するなど八面六臂の活躍である。

皮肉を込めて言えば、誠に痛快、しかし、受験生にはオススメできないドラマであるということか。



さて、微妙に興味深かったのが斎藤利三とのやりとりである。というのも、この利三の娘が後のお福(春日局)となり、ゆくゆくは、いわゆるお江のライバルとなるからである。

こうした未来の運命から逆算すると、初対面はなにかと伏線があるにちがいないという視線で見てしまうのだ。

この場面、利三は、お江から明らかに格下扱いを受けていた(相手にされていない)、一方、利三もお江を子供扱いしていた、ようするに、見事にすれ違っていたのだ。そして、僕の見る限り、伏線的な演出はなかった、そのように思えたのだがいかがであろうか。



まぁ、前記のような「大技」は、四捨五入すれば、ドラマとしては許せるとしても、僕の興味の中心である家紋に関しては、指摘しておきたい点がいくつかある。

というか、これは僕の以前から抱いている疑問が、秀吉が自家の家紋に桐を用いるようになったのはいつの時期なのであろうかというものである。

手元にある家紋関連の書物におけるそのあたりの箇所をいくつか引用してみよう。

織田信長の死後、天下を制した羽柴秀吉は、誇れるほどの氏を持たなかったことから、皇室に奏上して「豊臣」の姓を賜った。このとき、桐紋の使用も許された。(141P)
「家紋散策」(家紋を楽しむ会)


豊臣氏が織田氏に替わって天下の政権を握ったとき、朝廷からは豊臣朝臣の姓とともに、菊桐の紋章を下賜された。(217P)

「日本家紋大鑑」能坂利雄著


〜その後、豊臣氏も朝廷から菊桐紋を賜り、〜(上巻の966P)

「姓氏家紋大辞典」千鹿野茂著


皇室や足利氏からは織田信長、羽柴秀吉にも下賜されたようで、特に秀吉は豊臣朝臣の姓とともに菊桐紋を賜ったと思われ〜(132P)

豊臣秀吉が天皇家より桐紋を下賜される以前に沢瀉紋を使用していた。(88P)

「家紋の事典」高澤等著


織田の跡を継いだ豊臣秀吉は、豊臣の姓を賜るとき一緒に桐紋も下賜されたと思われる。むろん彼の場合は朝廷からである。(146P)

「家紋事典」大隈三好著


多くの書物には、秀吉は朝廷から桐紋を下賜されたということが書かれている。だとするならば、現時点(羽柴の時代)の陣幕に桐紋が描かれているのは時代が早すぎるのではないだろうか。

昨年、僕は「龍馬伝」における西郷隆盛の抱き菊の葉に菊紋の使用時期に関して、NHKに質問したのだが、「調べます」との回答はいただいたが結局は、うやむやにされてしまったという経験がある。それゆえ、今年は質問しようかどうか少し迷っている。



また、微妙に嬉しく、しかし惜しいなぁと思った場面があった。それは明智光秀が謀反をすべきかどうか悩んでいる屋敷でのシーンで、その庭には紫色の桔梗が咲いていたのである。こういう細かい演出はいい感じだ。しかし、惜しむらくは、桔梗は秋の七草、花が咲くのは六月ではなく、もう少し後ではないのだろうか。



そういえば、昨年、7月中旬に、鎌倉瑞泉寺の大宅壮一の墓所に咲いていた桔梗の花は綺麗だったなぁ。



まさむね

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