昨日、25日は新撰組の人気者・沖田総司の「総司忌」ということで六本木・専称寺に行ってきた。(左が沖田総司の家紋の丸に木瓜紋、右が沖田総司の肖像画)
このお寺は、普段は墓地を開放していない。
それゆえ、この日は、多くの新撰組ファン、沖田総司ファンでお寺の周りには行列が出来ていた。
ざっと数えたところ、300名位はいたであろうか。ほとんどが若い女性であった。
一般的に沖田総司といえば、純情、美青年、剣の達人、しかも夭折というようなキーワードが思い浮かぶ。
歴史物語的には、池田屋事件で尊皇攘夷の志士を襲撃したときに、結核のため吐血したシーンに鮮烈な印象がある。(子母澤寛の創作という話もあるが...)
ただし、現在残っている肖像画は、はっきり言って、美青年とは言えない。(これは後世、親類の子供を元に書かれたものだそうだ。)美人薄命というが、男性に関しても、同じようなことがいえるのかもしれない。
そして、この肖像画を無視し、当然のごとく、映画やドラマでは、戦後一貫して、トップクラスのイケメンが沖田総司役を演じている。下の表を見ていただければ一目瞭然、女性のファンが沖田総司に対して、ある種のイメージを抱くのは自然なことであろう。
作品 |
年代 |
媒体 |
俳優名 |
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壮烈新選組 幕末の動乱 |
1960年 |
映画 |
若山富三郎 |
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新撰組 |
1969年 |
映画 |
北大路欣也 |
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沖田総司 |
1974年 |
映画 |
草刈正雄 |
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沖田総司 華麗なる暗殺者 |
1982年 |
TVドラマ |
郷ひろみ |
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燃えて散る 炎の剣士 沖田総司 |
1984年 |
TVドラマ |
田原俊彦 |
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新撰組 |
1987年 |
TVドラマ |
東山紀之 |
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幕末純情伝 |
1991年 |
映画 |
牧瀬里穂 |
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御法度 |
1999年 |
映画 |
武田真治 |
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新選組! |
2004年 |
大河ドラマ |
藤原竜也 |
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矜持I |
2006年 |
映画 |
加勢大周 |
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実録 新選組 |
2006年 |
OV |
大沢樹生 |
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さて、先月、僕は「
「新撰組」の人気の秘密について」というエントリーを書いたのだが、その中で司馬遼太郎さんの次の言葉を引用させていただいた。
近藤と土方、この二人は出身についての劣等感があっただけに必要以上に士道的な美意識を持っていた。
人は劣等感があると、無意識的にでも、過剰にその役割を演じるものかもしれない。ここでは、司馬さんは近藤と土方の生き方について語っているのだが、本日、NHK大河ドラマ「江」の中での秀吉にもそのことが言えるのかもしれない。彼は農民(あるいは下級武士)階級出身という出自ゆえに、より過剰に関白になろうとしたのである。
同様のことは、三種の神器のうち、刀剣無くして天皇となられた後鳥羽天皇が、武断的なふるまいをされたとか、いわゆるくじ引きで将軍となった足利義教が、強い将軍を目指し、残忍な振る舞いを行ったのも、通底する心理かもしれないと僕は思う。
(あるいは、最近ではオカマ芸人が、女性よりも女性らしく振舞おうとするのも、その一連の流れか?!)
話を新撰組に戻す。
彼らは、過剰に士道的美意識にこだわった反面、内部粛清の手段は思いのほか陰険だったようにも思える。近藤、土方達は芹沢鴨を暗殺したときも、伊東甲子太郎を闇討ちした時(油小路事件)も、その前に酒を飲ませて、相手を泥酔させているではないか。これは、江戸中期以降の武士道には見られない振る舞いである。
しかし、彼らの酒を利用しての卑怯さは、ある意味、日本の伝統かもしれない。古くは古事記において、スサノウがヤマタノオロチを退治した場面、ヤマトタケルが熊襲タケルを倒した場面、いずれも酒を飲ませて油断したところを討っている。時代が下れば、平安時代の源頼光とその四天王による酒呑童子退治の逸話、室町時代の赤松満祐が足利義教を討った嘉吉の乱、江戸時代初期の松前藩がアイヌのシャクシャインを騙し討ちした事件なども、いずれも酒の席での話である。酒の席というのはその意味で、暗殺”特区”なのだろうか。
これは西洋でも同じだが、乾杯をして、誰彼もが一緒に杯を傾けるのは、そういった暗い記憶が残した形式なのかもしれないと思う。
どうしても新撰組から話がずれてしまう。さて、沖田総司の話だった。
彼は戊辰戦争の最中に、結核に倒れる。近藤勇を戦場に送り出す病床で、涙したとも伝えられている。本当に感情の豊かな青年だったのでろう。
しかし、当時は結核は死に至る病である。沖田総司は、そのまま病床で息絶える。あの時代、結核で倒れた偉人といえば、高杉晋作も思い浮かぶ。でも高杉の場合はまだ救われる。彼の意思は次の世にも引き継がれるのだから...
しかし、歴史の”優しさ”とでもいうべきか。新撰組は歴史の藻屑と消えたが、あの専称寺の長蛇の列を見るにつけ、沖田総司は死して、確実に伝説を残したようだ。
さて、幕末の乱世が通り過ぎた明治以降、結核は、文学者の生き方と大きく関わっていく。結核こそ、上品さや繊細さの指標となっていったのである。正岡子規、石川啄木、中原中也、立原道造...夭折の詩人はみな結核による死とともに、伝説を残すのだ。
ちなみに、太宰治も、結核にあこがれて、汚水を飲んだことがあるという話もどこかで読んだような気がするが覚えていない。
まさむね
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