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カテゴリー「時事ネタ」の71件の記事

2011年11月26日 (土)

押井守監督発言と、長嶋茂雄と「ファンタスティック・プラネット」

つい先日のことですが、Yahoo!のトピックで『「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ』という記事が話題になっていました。



これは、asahi.comの中の小原篤さんのコラム『「若者は夢を持つな」と監督が言った』の中でも紹介されていますが、押井さんが、ある講演会で、以下のように述べたことが物議を醸したというちょっとした事件でした。

僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない


実際、このような意見は、最近、僕の近くのアニメファンからも多々、聞くことがあります。

その背景としては、現代のアニメ製作者達の多くが、育ってくる過程で、アニメ、ゲーム、漫画といったいわゆる「オタクコンテンツ」のみを受容して来ているということがあると言われています。

例えば、岡田斗司夫さん等が、その著作「オタクはすでに死んでいる」なんかで主張していることとも近いのですが、かつてのアニメ製作者達は、「オタクコンテンツ」以外にも、SFや映画、文学、哲学等を幅広く勉強し、しかも、個々人がいくつかの深い得意ジャンルを持っていました。そして、それらの教養をバックボーンとして、作品を作っていました。

ところが、近年、そういった製作者側の教養の幅が、オタク周辺ジャンルに偏って、来たことによって、その同じ狭いオタク文化的知識や嗜好を共有している「仲間」には受け入れられても、なかなかその外に通用するコンテンツが生み出せない、いわゆる「先鋭化」が進んでいるというようなことですね。



勿論、アニメなどの作品は、例えば、文部省などからの補助金によって、文化事業の一環として作られるというのなら別ですが、ある面で、商品として存在せざるをえません。それは真理であり現実です。

そのため、視聴者の嗜好に添った作品になっていくというのは仕方が無いことだとも言えます。

例えば、僕も、アニメの歴史というのは、男性キャラの存在感、(あるいはマッチョ主義)がどんどん希薄になっていく歴史ではないかと考えていますが(「「けいおん!」という商品をぎりぎりのところで作品に踏みとどまらせたもの」)、それも、こうしたコンテンツ製作者及び、視聴者が共に、先鋭化していることが原因だと思われます。



ただ、僕は、一見、そうした概観を持っているアニメであっても、その中には、1ミリでも、新しい試みや、時代の息吹、そして、作品としての意地のようなものを感じ取ることが出来るのではないかと思っています。そして、むしろそうした可能性を見出すことこそ、作品を鑑賞することではないかとすら考えています。まぁ、それはそれで、結構、疲れる鑑賞法ではあるのですが...



さて、それはともかく、こういったアニメの先鋭化は、作品の質の問題もそうなのですが、同時にマーケットをも狭めているという指摘もあり、むしろ、こっちの方が大きな問題なのです。そのためには、マーケットがある程度、大きい現段階にこそ、様々な可能性を試してみることが重要になってくると思います。マーケットが縮小してしまってからでは、多分、遅いのではないでしょうか。

しかし、様々な可能性と言っても、それはなかなか難しい、人間は、知らず知らずのうちに固定観念の枠に嵌められてしまうと、その外がなかなか見えなくなってしまうからです。



話は変りますが、先日、立川談志さんが亡くなりました。僕は談志さんのファンだったので、そのタイミングでYOUTUBEにアップされている談志さんの動画をいくつか観てみました。すると、その中に、談志さんと上岡龍太郎さんと長嶋茂雄さんの三人が鼎談をしている動画がありました。

そこで、長嶋さんは、自分が現役時代にセカンドゴロを二つ捕ったことがあるというような話をして、談志さんと上岡さんはそれを聞いて大笑いしていました。

勿論、それは常識外の、むしろ、想定外のプレイなわけです。つまり、当時、一緒に内野を守っていたであろう広岡さんだったら最も嫌がるようなプレイだったということですね。

ただ、その時、僕は思いました。おそらく、長嶋さんという人は、野球が野球という制度になる以前の、なにか別のものになる可能性を感じ取れる人だったんだなぁと。長嶋さんが天才と呼ばれるのは、おそらくそうした感覚においてだと僕は確信しました。それは、決して、彼が残した記録によってではないと。

そして、その話に続けて長嶋さんは、野球選手は、野球を専門にする以前に、バスケットボールやサッカーや格闘技など、様々な別ジャンルのスポーツをすべきだと、そのためには、プロ野球にも一軍、二軍に加えて、三軍を作るべきだと...



話を強引にアニメに戻すと、今、アニメ界に必要なのは、こういった長嶋的な感覚ではないでしょうか。もしかしたら、アニメがアニメという制度になる以前のなにかを感じ取れる製作者は、それまでアニメとは全く関係の無いことをしていた人々の中にいるのかもしれません。

あるいは、そのヒントは、アニメがアニメという制度になる以前に作られたアニメを観ることかもしれません。その意味では、例えば、1973年にフランスのアニメ作家・ルネ・ラルーによって作られた「ファンタスティック・プラネット」こそ、現代のアニメ製作者が見るべきアニメだと僕は思います。



このアニメについては、別途語ってみたいと思いますが、このエントリーでは、現代の日本に生きる僕らの感覚とは完全にねじれた位置に存在する異物のようなアニメであること、つまり、アニメというジャンルが、もう一つ別の「なにものか」になりえる可能性を秘めているアニメだということだけお伝えしておきたい思います。



まさむね



※この「ファンタスティック・プラネット」は、アニオタ保守本流の古谷経衡さんに教えていただきました。

2011年4月16日 (土)

むしろ「日本は弱い国」からの再生を願う

ご覧になった方も多いと思うけど、最近旧公共広告機構(ACジャパン)が「日本の力を信じている」のCMを流して日本は強い国ということをさかんに強調しようとしているようだ。そうやってただでさえ沈滞気味の世相・風潮を元気づけよう、鼓舞しようとしている意図も分からないではないが、むしろ今こそ「日本は弱い国」ということから再出発したいと思うが、如何であろうか。



松岡正剛氏の言葉ではないが、もともと日本はフラジャイルで傷つきやすい国であり、まさに地震の多さ、津波などの災害の多さに代表されるように壊れやすい国である。その壊れやすさを前提に設計してゆくことが大事だと思う。



原発にしても核閉じ込めの「五重の壁」の防御機構とかなんとか言っても、いかに脆かったか。結局冷却機能が失われれば五重の壁も容易く突き抜けられてしまうわけで、むしろ注意の視線は脆い冷却機能にこそ向けられるべきだったのだろう。



「安全だ、大丈夫だ」の強さの誇示ではなく、これからは脆い部分から出発し、それを素直に認め、開示してみんなでその脆さをどう克服してゆくかにフォーカスしてゆくような展開こそ望みたい。もう日本は強い国ではないはずだ。財政課題然り、経済停滞然り、人口減少然り。ある面借金漬けと高齢者の国になりつつあるのだ。



国破れて、山河はあるか。山河はもうないのか。重い課題を突きつけられているような、いまも予断を許さない状況が続いている。でも強がっても仕方がない。自分たちの弱さを見つめ、もう一度そこからリスタートできるような「柔らかさ」だけは失いたくないものだ。





よしむね



2011年3月27日 (日)

放射能汚染された土地の霊はどのようにして慰めればいいのだろうか

震災による福島第一原発の事態は一向に収束する気配が無い。僕らはただ、祈るばかりだが、それにしても落ち着かない毎日である。


そして、日に日に増していくのはマスコミから流される情報の信憑性、あるいはその楽観的とも思えるその解釈への不信感だ。


例えば、今日の「放射性物質含む水の除去続く」というNHKのニュース。


最後はこう締めくくられている。



また、経済産業省の原子力安全・保安院によりますと、2号機の原子炉が納められた建物から、発電所の雨水などを流す排水溝に水が流れた跡が見つかり、現場からは1時間当たり15ミリシーベルト程度の放射線が検出されたということで、東京電力や原子力安全・保安院が、水がどこから流れ出たか調べています。



それぞれの原子炉を格納している建物の地面には放射能を含んだ水が溜まっており、それがどこから漏れたものかも、未だわからず、それが排水溝を通して、外へ流されていた(あるいは、流され続けている)というのである。それなのに、その記事のタイトルが、「水の除去作業続く」というのは、明らかにミスリーディングではないのか。より重要なのは、「放射能を含んだ水が漏れ続けている」ということではないのだろうか。


おそらく、今こそ、僕らの情報リテラシイが試される時なのかもしれない。



さて、今回の原発事故に関して、金曜日の夜の「朝まで生テレビ」で勝間和代氏は、「津波の死者に比べて死者が出ていない」というようなことを発言されていたらしい(もし違ったらごめんなさい)。これは、ようするに、原発の周辺の土地が放射能汚染されたとしても、そこの住民は避難すれば、命は大丈夫だから、それほど大きな問題ではないと言っているということか。


しかし、実際にはまだ、多くの人が「避難区域」に残っているという。テレビ報道では、「自分はもう死ぬだけだから、この土地から動きたくない」という老婆が放送されていたが、僕には勝間氏の言うことよりも、この老婆の言うことのほうがずっと、理解できる。


僕ら都会人の多くも何代か遡れば、田舎の農民である。おそらく、明治以降、なんらなかの事情があって、田舎を離れ、都会に出てきた。その事情はそれぞれであっても、多くは故郷を残してきた人々に託して出てきたに違いないのだ。実は自分も祖母(父の母)は福島(会津)の出身であった。だから、今回の福島の土壌汚染に関しては、他人事には思えないのだ。


その土地に暮らしてきた人々、おそらく何代にもわたって、土地を切り開き、時に自然災害と闘いながら、一方で自然と共存して、土地とともに生きてきた人々。


現在、その土地にいる人々もおそらく、そうした幾多の御先祖の想いを引き受けて、それを次代につなぐためにその土地で行き続けてきたのであろう。


それが、明らかに人災ともいえる原発事故によって、その土地が「人間が生活できない土地」にされてしまうことはなんと残酷で無情なことであろうか。


それは、農業がダメなら、他の産業をすればいいではないかというような話ではないのである。それは経済合理的な物差しでは計れない人間(先祖から子孫までをも含む)の心情の問題なのだ。


象徴的な話で言えば、避難区域のお墓は誰が守ればいいのか、避難区域に眠っている死者、そして土地の霊をどうやって慰めればいいのかのという問題なのだ。



実は、この事故が起きる前まで、僕はどちらかといえば、原発容認の考えを持っていた。しかし、今回の事故によって、失うものがあまりにも大きいことを思い知った。


僕らはこれからは、源発に反対するとともに、原発を許容してきてしまった自分自身を、そして社会を変えなければならないのではないだろうか。



まさむね



2011年3月24日 (木)

見渡せば花ももみじもなかりけり

まず今回の地震で被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。まだまだ道のりはとても遠いですが、少しずつ復旧と再生へ向けた歩みが始まることを祈りたいと思います。

最近妙に小林秀雄を読みたくなり、この間久し振りに「無常と言う事」を読み返したばかりだった(これは、かの大地震が起きる前のこと)。小林秀雄が戦中にどんなことを思い、何を書いていたのか、何に向き合おうとしていたのか、自分なりに読み返してみたい気持ちがあったからだ。小林秀雄は高校生のときとても好きで読んでいた。そんなこともあって、先日たまたま本屋で見かけた橋本治の著書「小林秀雄の恵み」(新潮社文庫)も買った。読み終えたら感想を書きたいと思っています。小林秀雄の「無常という事」のなかの有名な結びの文章は以下の通りだ。

「上手に思い出すことは非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向って飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。・・・この世は無常とは決して仏説と言う様なものではあるまい。それは、幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。」



かわって標題の短歌。あまりにも有名な藤原定家作の短歌の上句だ。塚本邦雄氏の評によれば、この一首には枯れた景色を逆説的に美しいと感じるような生易しい心情の類ではなく、そのような美さえ虚しいと突っ切って手放すような言外の強いニュアンスがあるのだという。そして意外に知られていないのはこの短歌が作られたのは定家がまだ二十五歳という若書きの端緒のときに詠われたものだということ。その事実によるなら、藤原定家は歌人としてのあり様を「なにもない風景」から始めたことになる。

そして結びの句の「浦の苫屋の秋の夕暮れ」の光景は、ぼくにはイギリスの映画監督デレク・ジャーマン(故人)がエイズで亡くなるその晩年に、原子力発電所の近くの浜辺の鄙びた村の近くで一軒の納屋風の家を買い取り、そこで奇跡の庭作りに励んだという、そのときに彼が見ていた光景と不思議に重なるものを感じる。いずれも「ないこと」から始まる人の営為のようなもの。

今回の地震はあまりにも規模が大きく、その被害も甚大だ。いまだ予断を許さない状況が続いているのはここで改めて触れるまでもない。時に被害の大きさと深刻さに対して何もできない個人としての無力感に苛まれたりもする。そうした転変を載せながら今もこの地上では揺れることをやめない。住んでいた家屋をすべてなくされた方々も多い。

でももう一度日本人みんなが「ないこと」から始めてゆくしかないと思いたい。

それが無常ということの唯一の意味のような気もします。まずは震災で亡くなられた多くの方々に対して、合掌。



よしむね

2011年3月20日 (日)

千年の時を超えて坂東の民は将門の子孫を救えるか

今回の東日本大震災で被災した福島第一原発ののっぴきならない状態がいまだに続いているようだ。

僕は勿論、原子物理学の素人なので詳細なことはわからない。様々なニュースを見ながら、より被害が少なくて済むように祈るのみである。

それにしても、今回の事件があって、僕らが改めて気づかされたのが東京電力の原発がその管区ではなく、東北電力の管区にあったという冷たい現実である。つまり、僕ら(関東の人々)は原発による恩恵は頂きながら、そのリスクを東北に押し付け続けてきたのだ。

しかも、そしてその東北が本当に困っている時に、一方でなんとかしなければならないと思いながらも、もう一方で「みんながしているから」という空気によっていつもよりも沢山の食品を買ってしまう、さらに彼らを置いて逃げようという人も沢山いる、これも僕ら、庶民の姿なのである。



さて、話は変るが、全く個人的に気になっているのがこの福島第一原発のある双葉郡が、かつて相馬中村藩の領内だったこと、そして、この藩の藩主の相馬氏が平将門の子孫であったということである。その名残として、例えば、この地は、現在でも相馬野馬追いという祭りで、将門伝来の勇猛さを現在に伝えている。

そして、この相馬という土地はそんな勇猛さとは別の一面として、民謡の宝庫とも言われている。「相馬流れ山」と並んで著名は「相馬二遍返し」という唄には、こんな一節がある。

相馬、相馬と木萱(きかや)もなびく なびく木萱に花が咲く 

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に 

相馬、相馬と木萱の枝に 義理と人情の花が咲く


実はこの「木萱」というのは、天明の飢饉の後に大量に発生した他藩(主に北陸方面)の困窮した農民のことで、(計算高い?)隣の大藩である伊達藩を尻目に、彼らを相馬藩が受け入れたということを謡っているというのである。(「東北不思議探訪」伊藤孝博著参照)

日本人の中に流れてる相互扶助の精神には長い歴史がある。そしてその相互扶助というものは「かわいそうだ」という人情と同時に、「こちらもつらいけど、何とかしなければならない」という義理の上に成り立っている。そんなことを感じさせるエピソードである。

そして、おそらくその時の忍苦が、このような土地誉めの唄を生み出したのではないだろうか。



話は変るが、今回の地震以降、検索エンジンから、「平将門」というキーワードによって本ブログに立ち寄ってくれる人が増えている。意識的にか無意識的にか、大災害と将門の怨念というものを、どこかで結び付けている人が多いということだろうか。

石原都知事は、この災害に対して「天罰だと思う」という発言をして顰蹙を買った。勿論、知事という立場、そして現在も多くの人が苦しんでいるという現状を考え合わせれば最悪の類の発言であることは確かではあるが、災害に対して人知を超えた「何か」を感じる感性というレベルでいえば、僕らには共有するものが無いとは言えないと思っている。



さて、さらにまた話が変るが、井沢元彦氏はその数々の著作で日本史における怨霊について語っている。聖徳太子、早良親王、菅原道真、崇徳上皇など、後に怨霊となった人々の多くはライバル達の姦計によって陥れられた人々であるという。しかし、将門という日本史最大級の怨霊は「誰に」陥れられたのかという話は出てこない。さらに言えば、何故、将門が後に神として崇拝されたのかという点に関しての考察もどこか甘いような気がするのだ。

例えば、井沢氏の主著である「逆説の日本史−4(第四章『反逆者』平将門編)」のなかにはこんな記述がある。

将門の時代は、摂関政治の矛盾が頂点に達し民衆を苦しめていた。だからこそ、将門は支持され、滅び去った後も「明神」として崇め奉られたのだ。


ようするに、将門は民衆の味方だったから神になったということである。

しかし、本当にそれだけなのであろうか。



これに関して、「平将門−その史実と伝説(伊藤晃著)」では、井沢氏の怨霊史とは全く別の文脈ではあるが、その末尾に大変、面白い指摘があったので記しておきたいと思う。

思えば、腐敗した貴族政治の最大の被害者は、「国の人」とさげすまれた地方人、民衆にほかならず、おごれる人々と対決するための、坂東の人びとの「親皇」欲求は、多分嘘ではなかったろう。だが、その民衆は、なお権威や眼前の利益に弱い、一人ひとりでしかなかった。「新皇」宣言に歓喜した民衆は、将門が最後の決戦の際に、いくら招いても呼んでも来ない民衆でもあった。人のいい将門は、目のくらむような高所に上らされ、挙句の果てにはしごをはずされたしまったのである。

民衆は、将門を裏切ったといえる。本書は、むかしから坂東一帯にあった将門の人気、将門への同情などから述べはじめた。将門を神と祀り、あるいは尊崇する習俗。結びとしてのその秘密を、まずは最も人間的な人間、人のいい将門なればこそと断じ、さらには、それを裏切った民衆の懺悔の思いがあってのことと、著者は見たい。


つまり、民衆は、将門を慕っていたが、最終的には、裏切った。そしてその裏切りから来る懺悔が将門信仰の核にあるということだ。

先ほどの怨霊達と並べてみると、聖徳太子は蘇我氏の、早良親王は桓武天皇の、菅原道真は藤原氏の、崇徳上皇は天皇家(後白河天皇系)の、そして平将門は坂東の民衆の、それぞれ「後ろめたさ」の裏返しとして怨霊→御霊として神化されてったのではないだろうか。



僕は、最後の決戦の時に平将門を見捨てた民衆(権威や眼前の利益に弱い民衆)と、今回の震災で、ある種の「空気」の中で物資の買占めに走ってしまった現代日本人とは確実につながっているような気がしてならない。

しかし、野球で言えば、まだ一回の表が終わったばかりだ。

僕ら、関東の民衆は、千年の時を超えて、最終的に原発の被害にあってしまった相馬の人びと(将門の子孫)を、人情のレベルだけではなく義理のレベルにおいても、助けられるかどうかはまだこれからにかかっている。



まさむね

2011年3月 5日 (土)

京大入試カンニング問題。いろんなものが劣化している

久しぶりのエントリーとなってしまった。

長らく書かなかったのは、実生活が大変だったとか、気分が落ち込んでいたなどというような深い理由があるわけではない。



また今日からボチボチ復活しようと思う。



さて、僕が一本気を休んでいる間、世間の話題はあの京大入試カンニング問題に集中していたように思う。

最初にこの話題を聞いた時、「凄い、度胸があるなぁ」と思った。なにせ、受験というある意味、人生を決めるようなタイミングで、もしみつかったら、大変なことになるようなことをしてしまう、僕だったら多分、手が震えて上手く出来ないだろう、凄いなぁ、というのが素直な感想だった。



しかし、その後、様々な続報や、多くの人(識者)の意見が出てくるにつけ、全体として日本社会が劣化してきているんだというようなことをいやおうなしに感じさせる嫌な事件になっていったというのが僕の感想である。

まずは大学がすぐに警察に通報したこと。そもそも大学という組織は、最終的には警察に通報するとしても、ギリギリまでは自分達の問題として処理しようとするようないわゆる自治的な組織ではなかったのか。古い言い方かもしれないが、受験生のカンニングの処理を国家権力にゆだねる大学というのもなんだかイメージにそぐわない。

そして、最終的には受験生を逮捕した警察。その理由が社会的影響が大きかったからというのがなんともいただけない。偽計業務妨害容疑という逮捕理由もかなり胡散臭い。

いろんな方も指摘していたが、世間=マスコミが騒げば、とりあえず逮捕してしまうというというのは大いに問題だ。

勿論、大騒ぎするマスコミが問題なのはいつものことだ。本当に不愉快である。多くの人が最近、新聞やテレビを見なくなったというがそれも当然だ。つまらないだけではなく、不愉快だからである。

しかも、ここへ来て、「家が貧しかったから」とか「母親に迷惑をかけたくなくて国立大学に行きたかった」などという受験生の人情話を垂れ流す警察とマスコミ...



そしてこの間に、来年度の予算案が衆議院を通過したようだ。海老蔵事件にしても大相撲八百長事件にしても、なにかどうでもいい話がマスコミを賑わせる陰では、本当に大事なことが忘れられていく、あるいは、勝手に進行していくこの国の仕組み、今回はこの事件の陰で何が報道されずに、何が隠されたのか、そちらの方が気になってしまう。



まさむね

2011年2月 3日 (木)

閉館ラッシュにあえて自由のなかの不自由を思う

去年と今年に入ってから急増というほどではないと思うのだが、映画館やデパート、ホテルの閉館(リニューアル含めて)が続いている。デパートでは有楽町西武、ホテルでは赤坂プリンス。いずれも80年代のバブル時に興隆した施設だった。きっとなつかしいと思われる方も多いだろう。写真は去年暮れに有楽町西武が閉館したときに撮ったもの。今もこの表示パネルは残っていると思う。年々売上が落ちて、たしかピーク時の半分近くまで減っていたというから、閉館はある意味時代の必然ともいえるだろう。

 民間は閉館せざるを得ないわけだが、国の台所事情も似たようなものだと思うのだが、こちらは国を閉ざすことも止めることもできず、水増しされた国債の発行で自転車操業を続けている。国債も格下げされて、この先いつまで順調な(?)発行が続くやら、だが。国だけはいまだ滅びず、か。



 そんな中でひとしお個人的にも残念なのは、独立系の単館映画館(いわゆるミニシアター)の閉館ラッシュだ。これはまさに80年代のバブル時をふくめて、僕などのようにミニシアターのお世話になったものからすると残念至極。かつてよく通った六本木シネヴィヴァンも今はない(もう10年以上前に閉館)。そして今年に入って恵比寿ガーデンシネマがこの一月で閉館。シネセゾン渋谷も閉館予定。ここ3年で渋谷のミニシアターが8スクリーン消えたという。

 その背景として、映画関係者の言として取り上げられている記事を読むと、「シネコンで作品を選ぶのが当然の時代になってしまった」「観客が変質した」「若者がミニシアターやアート系映画に無関心になった」という。その真偽は分からない。ただわざわざ苦労してまでマニアックな映画を観に行かなくなっていることは事実かもしれない。最近の新卒学生の大企業への集中化の就職志向ともどこか重なるかもしれない。

 こうしたなかでふと思ったのは、自由のなかの不自由ということ。ネガティブなことも多いが、時代的にいえば依然として圧倒的にまだ自由な時代だ。何をするなとの規範がないとも言える。そうしたなかで人は何を観てもいいはずなのだが、逆にそういう時代だから画一的にみんなが観ているものを観るようになってしまう。



よく言われることなのだが改めてそんなことを思ったのは、まさにまだ残っている某ミニシアターで荒川修作さんという芸術家を題材に選んだ「死なない子供、荒川修作」という映画を見たからだ。荒川さんは岐阜の「養老天命反転地」などの建築とも芸術ともくくることのできないような非常に刺激的な作品を生み出してきたユニークな美術家・思想家だ。

この方が作り出した三鷹の集合住宅「天命反転住宅」が今回の映画の舞台なのだが、そこは住むには極めて異質で、ある意味不快な面を持つ住宅となっている。部屋のなかに砂利が敷き詰められていたり、球形の部屋になっていたり丸形の床だったりおよそ快適に住むという世界からは遠い。だが、そこで暮らしている人にとってまさにその不便さ・不自由さこそが逆に身体が本来持っていた自由さを引き出してある種の生の感覚を蘇らせてくれるのだという。住居人たちがその不思議な感覚についてインタビューで語っている。だから生命は「死なない」のだということ。

不思議なものだ。行き過ぎた自由がかえって逆に人を画一的(不自由)にし、不自由さが人に本来の自由さを取り戻させてくれること。そのための往来できるスイッチみたいなものをいつまでも持ち続けることが大事なのかもしれない。    



よしむね

2011年1月17日 (月)

日航のマークに鶴丸が復活した。単純に嬉しい。

日航のマークに”鶴丸”が復活するという嬉しいニュースがあった。

勿論、このマークは、元々家紋の「鶴の丸」が起源である。

社章を作るときに、フランスの高名なデザイナーに依頼したのだが、そのデザイナーから「日本の伝統にも素晴らしいものがある」と切り返され、鶴の丸をベーシックデザインとして採用したとの話が伝わっている。



それが、2002年のJASとの統合の際に新たなデザインに取って代わられ、2008年に完全に姿を消した。



私の師匠・長谷川順音先生はその著書に、俳人・紀逸の句として、こんな一行を載せている。

家蔵の崩しはじめや紋所


つまり、紋所を大事にしないことは、家や財産を失う手始めという意味である。

実は、昨年日航が倒産した時に、僕は真っ先に、この句を思い出したのであった。



しかし、この度、”鶴丸”が復活する。今までは日航に対してあまりいいイメージを持っていなかった僕だが、ここは一つ応援したい気持ちになってきた。



ちなみに、鶴の丸を持つ有名人には、悪女との評価もある室町幕府8代将軍、足利義政の正室・日野富子、織田信長と一緒に本能寺に消えた森蘭丸、江戸時代の和算家で、円周率を11桁まで計算したという関孝和、「解体新書」を刊行した杉田玄白(左)、勤王家として知られる高山彦九郎、歴史小説家の今東光、そして、一番の有名人は「斜陽」「人間失格」の著者である太宰治(右)である。



まさむね

2010年12月29日 (水)

「とうきょうスカイツリー」は、将来、どんなエピソードを残すのであろうか。

先日、東武伊勢崎線の「業平橋駅」が「とうきょうスカイツリー駅」になるというニュースがあった。

千年以上も前の故事を由来に持つ名前が変ってしまうのは若干寂しい。

昔からの名前が変るときに僕はいつもそんな感慨を抱くのである。



この業平橋の由来は、平安時代の初期、都落ちした在原業平一行が、この地に着いたとき、珍しい鳥がいて、隅田川の渡し舟の船頭にその鳥の名前を尋ねたら、「都鳥」という名前だったということから、一行が皆、都を思い出して泣いたという「伊勢物語」の中の一節が起源になっている。

その時に業平が詠んだ和歌がこれである。

名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

(鳥に向かって)お前は、都鳥という名前を持っているのか、ならば、聞こう、都に残してきた私が想うあの人は元気にしているのかい?(:かなりグダグダな意訳)



確か、高校の時の古典で習ったような記憶があるが...

僕はもっとマジメに古典を勉強しておくんだったと今になって思う。

実は白状すると僕は他の科目は結構、得意だったのだが、古典だけは苦手だったのだ。なぜ、役にも立たないような昔の人が書いた文学を学ばなければならないのか、その頃は理解できなったのである。しかし、この歳になって、その頃に得意だった実学的な科目はほとんど忘れてしまったが、何故か、古典や歴史に関する興味だけは持ち続けているんだから不思議なものだ。



さて、問題はスカイツリーである。

池田信夫氏もずっと批判しているように、実はこのスカイツリーという建物、あやしげなところが多すぎる。

本来は地デジのための塔のはずが、実は必要がそれほどないということが分かった後でも、引っ込みが付かず、地域振興や観光目的ということで作り続けた塔なのである。その意味で、「諫早湾の堤防」に似ている。

誰かの利権が生まれてしまうと、調整しきれずにとりあえず建ててしまう、まさしく「現代日本的」な建物だ。

もちろん、これは東武鉄道の問題であって公共事業ではないので、それほど目くじらを立てて批判すべきものではないのだが、千年もの時を経て、残った「業平橋」という名前を押しのけて、「とうきょうスカイツリー」という名前にしてしまうというのは、あまりにも近視眼的だ。この塔自体、100年後には無用の長物になっている可能性が高いのだから...

はてさて、「業平橋」という名前には、東京は昔は田舎だったというエピソードが残されていたが、「とうきょうスカイツリー」は、将来、どんなエピソードを残すのであろうか。



ちなみに、妻に、この駅名変更のことを話したら、「いいんじゃない、わかりやすくて」だって。

僕は反論できなかった。妻の意見はいつも正しい。それも現実だ。



まさむね

2010年12月18日 (土)

体を張った言葉にしか説得力は無い

先日、東京都議会において、「改正東京都青少年健全育成条例」が可決された。これは、強姦などの犯罪、近親相姦などを賛美するような漫画やアニメを一般図書とは区分けして陳列するための条例である。勿論、こういった守備範囲が漠然としている条例は恣意的な運用の可能性、つまり、だれが、そういった図書を認定するのかといった問題もあるし、こういった条例が端緒となって、ゆくゆくは漫画表現全体に「権力の検閲」が忍び込んでくる危険性があることは僕もわかる。また、こういった細かな条例が、いわゆる役人の権益や、同類他業界の利権につながるといった問題もあるのも確かだろう。

しかし、常識的に考えてみれば、強姦や近親相姦の漫画が普通に売られているというのもいかがかと思う。

こいった本は、そういった性的な嗜好のある人が後ろめたい気持ちで隠れて買うからこそ、楽しいのであって、コンビニでおにぎりと一緒に買えるようなものでいいとも思えない。



今回の騒動において、ちばてつや氏や秋元治氏が、大手出版社幹部と一緒に反対の記者会見を開き話題になったが、僕はそういった権威の方々が一般論、つまり表現の自由を侵すなといった論陣を張るのは、どこか説得力が無いような気がした。そこには権利を勝ち取ろうといった切羽詰ったパワーが感じられないのだ。

もしも彼らの言が説得力を持つとしたら、彼らの作品自身が危機にさらされている場面においてだけではないのか。例えば、ちば氏が現在、近親相姦の漫画を描いていてそれが発行禁止になるといようなシチュエーションでのみ、説得力が出るのではないだろうか。

一般的な表現の自由を守れといった言い方は、残念ながら出版社の権益(売り場)を守れという事実のすり替えにしか聴こえなかった。(それは、QBハウスを排斥しようとした理容組合の言葉と似た論理のように僕には思えた)

ちば氏や秋元氏がそういった漫画とは無縁であることは自明である。だとしたら、実際にそういった漫画を描いている誰かを連れてきて、彼に語らせるとか、そういった切実度の演出は少なくとも必要だったのではないだろうか。しかし残念ながら、あの記者会見は、そういったレベルの人が登場するような場面ではなかった。



そこが、この会見で世論を味方につけることが出来なかった最大の要因だと僕は思う。

ようするに闘い方を間違えたのである。そして負けたのである。



反権力をいうのであれば、かつての竹中労のように体を張った言葉にしか説得力は無い。

それは今も昔も同じだと思う。



まさむね

より以前の記事一覧

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