無料ブログはココログ

カテゴリー「源氏物語 古典文学」の13件の記事

2011年5月 5日 (木)

人魚の魔女になったSAYAKAの武器はなぜ、車輪なのか

「マイマイ新子と千年の魔法」は二つの時間軸がパラレルに進行するアニメである。

ひとつは昭和30年、そしてもう一つが約1000年前の平安時代だ。

場所は山口県の防府市国衙。平安時代、この地は周防国と言われていた。そこに中央から国司として赴任してきたのが、清原元輔という中流貴族であり、その娘が後の清少納言である。

彼らは別格の威容(服装、香り、従者達)で土地の人々を圧倒する。それらの外見は土地の人を支配するには十分なギミックだったに違いない。

そして中央貴族の最大の象徴だったのが、牛車、そして車輪であった。庶民は荘厳な牛車が通ると、それだけで自分たちとは違う貴人の空気を感じていたのである。

「マイマイ新子と千年の魔法」の中でも、千年前の少女・諾子(少女時代の清少納言)がその牛車を花で飾り、市場の目抜き通りを通るシーンが出てくるが、そこでも多くの庶民はその牛車に驚愕し、その神々しさに思わず微笑むのである。(左画像がそのシーン)



さて、一方で家紋として残されている車輪はいわゆる源氏車と言われている。藤原秀郷を祖とする佐藤氏の代表紋だ。たとえば、戦後の代表的な首相の一人である佐藤栄作、江戸時代の経済学者・佐藤信淵、新撰組の後援者・佐藤彦五郎等がこの紋を持っている(右画像が佐藤栄作の六本骨源氏車紋)。その他、車紋の著名人はコチラ

おそらく、国衙の役人として任官してきた中央の貴族が土地の人々に対してその貴さをアピールするため、藤原氏の流れを汲む「佐藤」という名字を名乗り、家紋を、源氏車にしたのであろう。あるいは、土地の豪族が藤原氏を自称することによって、土地の支配を正当化した例もたくさんあったに違いない。

ちなみに、名字には音読みの名字と訓読みの名字があるが、佐藤、工藤、後藤、斉藤、近藤等の音読みの名前には藤原系の名前が圧倒的に多い。

これは僕の想像であるが、音読み=大陸系ということで、当時は、それらの名字はモダン=高貴=先進に感じられたのではないだろうか。例は悪いかもしれないが、今で言うならば、テリー伊藤とか、ジャッキー佐藤とか、ターザン後藤とか...違うか。



さて、源氏車紋が上記のように、庶民に対しては、高貴さの象徴という面があったのであるが、僕はその反面に、地方の貴族達が護符としてこの紋を付けていたのではないかと考えている。

「源氏物語」を読まれた方ならば誰でも、源氏車といえば思い出すシーンがある。それは、車争いのシーンである。

簡単に描写するとこうだ。

光源氏の愛人の六条御息所は賀茂の新斎院の御禊に牛車で見物に出かけ、そこで正妻の葵上(左大臣家出身)の牛車と鉢合わせになるが、時の勢いがそのまま二つの牛車の勝ち負けに反映してしまう。御息所の車は隅に追いやられてしまい、公衆の面前におおいに恥をかかされてしまうのであった。

この六条御息所はかつては東宮妃として、次代の皇后が約束された地位にあったのだが、東宮が死んでしまい、運命が閉ざされてしまう。そして、身も心も源氏に奪われていくのであるが、しょせん、彼女は愛人の一人である。悶々とした毎日を送らざるを得なかった。

そして、そんなタイミングで起きたのがこの車争いでの敗北である。しかし、もともと高貴な御息所は自分の気持ちをあくまで抑えようとする。しかし、抑えようとすればするほど、嫉妬の気持ちが湧き上がり、ついに生霊となって、葵上を呪い殺してしまうのである。

寝ている間に、幽体離脱した自らの嫉妬が生霊となって、ライバルに憑り付いてしまっているという事を自らの体に染み付いた芥子の香りで気が付くのである。

ちなみに、芥子は、病魔退散のために、密教の護摩で焚かれるものである。



そして、その生霊は、今際の際の葵上の口からこんな歌を絞り出させる。

なげきわび 空に乱るるわが魂を 結びとどめよ したがひのつま

(嫉妬に狂って、幽体離脱してしまう私の魂を、体から抜け出さないように、しっかりとどめておいてくれ、私の下着の褄よ...)


それにしても、生霊になり、相手に憑り付いているくせに、あくまでも自制している姿勢を見せようとし続ける、平安貴族のプライドの高さはなんということか。

普通だったら、生霊は、化け物となって相手に襲い掛かろうというものであるが、さすが、気高い六条御息所である。



しかし、この六条御息所の怨念は一つの伝説を生んだ。さらに、中空をさまよう彼女の怨念が、その牛車に憑りつき、「朧車」という妖怪までをも生み出したというのである(左は水木しげる先生が描いた朧車)。源氏物語を当然の教養としていた当時の貴族達や武家にとって、源氏車とは、ただの美しい車輪ではなかった。僕は、彼らは、源氏車の図柄、そしてその言葉の響きに六条御息所の怨念を見たに違いないと思うのである。

そして、怨霊→供養→御霊化という日本人特有の神道によって源氏車は護符として、連綿と身に付けられたのではないだろうか。



さて、源氏車に嫉妬の怨霊が込められているという観念。僕は最近、この観念の復活を思わぬところで発見してしまった。



それが、「魔法少女 まどか☆マギカ」のSAYAKAが変身した人魚の魔女のシーンなのである。これは全く根拠の無い話ではない。実は、このアニメは、他の箇所でも、細かいところで古今東西の文化遺産のカケラが顔を出すからである。たとえば、第6話には、MADOKAが見るPCの画面にマザーグースの歌詞が出てきていたり(左画像)、第10話のHOMURAが歩く舗道が、彼女が魔女の結界に入ってしまった瞬間にいつの間にかピカソのゲルニカ調の絵になっていたり(右画像)するからである。



ご覧になった方には今更説明する必要もないが、SAYAKAは、幼馴染の恭介の手の怪我を治して、再度、バイオリンが弾けるようにしてもらうことと引き換えにインキュベーターのキュうべいと契約して魔法少女になるわけであるが、それは同時に、人間としての肉体を失うということを意味していた。つまり、彼女は魔法少女になった時点で男性に愛されるということを放棄せざるを得ない状態になっていたということなのである。

しかも、同時に親友の仁美が恭介に告白したいとSAYAKAに告げる。しかし、自分が恭介の愛を得るためではなく、あくまでも恭介自身のために契約をしたのだと自分自身を説得したいSAYAKAは自分の本心と建前の間で煩悶する。そして、いつの間にか、抑圧していた嫉妬のエネルギーがソウルジェムを穢して、魔女になってしまうのである。

嫉妬というものは、恐ろしい。六条御息所が苦しんだように、その気持ちは、倫理的、あるいは意識的には抑圧できたとしても、無意識において怨霊=生霊となって、空中にさまよい出てしまうものなのである。

SAYAKAの場合もそうだ。押し殺そうとするその想いは、他者のために生きようと、魔女(遣い魔)と闘い続ければ続けるほど、逆に無意識の嫉妬が彼女を追い詰めるのだ。

そして臨界点を超えたところで彼女は魔女となってしまい、もうMADOKAやKYOKOの声の届かない存在になってしまうのである。



そして、そんな魔女となった元SAYAKAの武器が車輪なのである。その車輪は、交響楽をBGMにKYOKOに襲いかかる。もちろん、この魔女の交響楽は、SAYAKAの天才バイオリニスト・恭介に対する愛の裏返しなのである。

また、SAYAKAが人魚の魔女になることの背景には、「声を失ったために、自分が王子を救ったということを結局伝えることができずに、自殺してしまう」アンデルセンの人魚姫の童話があることは疑いの余地のないところであろう。そして、ここの場面は、このアニメでもっとも切ない魔女と魔法少女との戦いのシーンであるが、ここに車輪が登場する背景に、六条御息所の怨念が乗り移った車輪、そしてその怨霊が御霊のままでいてほしいとの願いを込めて、人々を守る家紋となった源氏車紋の影に隠れた物語を想像させるのだ、本当に、ニクい演出である。



まさむね



魔法少女 まどか☆マギカ関連エントリー



魔女になったSAYAKAの武器はなぜ、車輪なのか

「魔法少女 まどか☆マギカ」における虚しい承認欲求の果てに見た悟り

「魔法少女 まどか☆マギカ」は史上最大級の災いがもたらされた現在だからこそ、残酷に心に突き刺さるのかもしれない。

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

2010年9月 9日 (木)

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

今日は久しぶりに涼しかった。

もう、秋かと思わせるような天気だった。



秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる



「古今和歌集」の藤原敏行朝臣の歌である。訳すまでもないだろう。今日のような日は、1000年以上も前に創られたこんな歌が口をついて出てくる。おそらく日本人ならば誰でも理解できる感覚だと思う。



ちなみに、この藤原敏行(朝臣)は、藤原(朝臣)敏行ではないということで、比較的位の低い公家だったことがわかる。井沢元彦的に言えば、この藤原敏行朝臣のように「三十六歌仙」というようなところに選ばれるような人は、どこか不遇だったのかもしれない。彼の不遇な人生がそこはかとなく、この歌から感じとれないだろうか。



さて、話を戻す。こんな日だから敢えて言っておきたい。

日本の伝統というのはこういった歌に対する感性の連続性にあるのであって、明治維新以降ににわかに出来上がった偏狭なナショナリズムイデオロギーとは一線を画するものであると僕は思う。

さらにいえば、小学生に英語やコンピュータ、それに金融の初歩を学ばせようなどという目先のソロバン勘定よりも、こういった歌を一つでも多く、覚えさせたほうがよっぽど深い人生を生きられるのではないだろうか。

ただし、そのことを理解するのには、このような歌を30年間位、体の中で眠らせて醸造させなければならないのだ。



僕は個人的には、中学、高校と古典というのが全く苦手だった。むしろ、苦痛だった。なんで、こんなものを学ばされるのかとすら思った。だからこそ、今、後悔して、こんなことを言っているのである。



まさむね

2009年10月12日 (月)

「古事記」の山幸と海幸の場面を改めて読み直して考えた

三連休ということで、久しぶりに「古事記」を手に取った。

あの坂本龍一は「時間がある時は柳田国男の全集を読む」というようなことをどこかで言っていたが、僕の場合、「古事記」が、たまに帰ってくる「場所」のようなものだ。



特に神武天皇が生まれるまでの「上巻」(「古事記物語」現代教養文庫)が好きだ。というより、ほとんどいつも上巻しか読まないと言ったほうがいいかもしれない。特に理由があるわけではないが、だいたいこのあたりで飽きてしまうからである。「源氏物語」でも"須磨帰り"と言って、源氏が須磨に流されるあたりでいつも読むのを止めてしまう人がいるらしいが、だいたい似たようなものである。



今回、この「古事記」(上巻)を読んでみて気になったのが海幸彦と山幸彦の話だ。簡単に言えばこんな話だ。



ににぎの命と木花咲耶姫との間に、長男・海幸と次男と三男・山幸という三人兄弟がいた。長兄・海幸は海で漁を、末弟・山幸は山で猟をするのを生業としていたが、ある時、山幸が海幸に対して、道具を交換して、それぞれの猟(漁)をしてみようと誘う。兄・海幸はあまり気が進まなかったがとりあえず、言うことをきく。

しかし、結果は悲惨、山幸は海幸の釣り針を失くしてしまう。山幸は、なんとか別の針でもって償おうとするが、海幸はなんとしてでも返せと迫る。

困った山幸は、塩椎爺からの助言通り、海神のところへ行く。山幸は、そこで海神の娘・豊玉姫と結ばれる。そして、海神に自分が何故ここに来たのかを伝える。海神は、海中の魚を集めて、山幸の失くした釣り針を探すように言う。すると鯛の口にその釣り針が刺さっているのを見つけ、無事、山幸はその釣り針を手に入れる。

そして、海神は、山幸にその針を返す時に、「後ろ向きで『この釣り針は、ぼんやりする針、落ち着かない針、貧しくなる針、愚かになる針』といいながら、この針を渡せ」と言う。そして、針と一緒に、海の潮の満干を自由に操れる玉をに渡す。



山幸は、海神の言った通りにして海幸の元に帰って釣り針を返す。

その後、海幸はどんどん貧しくなり、遂には、山幸に攻めてくるが、山幸は海神にもらった玉を使って、海幸を溺れさせ、平伏させる。

後に、山幸は天皇家の先祖となり、海幸は隼人の先祖となるのだが、皇室の儀式の時の隼人の舞いは、海幸が溺れるときの仕草が取り入れられている。




全体を通して読めば、「他人には寛容であれ」という道徳譚として読める。確かに、子供の頃に読んだ絵本は、そういった文脈で書かれていたように記憶している。しかし、元々、嫌がる兄を無理やり説得して弓矢と釣り針を交換したのは弟・山幸のほうだ。そしてその針をなくしたのだから、それなりの咎を受けるのは当たり前だ。

それなのに、逆に兄を不幸に陥れる。元祖逆ギレ状態ではないのか。



それはともかく、古事記の登場人物たちは、周囲から助けられる存在として描かれることが多いということにも気づく。

大国主命は、兄達に殺されるが母親の祈りで生き返るし、ヤマトタケルは妻の力で海を渡ることが出来る。そして、この山幸も、義父に助けられるのだ。

敢えてこのように読んでみると、日本神話の大きな主題は「周囲に恵まれることが以下に大事なことか」なのかもしれない。



ただ今回、この山幸、海幸の部分を読んで気になったのは、いくつかのディテイルである。



例えば、海幸と山幸は実は三人兄弟だったということ。一体、二番目の兄はどこへいってしまったのだろうか。僕は逆にこういった、ある意味無駄な設定にリアリティを感じてしまうのだ。

古事記が、最初から物語として創作した話だとすれば、二番目の兄の存在を記す必要などなかったはずだからだ。



また、海神が山幸に対して、後ろ向きに呪文を唱えろというアドバイスをするところ。これは相手からの怨念を受けないための姿勢なのであろう。よく、ドラマなどで上司が部下に対して、「君はクビだ」的な辛い言葉を投げかける時に後ろ向きに伝える場面があるが、その神話学的な起源がここにあるような気がするのである。



そして、最後に、海幸の子孫の隼人が天皇家の前で披露する隼人舞い。被征服民が支配者の前で踊りを披露して、その忠誠を示すということなのだろう。それは、負け犬が勝ち犬に対して「腹を見せる」のと同様な服属儀式だ。

僕が何故か思い出すのが、小泉純一郎が、ブッシュ大統領の前でプレスリーの真似をして踊ったあのシーン。



今さらながら、神話学的にもっと糾弾されてしかるべき場面だったのかもしれないと思った。



まさむね

2008年11月21日 (金)

「源氏物語千年紀 Genji」は3つの困難を克服出来るか

源氏物語関連での最近のニュース(11/12)にこんなのがあった。



フジテレビで09年1月から木曜深夜のアニメ枠「ノイタミナ」で放送予定だった、「源氏物語」の世界を描くテレビアニメ「あさきゆめみし」のアニメ化が中止となり、「源氏物語」を原作としたオリジナル作品「源氏物語千年紀 Genji」を制作することに変更されたというのだ。



僕は、アニメの源氏物語というのは、今まで見た事がないが、映像化された源氏物語にいつも幻滅を感じさせられてきた。

例えば、2000年に公開された『千年の恋 ひかる源氏物語』(主演:吉永小百合、天海祐希)は鳴り物入りでの登場だったが、残念な結果だった。



僕が思うに、源氏物語を映像化する際に問題となる点は以下の3点だ。



1)オカルトシーン(葵上が六条御息所の生霊に殺されるシーン等)の処理が難しい

2)数々の姫の元に通い続ける光源氏の身勝手さに感情移入させるのが難しい

3)光源氏が紫君を誘拐したり、夕顔が腹上死したりするシーン等の唐突さの処理が難しい



しかし、一方で、源氏物語を将来的にも渡って人々の心に残していくには、秀逸な映像化源氏、アニメ化源氏の誕生が不可欠だと思う。

特に、今後、日本に多くの外国人が移住してきた際、彼らに、日本文化の源泉を理解させるという意味でも、これは、重要な文化的事業ではないだろうか。



今回の企画には、是非、以上3点を克服した新しい源氏の世界を見せてほしいものである。



まさむね

2008年11月20日 (木)

(R&B)+平安文学=EXILE

CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。

このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。

おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。



でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。

さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。

わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。



例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。



ただ逢いたくて…もう逢えなくて

くちびる噛みしめて泣いてた。

今逢いたくて…忘れられないまま

過ごした時間だけがまた一人にさせる




そして、昨年のヒット曲「I believe」。



君のもとへ飛んで行きたい

いつもそばで感じていたい

瞳閉じて君を映し出す

今だけは寄り添って 君だけを感じたい

繋いだその手を 離さないように

君がいる季節は 何よりも輝いて

優しく包んでくれるから




さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。



日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ

帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから

どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?

この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください




これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。

相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。



例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。



ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ

(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)



また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。



嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る

(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)



ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。

EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。



だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。

パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。



まさむね

我々は源氏を次世代に伝える義務がある ~『源氏物語ものがたり』書評~

たとえ政治・経済・法制度が一変し、一夫多妻の結婚形態が消滅したとしても、永遠にかわらないものがある。

いや、それぞれの時代の人々の心に合わせて変り続けることで、不死の生命を獲得し続けたものがある。

それが日本人にとっての源氏物語だった。

-「源氏物語ものがたり (新潮新書 284)」島内景二 P54-




伝統を守るということは本当に大変な事である。この本を読むと、その事がよくわかる。



藤原定家、四辻喜成、一条兼良、宗祇、三条西実隆、細川幽斎、北村季吟、本居宣長、アーサーウェリー。



この本で紹介された面々、まるで駅伝のタスキをつなぐかのごとく、連綿と歴史の荒波から源氏物語を守ってきた。

さらに、それだけじゃなく、それぞれが生きた時代の新しい感性でもって、都度、源氏物語を再生させてきたのである。



例えば、室町時代に連歌師として一斉を風靡した宗祇は、当時、最もイケてるコンセプト、"幽玄"をもってして、作品に込められた登場人物の心を深く思いやる鑑賞方法を、次の三条西実隆に伝授したという。



しかし、それは決して、彼らだけの偉業ではない。

彼らに源氏物語を守るような立場を与え続けた、その他の多くの日本人の気遣いがあったことも忘れてはならない。



それらの人々とは、時の天皇は勿論だが、時代によっては、武家であり町人であった。



例えば、"源氏物語を守るための運命のタスキ"を受けていた一人、細川幽斎。

彼は文化人とは別に、戦国武将としての一面も持っていた。



幽斎は、関が原の戦いに東軍の一武将として参戦していたが、西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったのだ。

しかし、その時、後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救おうとした。というか、源氏物語を初めとする古典文学を守ろうとしたのだ。



戦とは、生きるか死ぬかのギリギリの状況下で行われる。

しかし、その勅使が来た時に、西軍の武将・前田茂勝は、あっさりと城の包囲を解いた。

天皇からの勅命だったという事もあるが、茂勝自身が、源氏物語の文化的価値を前に、幽斎に、屈したのである。

そらに、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。



さて、今後、この"源氏物語を守るための運命のタスキ"はどのように引き継がれていくのであろうか。

グローバリズムやコスモポリタニズムの美名のもと、今後、日本人のアイデンティティを危うくするような危機が何度も襲ってくるに違いない。



「どうして、学校で、源氏物語なんかやる必要があるの?その分、英語や中国語を勉強させろよ」っていう勢力が増えてくる時代が必ず来る。

その時、源氏物語を誰がどうやって守るのか、あるいは、守る必要があるのかという国民的コンセンサスの確立は急務だ。



それは、ある意味、憲法改正や、核保有よりも大事な防衛政策かもしれない。



まさむね

2008年11月 1日 (土)

「源氏物語」誕生 1000周年に寄せて

若紫.gif本日(2008年11月1日)は、「源氏物語」の事が「紫式部日記」に記載されてからちょうど1000年目にあたる。



その記載は以下のような文章だ。括弧内は私の意訳。



左衛門の督「あなかしこ。このわたりに若紫や候ふ」と窺ひ給ふ。源氏にかかるべき人も見え給はぬに、かの上はまいてものし給はむと、聞きいたり。

(藤原公任が、「このあたりに、若紫はいらっしゃいますか。」と、冗談口調で、聞いてくる。「光源氏に似た人すらいないんだから、紫の上がいるわけないじゃん。」と内心思いながら、受け流した。)

※画像は光源氏が最初に若紫を見た場面。



まぁ、現代で言えば、部長のオヤジギャクを軽くスルーするOLの気持ちに通じる日常の一場面だけど、この歴史的な一行のおかげで「源氏物語」の作者が紫式部だって事が確定されたんだよね。

紫式部がこの1行を書いたのが、今からちょうど1000年前なのか。



これを機会に、「源氏物語」について書いてみたい。



「源氏物語」っていうのは一般的に、光源氏という貴公子と、その周りをとりまく女性達の恋物語だって言われているけど、それだけじゃない。いろんな見方が出来るんだよね。



■政治小説として



天皇の子とはいえ、母親の身分が低かったため、臣籍降下した光源氏が、当時、権勢を誇った右大臣家との権力闘争に勝ち、太上天皇(天皇の父)にまで上りつめる(その後もいろいろとあるんだけど)話という解釈も出来る。

その政争のために、いろんな女性との恋愛があるっていう見方だ。

例えば、右大臣家が次期天皇の正妻にと手塩にかけて育てた朧月夜に手をつける光源氏。ライバル家に大きなダメージを与える。しかし、自分も無傷ではない。それがバレて、自分は須磨・明石に流れていく事になるのだ。



■ドキュメンタリとして



政治ドラマはさらに、現実世界で起きた様々な事件のパロディになっている。つまり、「源氏物語」は半ドキュメンタリだったという見方も出来る。

例えば、在原業平、源融、源高明等、光源氏のモデルとされるような歴史上人物は沢山いる。当時、暇だった宮中の女官達は当然、それらの人々の噂事は熟知している。

彼女達は「源氏物語」を読みながら、光源氏とそれらの歴史上の人々を比べて、事の真相をさらに深く想像したことだろうね。



■仏教小説として



また、ある意味、不遇な生立ちの光源氏が政争に打ち勝って、一時は栄華を極めるも、最終的には寂しく死んでいくというドラマは、諸行無常の小説化という意味で仏教小説なのである。

さらに、「源氏物語」では、俗世では様々な悩みを抱える女性達(藤壺、六条御息所。女三宮等)が、出家する事によって精神的に自立していく(瀬戸内寂聴さんもこういう事言っています)が、女性と出家というテーマを扱っているという意味でも仏教小説と言いうるかも知れない。



■怪奇小説として



「源氏物語」が怪奇小説の側面を持っているというのもよく指摘される。

言うまでも無く、光源氏より年上で高貴な六条御息所は、彼に段々と相手にされなくなると、無意識的にではあるが、自らの嫉妬心を物の怪として飛ばし、夕顔や葵の上を死に至らしめる。

その力を恐れた光源氏は、その後も六条御息所の荒ぶる生霊を静めようと様々に気を使うが、上手くいかず、彼女は死後も紫の上や女三宮に取り付く。

ある意味、「源氏物語」は、光源氏VS六条御息所のサイキックバトル物語なのだ。



■怨霊鎮魂の書として



作家の井沢元彦さんは、「源氏物語」を、藤原道長が紫式部に、藤原家との政争に敗れた一族の鎮魂のために書かせたのではないかという説を提唱されている。

紫式部のパトロンであった道長が自分の氏・藤原が負けて、ライバル氏・源氏が栄華を極める物語を普通に書かせたのは、現実世界の敗者である源氏を物語の世界で勝者として表現させることによって、源氏(源融や源高明等)の怨霊を鎮魂させようとしたのではないかという事なのだ。

この説は学会とかでは無視されているらしいけど、今後、専門家の人の検証も交えて、深めて行ってもらいたい魅力的な説だと思う。



■教養小説として



さらに「源氏物語」は、歴史を経て、江戸時代頃には、上流階級の子女の教養小説という面も出てくる。

彼女達は、第23帖の「初音」から読み始めたという。

この帖は、正月のうららかな日の中で、紫上の元に預けられた明石の姫君の所に、実母の明石の御方から和歌が贈られるシーンから始まるが、”子を想う母の愛情”を子女に教える恰好の場面なのである。

でもこんな中途半端なところから読むっていうのも、ちょっと変だよね。



■文化の題材として



日本の文学史どころか、文化史に燦然と輝く「源氏物語」は、小説として楽しまれるだけではなく、和歌、能、工芸作品、浮世絵、香道等の日本文化のネタ本みたいな使われ方もされたんだ。

例えば、能の中では、世阿弥の傑作「葵上」を始めとして「野宮」「玉蔓」「夕顔」等の作品が残されている。

さて、日本人の心の中には、「ますらおぶり」=男らしさと「たおやめぶり」=女らしさという二つの概念があって、それがせめぎあう事で歴史が進んでいくという話がある。

「ますらおぶり」の概念が前面で出てくるとき、ようするに戦争の時なんだけど、逆に、人々は「たおやめぶり」を求めたりする。

そして、この「たおやめぶり」の象徴が「源氏物語」だったんだね(本居宣長)。

例えば、鎌倉時代に元が攻めてきた時、貴族達は争って「源氏物語」を読んだという記録もあるし、第二次世界大戦後、源氏ブームが起きているんだ。

また、これは、僕が好きなエピソードなんだけど、関が原の戦いの最中、東軍に細川幽斎という武将がいたんだけど、彼は古典文学に明るく、”古今伝授”を受け、さらに「源氏物語」の研究家でもあった。

その幽斎が西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったんだ。

しかし、その時、時の後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救ったという。

僕はその勅使が来た時に、城の包囲を解いた武将(前田茂勝)が偉いと思う。日本人は、生死を賭けた戦の時でも、いや逆に、そういう時にこそ、「たおやめぶり」に憧れる心がムクムク出てくるんだろうね。

勿論、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。



■アバンギャルドとして



また、「源氏物語」は20世紀芸術の大きな流れコンセプチュアルアートの先駆けという見方も出来る。

20世紀を代表する芸術家に、マルセル・デュシャンやジョン・ケージがいるけど、彼らは芸術が芸術として成り立つ、その制度自体を疑った人々なんだ。

例えば、ケージは、「4分33秒」というピアノ作品で、全く何も演奏しないというコンサートを行った。

ようするに、「ピアノコンサートでは、聴衆の前でピアノを弾く事によって何かを表現するものだ。」という”当たり前”の欺瞞性を暴くと同時に、鳥のさえずりとか人の息音とか、あらゆるものが聴者の心次第では素晴らしい音楽になるということを表現しようしたんだ。

これを文学に持ってくるならば、何も書かない事によって、書くという表現以上のものを表現しようとする態度という事になるよね。

「源氏物語」第41帖の「雲隠」は、光源氏が亡くなる所の帖であるが、それが巻名だけで中身が無い。

何故、その帖の中身が無いのかに関しては、いろんな説が歩けど、僕は、紫式部は書かなかったんだと思ってる。

紫式部は、源氏の死という最も悲劇的な場面を読者達の心にゆだねたんだね。

これって極めて現代芸術的だと思わない?



いずれにしても、1000年も前に、こんなこと考えた紫式部ってやっぱり天才だと思う。



まさむね



2008年7月27日 (日)

源氏物語を世界遺産に

oosawa.gif先日、源氏物語の写本が見つかった。



これは、藤原定家がまとめた「青表紙本」とは別の系統の写本も含まれており、大沢という人物が豊臣秀吉から拝領したもので「大沢本」(写真)と呼ばれている。

今回、この写本の発見が重要と思われるのは、現在、流布している写本とは異なる記述の箇所がある事。今後の研究が楽しみだ。



さて、この源氏物語、今から約1000年前に書かれた奇跡の文学である。現代にいたるまで、多くの研究者がこぞって、研究しているが未だに定説が存在しない、その奥深さは尋常ではないのだ。



一般的にこの物語は光源氏という色男の恋の話として通っているが、見方を180度替えると、それは、源氏と右大臣家と左大臣家、三つ巴の政治闘争の話だ。

例えば、光源氏の朧月夜(右大臣家系)への誘惑は、右大臣家に対する挑戦に他ならないし、左大臣家に対する秘密兵器は、源氏が密かに後見していた玉鬘(左大臣家系)である。

一方、朱雀院(右大臣家系)は、出家を機会に娘の女三宮を光源氏に降嫁させるが、この女三宮は源氏と紫の上との関係に微妙なヒビを入れ、しかも、柏木(左大臣家系)との間に不義の子をもうけてしまう。源氏、晩年の暗転の物語は、女三宮の降嫁から始まるのである。

これは、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった源氏に対する右大臣家と左大臣家が連携した周到な復讐という見方も出来る。



勿論、上記は僕のオタク的な勝手な解釈であるが、そういった解釈の幅を許す豊かな物語。



日本が誇る文化的世界遺産を一つ上げろと言われれば、建物でも彫刻でもなくこの文学かもしれない。



まさむね

2008年7月 3日 (木)

光源氏は何故、光なのか

光源氏.gif天皇の皇統が変るときに、その漢風諡号(おくりな)に「光」がつく事が知られている。



天武系の皇統が称徳天皇で途絶えた時、天智系から即位した天皇は、光仁天皇との諡号がおくられた。

また、陽成天皇が廃された後、2代前の文徳天皇の弟、が即位。光孝天皇との諡号がおくられている。



興味深いのは、それぞれの「光」天皇の前の天皇(系統が途絶えた天皇)は2人とも歴史的な評価が極めて良くない。

例えば、称徳天皇は、道鏡という怪僧にイカれて、皇位を譲ろうとしたとか、陽成天皇は、三種の神器の一つの勾玉を覗こうとした、宮中で殴殺事件を起した等という薄暗い噂によって、不徳の天皇のレッテルを貼られているのである。

ちなみに、江戸時代の後陽成天皇は、その子の後水尾天皇との仲が悪かったが、後水尾天皇は、父帝を貶めるために、敢えてこの追号を選んだと言われている。



さて、「源氏物語」が紫式部によって書かれ、宮廷で大ブームを起していた時代、この書物は、正史には絶対書けない宮廷秘話が物語の形態を借りて表現されているというのは、公家の間では暗黙の常識となっていた。



同様に上記の「光」が、別系統の天皇名につけられるという事も常識だったはずだ。



それを考え合わせると「源氏物語」の主人公が、「光」の君と呼ばれたという事は、この物語の展開を暗示する伏線となっているということも分かる人には分かったのではないか。

その通り、物語の中では、桐壺帝の後を継いだ長男の朱雀帝の後、朱雀帝とは別系統の光源氏の子が冷泉帝として皇位につくのであった。



源氏物語の奥深さはこういった素人の邪推をもゆるす懐の深さにもあるのではないかと思う。



まさむね

2008年7月 1日 (火)

源氏物語は奇跡だ。

源氏物語.gif言うまでもないが、源氏物語は今から1000年も前の平安中期に書かれた長編物語である。



桐壺帝の子・光源氏とその後妻・藤壺とのスキャンダル

光源氏と姫君達との恋バナ

六条御息所の怨霊が巻き起こす怪奇

源氏と右大臣家との権力闘争

王朝の雅な描写

物語の底に流れる仏教観

前衛芸術(本文の無い巻で源氏の死を表現)



あらゆる要素を含んだ懐の深い孤高の文学であることに異論を唱える人はあまりいない。



ここには、ワイドショー的な俗悪と繊細な文学的描写が絶妙なバランスで存在しているのだ。



それは、現代から見ても、突出している。

例えば、1000年経った現代でも、誰が皇室のスキャンダルを小説に描けるだろうか。



井沢元彦氏は、この物語は、藤原北家がそれまでの政争の過程で潰してきた源氏を初めとする諸氏の怨念の鎮魂の物語だという。

傾聴に値する意見だし、今後、定説にすべく、より検証されいくことを期待したい。



それにしても、一般的に、歴史的名作というものは、その他の無数の作品のピラミッドの頂点に現れるものだと思う。

それなのに、源氏物語はいきなり頂点が出来ちゃったようなものだ。

奇跡というのはそういうことだ。



しかし、この物語の不幸は、日本人のほとんどがこの物語を原語で読んだことが無いという事だ。

現代語訳でも、それほど読まれていない事だ。

日本人の伝統云々を口にする輩はまず、この物語を手にとって欲しい。

勿論、私も何度目かの挑戦をしようと思う。「桐壺の巻」の壁は高い...



まさむね

より以前の記事一覧

2021年8月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック