「まなざしの地獄」を読んで考えたこと
僕は昨日のエントリーで、幕末の開国以来、日本の歴史は共同体の解体の歴史であるというようなことを書きました。
その過程は、おそらく一つづつ「日本人らしさ」あるいは古来からの「日本人の幸せ」が剥奪される歴史であったことを僕は今、改めて思います。
繰り返しますが、それは、一方では「自由」や「便利」という新しい幸せの獲得であったという側面があることも付け加えないと不公平になりますが。
僕は先月一ヶ月の間に何冊かの本を読みました。その中に、Twitter上で、僕にいつも様々なアドバイスをくれるすがりさんが勧めてくれた「まなざしの地獄」(見田宗介著)がありました。
この本は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件を起こした永山則夫という男の行動を社会学的に解釈した本です。
数年前にあの加藤智大による秋葉原通り魔事件が起きた時に、この加藤と永山との類似性が、一部で指摘され、それを機会に再編集・発売された本ですね。
ちなみに、僕自身も当時、「寺山と永山と加藤智大」というメモのようなエントリーを書いていました。
で、見田さんは、この永山則夫についてこんなことを書いています。(41ページ)
そしてN.Nが、たえずみずからを超出してゆく自由な主体性として、<尽きなく存在し>ようとするかぎり、この他者たちのまなざしこそ地獄であった
また、別のところ(19ページ)でこんな風にも書いています。
都市が要求し、歓迎するのは、ほんとうは青少年ではなく、「新鮮な労働力」にすぎない。しかして「尽きなく存在し」ようとする自由な人間たちではない。
ようするに、当時、集団就職などで大量に都市に流入してきた若者達、彼らは「自由」を求め、「夢」を抱いて都市にやってくるのですが、一方で都市の方は、彼らはそういった存在としてみ見たいわけではなく、たんなる労働力として使いたいだけだったということです。
そして、その二つの視線の齟齬が究極にずれたときに発生したのが、あの射殺事件だったのではないかというのが見田さんの見立てなわけですね。
これは、この事件の背景に経済格差とか、地域格差といった問題があるけど、本質的には、それは意識の問題だという話だと僕は解釈しました。
おそらく、近代以前の村社会では、人々は他者がから見られる自分像と、自分が自分自身を見る自分像とのズレってそれほど大きくは無かったんだと思うんですよね。
いい悪いは別にして、大抵の場合は、武士の子は武士になるんだし、庄屋の子は庄屋になるんだし、小作人の子は小作人になります。
だから、無駄に「自由」や「夢」といった観念を抱き、そこからくる挫折を味わわなくてもすむような社会だったんですね。
勿論、最上徳内のような例外的な人もいて、彼は山形の貧農の家で生まれるんだけど、学力でのし上がり、最終的には武士になり、しかも蝦夷探検で歴史にまで名前を残します。
ちなみに、僕の先祖は、この最上徳内が子供の頃に通っていた寺子屋で、彼の隣の席にいた平凡な百姓だったんですww。
さて、話がズレましたが、ようするに、僕らが明治維新以降に得たのは、一面で「自由」や「夢」なんだけど、その反面で得たのが「挫折」であり、失ったのが「故郷」だったというお話がしたかったんですね。
そして、問題なのは、永山や加藤が競争に負けて失敗してしまったという結果じゃなくて、負けた時に帰っていく場所(故郷)がもう無なかったという現実だと僕は思います。
その意味で、1968年に永山事件によって顔をだした問題は、今尚、連綿と解決できないまま残っているということですよ、いや、逆に言えばさらに進化しているのかもしれないですね。
じゃあ、ここでいう「故郷」というものは、例えば、政治の力とかで復活できるのでしょうか。う~ん。
あるいは、それは具体的な地域や人々じゃなくて「日本」という観念で代用できるものなのでしょうか。それもどうかな?
さらに言えば、例えば、ネットにおける人と人とのランダムな結びつきは、少なくとも僕らにとって癒しになることは出来るのでしょうか。まさかね!
最近、そんなことも少し考えています。
まさむね
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