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カテゴリー「洋楽」の3件の記事

2011年7月13日 (水)

今の日本に必要なのはガガの「Born This Way」の精神である

昨日に引き続き、レディーガガについて書いてみたいと思う。



何故、彼女があんなにも魅力的なのかということについてである。



これはガガが「徹子の部屋」の中で言っていたことだが、彼女は子供の頃から、周りから見ると少し変わった娘だったらしい。

そして、それゆえに、いじめにも逢っていたという。しかし、そんなときでも、彼女の母親は彼女を支持し、無理に戦うのではなく、自分の中には特別なものがあること、自分はユニークな存在であることを信じるように教えたというのである。



そんな自分の生き方を表現したのが、「Born This Way」。 この曲の中で彼女は繰り返し、「どんな境遇に生まれたとしても、自分を信じ、その運命を生きよう」ということを訴えている。そして、それはまさに、彼女が母親から言われ続けて来たことであり、だからこそ、この歌には説得力があるのだ。



My Mama told me when I was young We are all born superstars

ママは、私が子供の頃に言った「すべての人はスーパースターとして生まれる」って




そして、彼女は、常に、「固定概念をいかに超えるか」ということをテーマにアーティストとしてのサクセスストーリーを歩み始めたのである。

しかし、彼女の存在が面白いのは個性的であろうという観念の根本にイタリアの伝統的家族主義の哲学があるということだ。ご存知、イタリアは日本と同様に、第二次世界大戦で敗れた。しかし、その敗戦を、日本のように経済的にだけ乗り越えたのではなく、哲学的にも乗り越えたのかもしれない。その証拠こそが、ガガなのだといったらちょっと言い過ぎか。

勿論、彼女の家はアメリカに移住したからこそ、逆に、よりイタリア的になろうとしたということも考えられる。日本人にしても、日本で暮らす日本人よりも、ブラジル移民の日系人のほうがより、古風で日本的だったりするからである。







そんな彼女が日本に対して、刺激的で、進歩的、しかもオープンな考えを持っているという発言をしていることは僕にとっては驚きである。おそらく、「ガガという感性」を通して見ると日本がそのように見えるのであろう。彼女が新幹線の品川駅の立ち食いソバが好物だというのはよく知られた事実である。おそらく、失礼ながら普通の日本人ならば、注目もしないような場所であるが、そのような場所に過剰な思い入れを持つことができるのも、彼女ならではのことだと思う。

「ガガという感性」を共有すれば、僕らも、日本を再発見できるのだろうか。もしかしたら、僕ら日本人もガガの母親がガガに言った言葉のように、「Born This Way」の歌詞のように、もっと自信をもって日本人らしくあればいいのかもしれない。最近、少し自信を無くしかけていた日本ではあるが、そんな僕らにガガの存在はなんと優しいのだろうか。



個性的であることと伝統的であることをハイブリッドに融合させたガガ。僕ら日本人が今、ガガに見習うところがあるとすれば、それは固定観念を打ち破るパワーであり、ユニークな存在になろうとする情熱においてである。そしてそのためには、日本人こそが、元来持っていた伝統的な真摯さと、自国自郷への愛を取り戻すことであろう。

実際のところ、子孫に日本的な生き方を伝えるようなシステムがこの国に残っているかどうかすら、自信がない状況ではあるが、まずは、戦後、ほとんどの日本人を覆ってしまってい商業主義という常識(固定観念)から抜け出すことからはじめるべきではないのかと思う。



その意味で、彼女の脱商業主義的な生き方が、僕らの明日の哲学になりうるに違いない。



他人から押し付けられた自分ではなく、自分が決めた自分であろうとすること、そのためには常に真摯であること、そして他人には優しく謙虚であるべきであること。



人生をもう一度、チャレンジしようとしている(ようするに失業中の)自分にガガの存在は、なんと優しいことか。



おそらくそれが彼女が魅力的である最大の理由である。



まさむね



参考エントリー:「レディー・ガガの親日意識の背景にある反商業主義

2011年7月12日 (火)

レディー・ガガの親日意識の背景にある反商業主義

レディー・ガガが出演するというで久しぶりに「SMAP×SMAP」を観た。



それまでも、先日の東北大震災に対する迅速なチャリティ活動、そして、多くの外国人が日本を離れていく中で、日本のために来日してくれた、その「義侠心」に関してはニュースなどでも見知ってはいたのだが、今回の「SMAP×SMAP」の番組制作スタッフである鈴木おさむさんのブログの記事(ガガってる!!)で、異常とも言えるような彼女の他人に対する優しさ、仕事に対する真摯さに関する記事を読むにつれ、実際にどんな娘なのだろうと思わずチャンネルを合わせてみたのである。



まず僕が印象を持ったのは彼女の好奇心の強さ、そして優しさである。勿論、カメラが回っているところの顔しか僕らは観れないわけであるが、その範囲でも、それらはうかがい知ることが出来た。

おそらく、彼女にとっては珍奇であったかもしれない日本料理や、調理器具、そして製法に対して、目を輝かして吸収しようとしている姿は只者ではない。

しかも、口先だけの親日家でない証拠に、すき焼きの後にうどんを入れて食べるのが好きだとか、ワサビ、小豆が好きだとか、そして何よりも、その箸の使い方はに本物の「日本通」を感じさせた。

さらに深読みすれば、日本文化史の中においてときおり噴出する「ばさら」や「かぶき者」、あるいは「花魁文化」といった突出への欲望は、いずれかのレイヤーでガガのファッションセンスに影響を与えているのかもしれないとすら思う(思いたい)。具体的に、ガガ独特の花魁ぽっくり風のサンダルは日本のデザイナー舘鼻則孝氏とのコラボだそうである。

勿論、彼女が使用する箸にちゃんとLADYGAGAというネームを入れておくスタッフの細かい心配りも素晴らしい。普段、民放のバラエティ番組に、チャンネルを合わせることがなくなって久しいが、こういうところ細かい気の遣い方は、「さすが!GJ」と言わざるを得ない。



さて、次に僕が感じたのが、ガガの生き方の根本にイタリア系移民の職業倫理の高さあるという意外な事実。「家族のために一生懸命働く」という言い方は、後でYOUTUBEで観た「徹子の部屋」の中でも言っていたので本当に事なのだろう。

奇抜なファッションやパフォーマンスといった外見と、伝統的な職業倫理という内面のアンバランスこそが、彼女の卓越した個性を生み出しているのかもしれないと思った。



おそらく、彼女は、自分が個性的であろうとするということに関しては、おそらく人一倍の欲望を持っているに違いない。それは、彼女が「SMAP×SMAP」「徹子の部屋」という両番組でともに「底辺から這い上がった」という成功物語を繰り返すところにも感じられた。



そして、彼女の成功の秘訣は、常に真摯に自分らしくあろうとする、彼女一流の緊張感にあるに違いないのだ。

多くの外国人タレントが、フレンドリーをアピールする際に、同時に発してしまう日本人の質問者に対する「そんなつまらない事は聞かないで」的なオーラが彼女には感じられないのである。

実は、僕が「優しさ」という言葉で彼女を評したかったのはそんな「傲慢なスターオーラの消し方」においてである。



それは、もしかしたら、先に述べた他者に対する旺盛な好奇心が生み出す意欲、あるいは、子供の頃から培われた伝統的職業倫理に由来するものなのかもしれないが、同時に何事に対しても「過剰」に関わる(あるいは、関わってしまう)彼女の個性の本質にあるようにも、僕には思えた。



例えば、今回の「SMAP×SMAP」ではリハーサルを含めて12時間もの時間を費やしたというし、Wikiによると、こんなことも書かれている。

数々のメディアでガガが稼いでいることが報道されているが、ツアーやPV、衣装、義捐金代を除くと実は大赤字だということをガガは自ら暴露している。


つまり、彼女にとっては、お金を儲けること以上に、お客さんに最高のパフォーマンスを見せること、最高のものをクリエイトすること、そして何よりも、彼女自身が「ガガ」であることに価値を置いているのである。そして、それは意図的という以上に、彼女をそうせざるを得ないように堰きたてる何かがあるに違いないのだ。



もしも、商業主義(的合理主義)の根本原理が、より少ない仕入れで、より多くの利潤を得ることだとすると、逆説的だが、彼女ほど、商業的に成功したにもかかわらず、反商業的なアーティストはいないとすら言えるのかもしれない。



また、その商業主義と対極にある過剰なアマチュアリズムこそ、日本職人的伝統工芸の、そして実はオタク文化の本質であるとすれば、彼女の親日意識を解く鍵はこのあたりにもあるのかもしれない...と僕は思った次第です。



まさむね

2010年11月16日 (火)

アニメ『GIANT KILLING』のオープニングテーマを歌うTHE CHERRY COKE$に胸が熱くなった

土曜の夕方、娘たちがテレビの前に集まる。
NHK教育テレビにチャンネルを合わせる。学習番組ではなく、アニメが始まるのを期待して。
近年教育テレビが持ってくるアニメはすごい。『電脳コイル』とか『メジャー』とか。
さて6時になった、『バクマン。』が始まる。少年ジャンプに連載中の、若い漫画家コンビが一流の漫画家を目指すマンガのアニメだ。ものすごく面白い。
舞台となる地名、埼玉県谷草市ってのもまた親近感が沸く。
谷草って草加? 越谷? ちなみに僕は草加市民。
北谷草という駅名からして、どうも北越谷駅を擁する越谷市がモデルらしいというのが娘たちの見解。ちなみに僕の実家は越谷市。

で、その『バクマン。』が終わったら続いて、『GIANT KILLING』(ジャイアントキリング)が始まってしまうのが、NHK教育のすごさ。『GIANT KILLING』はマンガ雑誌『モーニング』で連載しているサッカーマンガ。Jリーグの弱小チームが主人公。
就任したばかりの若い監督や、ベテラン選手や若い選手やチームのフロントや、おっさんサポーターや過激なサポーターたちがぶつかり合う。
この秋から地上波で放映開始されて見始めたのだが、BSでは春からやっていたらしい。
オープニングテーマソングがいいんだ!
バグパイプ(かな?)とティンホイッスルの哀愁のある音色から始まる。アイルランド民謡みたいなやつ。

が、いきなりテンポチェンジして、高速裏打ちパンクになる。ボーカルがまただみ声ときた。
高速裏打ちパンクなのに、アコーディオンやティンホイッスルも入ってくる。哀愁と叫びのミクスチャー。ぐっとくる。胸が熱くなる。
字幕によるとTHE CHERRY COKE$というバンドの「My story 〜まだ見ぬ明日へ〜」という曲だ。
「THE CHERRY COKE$」か。そのバンド名、しっかり記憶した。あとで調べよう。

アイルランド民謡とパンクのミクスチャーって、じつにサッカーっぽいと思った。

子供からお年寄りまで、さらには過激化したサポーターまで、一丸となった応援する姿。パトリオティズム(愛国心、愛郷心)が発露する姿。

THE CHERRY COKE$の音を聞いて、若いときに聞いて好きになったバンドを思い出した。ザ・ポーグス

調べたら、アイリッシュ・パンクというジャンルがあった。ザ・ポーグスに始まり、THE CHERRY COKE$に続くジャンル。PADDY BEATという言い方もあるらしい。

伝統と過激さを兼ね備えた音楽って、一見矛盾するように感じるが、伝統の芳醇な情緒が利用されることによって、ロックの歌により強い力が加えられているんだと思う。

それと、磐石な土台の上で跳ねっ返りが少々暴れてもびくともしないほど、その音楽共同体の包容力が大きいんだろうなとも思う。

青森のねぶたの雄大なリズムの上で跳ね返っている「はねと」の姿を連想した。

じつに
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