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カテゴリー「失業日記」の3件の記事

2011年6月13日 (月)

ハローワークは思った以上に混んでいた(失業日記Part3)

先日、失職後、初めてハローワークに行ってきた。

失業手当の申請のためだ。

実は僕は、人生において今まで何回かハローワーク通いというものをしている。



1回目は、1992年、2回目は1996年、3回目は2005年、そして今回の2011年の4回目である。

だからある意味、慣れているのだ。

しかし、今回、行ってみて驚いたのは、以前に比べて圧倒的にハローワークが混んでいるということ。

しかも、失業手当の窓口というよりも、職を探すエリアに長い待機列が出来ているのだ。

そこにいる人々は老若男女問わずという感じである。

これは、現在がのっぴきならないほど、深刻な状況であることを表している。つまり、とりあえず、会社を辞めて、失業手当をもらうためだけに、形式的に検索コンピュータの前に座っている人が減り、本気で職を探している人が増えているということを表しているからだ。



しかし、一般的に完全失業率は,総務省のデータによると4.6%程度と言われているが、その4.6%には、



①1ヶ月の間、少しでも仕事をした人

②仕事をあきらめて就職活動をしなくなった人

③就職活動をしているけど、リクナビ専門で職を探し、ハローワークに行っていない人



なんかは含まれていないそうだ。つまり、完全ニートは、統計上は完全失業者ではないということなのである。

失業手当支給期間が過ぎて、ハローワークに行かなくなり、当局がどうしているか把握できなくなった人も、(無事?)完全失業者ではなくなるのだ。

ということは、実質的に職に就いていない人は、相当数、存在するに違いない。

誰も恐ろしくて、言えないのかも知れないが、誰か本当のことを教えてほしい(世界が凍り付いてもいいから by 吉本隆明)。



そういえば、菅さんは、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と言っていたが、今は何番目に雇用が来ているんだろうか。先日の鳩山氏との合意文書にはなかったようだが...



さて、僕が通うことになる三鷹のハローワークであるが、実は、太宰治(左:鶴の丸)や森鴎外(右:乱れ追い重ね九枚柏)が眠る禅林寺にものすごく近い。歩いて三分ぐらいの距離にある。勿論、僕は手続きの後に、立ち寄ってみた。いつもながら、二人の墓には綺麗な花が添えられている。

それにしても、二人の文豪がほとんど真向かいに墓を構えるというのはどういう因縁があるのだろうか。巣鴨の慈眼寺における谷崎潤一郎と芥川龍之介、鎌倉霊園の川端康成と堀口大學と並んで、東京文学お隣墓石名所のひとつである。



おっと、思わず話が逸れた。これは失業日記だった。



さて、次回は、失業手当給付のための講習会だ、どんなことが話されるのか、とりあえず、興味津々である。



まさむね

2011年6月 8日 (水)

僕はまず青山霊園に向った(失業日記Part2)

昨日、朝4時に起きて、青山霊園に向かった。

急遽誘ったTBCのO君(彼の失職中)との約束は8時だから、別にそんな早い時間に起きる必要は全く無いのだが、逆に言えば、せっかく起きたのに寝ている意味も無いと思ったのだ。



今までは、やはり仕事のことを考えるとどうしても、過度の疲労を避けていたのだが、もう今は違う。

時間がもったいなくて仕方が無いのである。



「翌日のことを考えて、時間があれば寝ていよう」から、「寝るのがもったいないから起きて好きなことをしよう。」これが失職してからの心の変化だ。



青山霊園に着いたのが6時前。僕は人気(ひとけ)の無い霊園を歩き回った。

過去、何度も足を運んでいる場所ではあるが、最近、購入したスマホで家紋の写真を撮りなおしたかったのである。

するといきなり頭に何かがぶつかってきた。カラスだ。早朝の珍客にカラスの手荒い挨拶か。



さて、墓を回ってみると、予想以上に震災の被害があることに改めておどろく(左画)。特に戦前からの石灯篭に被害が大きいようだ。

まぁ、まだ余震が続く中、立て直すことも出来ないのであろう。



その中でも明治維新の立役者であり、現在までも連綿と続く官僚組織の基礎を作った大久保利通の墓所では、左右の石灯篭の頭が落ちてしまっていた(右画)。ちょっと無残な感じだ。



現代は、まさしく日本が迎えた何度目かの大変革の時期である。

多くの人が指摘しているが、それは、おそらく明治以来の中央集権国家(=官僚国家)の終焉になるに違いない。

おそらくそのことは、今回の震災に対する国の対応のお粗末さによって、国民の多くも薄々感じはじめているのではないだろうか。



民主党が政権交代時に主張した「任せる政治から、引き受ける政治へ」か...

多少、皮肉を込めて言うならば、今回の彼らの杜撰さは、民主党政権が自らの身を持って、その理念を国民に知らしめるための壮大なパフォーマンスなのかもしれない。



もう国に何かしてもらう時代ではない。これからは一人一人が自立して生きていかなければならない時代、その意味で、大久保利通の墓所の石灯篭の崩壊は、僕には来るべき近未来を象徴的に表しているようにも見えたのである。



さて、そんなことも考えながら、僕は霊園を回った。本当に充実した時間である。気がついたら、アッという間に13:00だ。まだまだ行けるぞ。



一段落し、続けて、青山霊園近くの梅窓院行こうかどうか、O君と相談する。

普段だったら、、僕のほうがすぐにヘタり込んでしまうのだが、今日は逆だった。

「疲れたから、また今度にしましょう」というO君を説得して、僕らは梅窓院に向うことにしたのである...



日本家紋普及協会・大老のしんゆうさんが最近、ご自身のブログ「家紋高校生」で「一自行生」というコンセプトを提唱されていた。これは自分が好きなことをして生きるという意味であるが、全くその通りだ。しばらくの期間かもしれないが、僕はその言葉を生きてみようと思っている。



家に帰ると、いつもの通り、妻が待っていた。

「何時、家を出たの?全然、気がつかなかった」と妻。

「朝、4時半位かな。6時に青山霊園に着いたんだ」と答える。

「歳をとったから早く起きるようになったんだね」と笑う妻。



その大笑いすら快感となる一日であった。



まさむね

2011年6月 6日 (月)

一本気新聞復活宣言!!(51歳にして失業したという話)

誰が考えても現代は、時代の曲がり角に来ている。今までの既存のシステムにはところどころにヒビが入り、しかし、そこにしがみつくことしか考えられない人々はそんな状況に怯え、萎縮してしまっている。

確かに、既得権を持っている人々は、それでも既存のシステムに乗り続けることによって逃げ切ることが合理的に違いないが、これから何かを成し遂げようと思っている人はそういう訳にもいかない。

既得権益で固められた社会をそのままにして何とかしようと思えば、その既得権益という席を無理やり奪い取るか、あるいはその席があくまで、じっとこらえて待つしかないのである。

しかし、そんなことをしていたら、いつになったら何かを成し遂げることなどできるだろうか。



おそらく、自分で別のところに席を作る、そういう発想で生きていくしかない。時間はそれほど無いからである。



そして、現代においてそれを可能にするものこそ、インターネットをベースとした新しい人と人との結びつきだというのもほとんどの人の見解だと思われる。

もっとも、その場所には、残念ながら具体的に誰の目にも見えるような「大金の臭い」があるわけではない。



数年前に起きたITバブルは、まさにバブルだったが、その世界は、ほんの一握りの成功者と、その他多くの下層ワーカーを生み出しただけだったのである。



しかし、視点をマクロから、ミクロにして眺めてみると、そこは無限大の可能性を秘めているようにも思えるのだ。

インターネットの世界は、大きな会社や組織にとっては、そこに大きな投資が出来るような世界では既にないかもしれないが、個人にとってはとてつもなく大きな可能性を秘めた海ということである。



個人が生きていくための新しい創作やビジネス、そして社会貢献を始めていくベースとしてのインターネット、そしてそこから発生する新たな人間関係。その可能性と手法に気づいた人々は、どんどん会社や組織から離れて新しい個人として生きる道を選んでいくだろう。



さて、上記は一般論だが、ここからは自分の話である。



実は、僕は先月の末に退職をした。51歳で無職になったというわけだ。

前職では、いろんな経験や勉強をさせてもらった。それに、若い人たちと一緒に仕事が出来て楽しかった。

しかし、今月からは僕は個人として自分の生き方を考えなければならないようになった。ようするにそういうことだ。

勿論、不安だらけであるが、少しはワクワクしている。それが正直な気持ちである。



ここのところ、筆を置いていたこの一本気新聞ではあるが、今後は、しばらくは僕の失業日記として復活させたいと思う。



震災後のこの混沌とした今の東京で、51歳無職の男がどのように生きていけるのか、ご興味のある方に少しでも有用な情報が流せたらいいと思っている。



まさむね

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