今の日本に必要なのはガガの「Born This Way」の精神である
昨日に引き続き、レディーガガについて書いてみたいと思う。
何故、彼女があんなにも魅力的なのかということについてである。
これはガガが「徹子の部屋」の中で言っていたことだが、彼女は子供の頃から、周りから見ると少し変わった娘だったらしい。
そして、それゆえに、いじめにも逢っていたという。しかし、そんなときでも、彼女の母親は彼女を支持し、無理に戦うのではなく、自分の中には特別なものがあること、自分はユニークな存在であることを信じるように教えたというのである。
そんな自分の生き方を表現したのが、「Born This Way」。 この曲の中で彼女は繰り返し、「どんな境遇に生まれたとしても、自分を信じ、その運命を生きよう」ということを訴えている。そして、それはまさに、彼女が母親から言われ続けて来たことであり、だからこそ、この歌には説得力があるのだ。
My Mama told me when I was young We are all born superstars
ママは、私が子供の頃に言った「すべての人はスーパースターとして生まれる」って
そして、彼女は、常に、「固定概念をいかに超えるか」ということをテーマにアーティストとしてのサクセスストーリーを歩み始めたのである。
しかし、彼女の存在が面白いのは個性的であろうという観念の根本にイタリアの伝統的家族主義の哲学があるということだ。ご存知、イタリアは日本と同様に、第二次世界大戦で敗れた。しかし、その敗戦を、日本のように経済的にだけ乗り越えたのではなく、哲学的にも乗り越えたのかもしれない。その証拠こそが、ガガなのだといったらちょっと言い過ぎか。
勿論、彼女の家はアメリカに移住したからこそ、逆に、よりイタリア的になろうとしたということも考えられる。日本人にしても、日本で暮らす日本人よりも、ブラジル移民の日系人のほうがより、古風で日本的だったりするからである。
そんな彼女が日本に対して、刺激的で、進歩的、しかもオープンな考えを持っているという発言をしていることは僕にとっては驚きである。おそらく、「ガガという感性」を通して見ると日本がそのように見えるのであろう。彼女が新幹線の品川駅の立ち食いソバが好物だというのはよく知られた事実である。おそらく、失礼ながら普通の日本人ならば、注目もしないような場所であるが、そのような場所に過剰な思い入れを持つことができるのも、彼女ならではのことだと思う。
「ガガという感性」を共有すれば、僕らも、日本を再発見できるのだろうか。もしかしたら、僕ら日本人もガガの母親がガガに言った言葉のように、「Born This Way」の歌詞のように、もっと自信をもって日本人らしくあればいいのかもしれない。最近、少し自信を無くしかけていた日本ではあるが、そんな僕らにガガの存在はなんと優しいのだろうか。
個性的であることと伝統的であることをハイブリッドに融合させたガガ。僕ら日本人が今、ガガに見習うところがあるとすれば、それは固定観念を打ち破るパワーであり、ユニークな存在になろうとする情熱においてである。そしてそのためには、日本人こそが、元来持っていた伝統的な真摯さと、自国自郷への愛を取り戻すことであろう。
実際のところ、子孫に日本的な生き方を伝えるようなシステムがこの国に残っているかどうかすら、自信がない状況ではあるが、まずは、戦後、ほとんどの日本人を覆ってしまってい商業主義という常識(固定観念)から抜け出すことからはじめるべきではないのかと思う。
その意味で、彼女の脱商業主義的な生き方が、僕らの明日の哲学になりうるに違いない。
他人から押し付けられた自分ではなく、自分が決めた自分であろうとすること、そのためには常に真摯であること、そして他人には優しく謙虚であるべきであること。
人生をもう一度、チャレンジしようとしている(ようするに失業中の)自分にガガの存在は、なんと優しいことか。
おそらくそれが彼女が魅力的である最大の理由である。
まさむね
参考エントリー:「レディー・ガガの親日意識の背景にある反商業主義」
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